〜12〜姉が後妻で大人の甥がいる??
牛車の中には惟光からの置き手紙があった。
「暗いし気持ち悪い……」
暗い車の中で、揺れと文字を相手に格闘している。
ゾロゾロ着いてきている随身達の、灯す明かりを借りて読もうかとも思ったが、覗き見られたら困る内容が書いてあるかもしれないと思うと、迂闊に声もかけられない。
人数だけは多いので、文字が読める者や、視力の達者な者がいてもおかしくない。
仕方なく、僅かな月明かりで四苦八苦しながら読んだ。
そこに記載されていたのは、これから行く場所についてだった。
すでに使いを出してあること、今日は牛車の止まる場所で寝ること、そしてなんと、女だけはたくさんいると記載されている。
先輩を探すチャンスではあるのだが……
女がたくさんいると俺に告げるのは、何の意図があるのだろう?
疑問はあるが、車酔いもあって考える元気がない。
頭を捻ってみるが、何も思考が進まない内に牛車が止まった。
随身に声を掛けられて牛車を降りると、すでに門の中だ。言われるまま降りて、建物の中に入る。
で、誰?
ここどこ?
俺の周りで明かりを灯したり、菓子を出してくる見知らぬ男。今は作業が終わったのか、俺の目の前に座っている。
惟光の手紙をもう一度読み返したい。官職名らしき記載があったはずなんだが。伊予とか紀伊とか書いてあったような、なかったような。
微笑んだ表情をしているのに、ちょっと困っているような顔だった。
誰なんだろう。何か言っているのだけど、状況把握ができていないため言葉の理解が追いつかない。
言っている事はなんとなく分かるのだが、なんというか空気を読む事ができないって感じ?
遠慮なのか、謙遜なのか、迷惑なのか、その言葉尻から想像できないでいた。
表情としては困っている、でも言葉では歓迎している。
ってことはやっぱり……
「困ってる?」
「いえ、そんな!」
立場上、これ以上聞くのは威圧的かなぁ。パワハラとかしたくないし。
さらさらと流れる水の音に庭を見る。さきほどまで暑かったのが、水の音だけで少し涼を得たように感じてふっと微笑む。
こんな景色を風流というのだろうな。
中納言の君や中務の悪戯は悪くなかったが、先輩を探す目的を忘れてはいけない。この場にいるのは従者と男、子供達が数人で女性は見当たらないが。
どうやったら先輩を探す事ができるんだろう。思い悩むうちに、ふっと息が漏れてしまった。
すると男は何かを言ったが、俺にはそれがよく聞き取れない。
『わいえ』のように聞こえたのだが、気のせいだろうか。
ふと記憶のどこかに引っかかるものがある。
『へえ、これで催馬楽って読むんですね』
『催馬楽やってみたいなぁ。謡物するには人数少なすぎるけどな』
『どうして催馬楽に目をつけたんですか?』
『古代から、人間ってのはやらしい生き物だったってところに猛烈に魅かれている』
『え、なんですかそれ?』
『むふふ』
記憶を掠めるエロ先輩……もとい、男子先輩。
昨日の今日で催馬楽。う〜んと心の中で唸っていた俺は、はっと顔を上げて目の前の男を見た。
思い出したのだ、【わいへ】を。
「帷帳も……垂れたるを」
知らず口に出していた。垂れたるを、えっとなんだっけ。
【帷帳も垂れたるを 大君来ませ 婿にせむ 御肴に何よけむ 鮑、栄螺か甲嬴よけむ】
この男が言ったのが催馬楽の我家だとしたら、それを語り合おうとしているのだろうか。
記憶を掠めるこのエ……男子先輩のように。
名前も覚えていないが、膨らんだ妄想と熱烈なレクチャーを覚えている。
男子先輩の妄想では、帷帳の裏には美女が裸で寝そべっており、女が男を誘っている歌だと熱弁していた。婿に来いと言っているだけではと反論したところ、肴の解説を丁寧にしてくれた。画像付きで。
『鮑といえば、ずばりあの事だろう!栄螺も甲嬴もさ……』
女性陣が到着したため、後半はごにょごにょ小さく言っていた事まで思い出した。まるでさっきの俺だ。
まあ、エロ話題って仲良くなるには手っ取り早いかも。
「な、何がよいのかも分かりかねまして」
困ったように目を右往左往している男の声で、はたと思考が固まる。
しまったと。
催馬楽を一緒に論じようと思って言ったのではなさそうだ。違うとなると変な意味を含ませたことになる。
状況から察するに、この男は俺の頼みを断れない立場にいる。惟光がどこまで説明しているのか、どのような話し合いが持たれているのか分からないが、権威を振り翳して無理に逗留しているのだとしたら……
最悪だ。
催馬楽を引き合いに出して、女を用意しろと言ってしまったのだ。
「このまま、そこで寝ようかな」
端のほうを指差してそそくさと移動する。ごろりと寝転んで、1人でいいよアピールをしてみた。
あからさまにホッとした顔を見て、俺も胸を撫で下ろす。
一瞬目を閉じたが、話し声がいろんなところから聞こえてきて寝れない。いや、そもそも誤魔化すためにこっちに移動したんだし、眠くもないから当然か。
諦めて目を開き、かと言って何をするでもなく自分の腕に頭を預けて、ぼんやりその男を見ていた。
ふと疑問に思い男に問う。
「聞こえている声は、みんなあなたの子ですか?」
「父、伊予介の子もおります」
父が伊予介という事は、こっちが紀伊なんたらだな。紀伊守?だったかな。
俺があれこれ思い出そうとしていると、男が声をかけたのか、数人の子供がわらわら姿を表す。男は手近な子から紹介を始める。
ふと、その中にやたら目が合う男の子がいる事に気がついた。
つぶらな瞳をキラキラさせながら見ているのに、こちらが見つめ返すとはにかむ表情。
うん、かわいい。
弟がいたらこんな感じなのかな。
幼いなりに優美な所作で感心する。俺が見習いたいくらいだ。
そう思いながら、紀伊守に誰の子か聞くと、父でも本人でもなかった。
故衛門督の子だと言うが、故衛門督が分からなかったので詳しく聞くと、どうやらこの子は紀伊守からすれば叔父にあたる。
叔父。
意味不明すぎる。
つまり、父の伊予介の前妻の子が紀伊守。今の妻は後妻で、後妻の親が衛門督。
後妻の弟?
え〜と、母の弟だから、叔父であってるよな?
もしかして後妻って紀伊守よりかなり年下なのかな?
あんな小さい子の姉って、何歳なんだろう。少々混乱しながら観察していると、その子はそわそわしてこちらを見ている。
「利発そうな子だね」
「はい、この子の父が健在であれば、姉ともども宮仕えも夢ではなかったでしょうに、不憫なことです」
そうなんだ。……いや、待てよ。
そう言えば帝との会話にそんなのあったな。
「もしかすると、この子の姉とは、宮仕えに出すつもりであった方ですか?先日主上とそのような話をいたしました」
「さようでございます。主上は覚えておられたのですね」
嬉しそうに言う紀伊守は、壮年ではあるが若いというほどでもない。その父と、この子の姉とはいかほどの年齢差か。
「それが伊予介の後妻とは……。どのようなご縁があったのですか」
探りを入れるように聞く俺に対し、紀伊守は困った顔で言う。
「なんのご縁か、思いがけずこんな事になっています。男女の仲とは不思議なものでございますね。若いのにと、気の毒には思ってい……いえいえ、はっはっ」
本音がぽろりしているな、この人。
「帝の側仕えをしていたかもしれない人だと思うと、さぞかし大切にされているのでしょうね」
面白いので、もう少しぽろりしてくれないかと水を向ける。
「それはもう、年甲斐もなく大切にしているようですが、前妻の子達はわたしを含め承知しかねておりまして」
やっぱりそうだよね。でも自分の意志でどうにかできる環境じゃなさそう。やっぱり親の命令は絶対だったりするのだろうか。
そこでふと不安になった。後妻の立場の人が先輩だったらどうしよう。
顔も思いだせない先輩が、ひん剥かれている姿をちょっと想像してしまった。血の気が引くのが分かったが、想像に過ぎないと自分に言い聞かせ、なんとか気持ちを落ち着ける。
そのせいで紀伊守との会話は上の空で進んでいた。
ふと気がつくと、供の人達は木の板の上でそのまま寝ている。
いつの間にか子供達も姿を消しており、ずっと起きていると紀伊守も眠れないだろうと、眠そうなそぶりをして見せて目を閉じた。