〜16〜すばらしき従者
5日ほどして、紀伊守は小君を連れてやってきた。
改めて話す小君は、ガサツなところがまるでなく、本当に良いところの坊ちゃんって感じだ。
記憶の片隅にある師匠のように、形容し難いほど美しい訳ではないけど、目を引く優美さと可愛さを併せ持っている。
俺、もしかすると小さい子が好きかも。なんか父性本能みたいなものが発動する感じ。
助けてあげたいし、守ってあげたいって、変かな?
緊張からか、小君はずっと肩に力が入っている。惟光の算段により、この子には文の伝達係になってもらわないといけない。頻繁にやりとりするのだから、ここで緊張は解いておきたいな。
そう思って、俺は小君を手招きした。
お菓子とか、好きかな?
そう思って、自分の近くにある菓子を差し出すと、彼は目を輝かせて俺を見ている。
恥ずかしそうにしている様子も、なんだか抱きしめたくなるほど可愛い。
ペットを可愛がる気持ちに近いかも。
わしゃわしゃしたくなるし、なでなでしたくなる。
女の子が可愛いを連発するのって、こんな心境なのかな?
小君の可愛さに夢中になっていると、いつの間にか紀伊守の姿は消えていた。
見送ってきたのだろうか、惟光が奥の方からこちらへ歩いてくる。
「こちらの若様は、あなたの姉君と恋仲でいらしたのですよ」
茶を飲んでいたら吹き出していただろう事を、平然と言ってのけた惟光。しかし小君はぽかんとして惟光を見ていた。
「ですので若様のお手紙を、こっそり姉君へ渡していただきたいのです」
「はい、わかりました」
そんなあっさり!
分かったの?
本当に?
どこまで分かっているのか微妙な顔つきの小君は、手紙を渡す事だけはしっかり理解しているようだ。そして手紙は惟光が代筆してくれており、内容を確認できぬまま小君へと渡された。
その次の日、来ると思っていた小君は姿を現さなかった。
惟光もオカシイと言いつつ、理由を図りかねている様子。まあ、小さい子だし、荷の重いお使いだったのかも。
その翌日、惟光が小君を連れてきたのは夕方頃だった。
「よく来たね。お菓子はいるかな?」
笑顔を作って側へ呼び寄せる。文の使いの事など忘れ、ただこの子が目の前にいることが嬉しかった。緊張しているのか小君の目は潤んでいて、頬はほんのり赤くなっている。ぷるぷる震えている様子が小動物のようでなんとも愛らしい。
「昨日は一日待っていたんだよ」
そう言うと小君は頬を一層赤く染めた。菓子を差し出すと、ごまかす様に口に含める。
やぁ〜、やっぱり可愛い。
お菓子、口にあったかな?あのお菓子はどうかな、気にいるかな。あれこれ考えて小君が菓子を食う様子を微笑ましく見ていたが、惟光の咳払いではっとなって目的を思い出した。
「いづら」
どうだったと聞く時によく使う言葉。食べている小君に向かってそう聞くと、困った顔をこちらに向けて、運んだ手紙の事をあれこれ言い訳し始めた。どうやら上手くいかなかったらしい。
黙って聞いていた惟光が「不甲斐無い」と溜息混じりに言うと、小君はしゅんと項垂れた。
俺は慌ててその背を撫でた。大丈夫だと言いながら、ゆっくり撫でていると、惟光があれこれ言い始める。
「うちの若様は、ずっと昔から恋仲でした。あなたの姉君は、まだ若すぎると若様を頼りなく思ったのでしょう。気がついた時には伊予のご老体と一緒になっておいででした。だからって返事も寄越さないとなると、少々侮りすぎではございませんか」
惟光の言葉に、小君は蒼白の面持ちで俺を見てくる。
脅しすぎだと惟光を見る。素知らぬ顔の惟光を見て、俺は小君に慌てて笑いかける。
「気にしなくていいからね」
その言葉に惟光の声。
「伊予介は老い先短いですし、こちらの若様を父と思っておいた方がいいのでは?」
く、口が悪いよ、惟光。びっくりしてんじゃん。
まあ、でも……あながち間違っていない。惟光からはそのうち隠居するのではないかと聞いているし、それなりに年齢を重ねていそうだ。それがあんな若い妻を持って、さぞかし嬉しい事だろう。顔見てないけど。
俺だって彼の立場なら、姫のように祭り上げるかもしれない。俺が伊予介に共感力を発揮していると、惟光はいつの間に用意したのか、新しい文を小君にすっと差し出す。
「こちらは必ずお届けください」
強めの口調に小君は肩を竦める。大丈夫だと言い聞かせる様に、俺はその背をずっと摩っていた。
「頼りないですね……」
小君が退出してから、惟光がぽつりと漏らす。
「惟光、少し脅かし過ぎなのでは?」
「怖がったぶん、若様に懐くでしょう?」
はっとして惟光を見る。
本当に、なんてできたやつなんだ。
「惟……」
「あ。あの子連れて殿上なさいますよね。いつからにしますか?」
惜しみない賛辞を送ろうとした時だった。惟光がそう言った事で俺の動きが止まる。
「突然連れて行って大丈夫かな……」
素直な不安を口にしてみた。
「そりゃあ、まあ、いきなり帝にお目通りって訳にはいかないでしょうが、色々内裏を案内してあげてはどうです?」
案内は俺がしてほしいくらいだ。色々バレちゃまずいと思って、探検などしていない。
「御匣殿などで衣装を作らせると良いですよ」
「みくしげどの?」
首を傾げそうになったが、惟光が書いてくれた内裏案内図を懐から出して眺める。しかしそれらしき記載はない。
「どこ?」
紙を指差して惟光を見る。
「北に貞観殿があります」
そう言って惟光が指差したのは、最北部にある貞観殿と書かれた場所だった。
これでそう読むのか?
「この貞観殿の中に、裁縫などを行なっている御匣殿があります。気の良い女房が揃っておるようですし、若様が小さい子を連れていくと、懐かしがって作ってくれますよ」
俺が小さかった頃を思い出すってことか。
勝手に使っていいのかとも思ったが、惟光がそう言うって事は、いいんだよな?
改めて地図を見ると、俺のいる淑景舎から続く宣耀殿を抜ければすぐ貞観殿はある。弘徽殿にはかすりもしていないし、大丈夫そう。
「不安そうなお顔ですね。もし場所を覚えておられないなら、あちらの女房に案内させれば大丈夫です」
「わ、分かった」
なんでもお見通しだな。素晴らしくできた従者だぜ。
「あれ、若様。場所が不安なだけじゃないって顔してますよ」
なぜ分かった。惟光恐ろしいやつ。
「弘徽殿と麗景殿にちょっと気になる事があってさ」
惟光の顔がさっと青くなる。
「まさか若様、弘徽殿に迷い込んだのですか」
「あ〜、まあね。でも1回だけ」
「何があったのですか?」
尋ねられるまま、呪いのような言葉が着いてきた時の事を話した。
「怖いですね。予測と致しましては女御様だと思いますが、1度帝にお尋ねになるのがよろしいでしょう。それで、麗景殿でも嫌な思いをされたのですか?」
「いや、こっちはなにか騒がしかったが、悪意とかじゃない。悲鳴みたいなのも聞こえていたから、何があったのか気になっただけだ」
惟光はその言葉に少し考え、はやり帝に聞いた方が良いと言った。
「またしばらくは内裏に逗留になりますから、今のうちに打ち合わせしておきましょう」
俺は大きく頷いて惟光を見た。縋るような目だった事は秘密でお願いします。