〜10〜雨夜に品定め?
『怨霊は祓うのよ』
冬香さんの声。
だから、祓うってどうやるんですかー!
『チューニングと一緒だよ』
冬香さんではない、誰かの声。
男の声だ。
『まず、見るためにチューニングする。見えたら後は感覚でなんとかしてみな』
なんか思い出したけど、情報が少なすぎる。
感覚でなんとかできるものなのか?
もう見えているから、その次を知りたいんだけど。
頭を捻って考えていると、掴んでいるモノが激しくうねり始めた。
ヒィイ!きもいきもいきもい!
鳥肌!
鳥肌がヤバい!
『光はさ、腹だろ?』
これヒント!?
はら?腹……腹、腹!
集中しろ、よく分からないけど、腹に集中!
ビチビチ動き回る黒いモノを離さないよう、手に力を入れ直した。
頭のてっぺんから指先まで、波打つように鳥肌が立っているのが分かったが、それを振り切るように腹に意識を向ける。
「腹……」
すうっと息を吸い込んで、倍の時間かけて吐き出す。
全ての息を吐き出したら、今度はゆっくりと息を吸い込んだ。
その瞬間、何かが頭を過る。
長身の男が左手で右手を覆うように立っており、そこから立ち上る青い煙。
その煙は右手から発生しているようだった。
これはきっと、さっき思い出した声の男の人だ。このイメージを再現しろって事かな。
緊張が高まり、腹に温かいモノが集まっていくような、そんな感覚が生まれる。
力が収束していくとは、こんな感じなのだろうか。
腹の辺りで力を練っているような気もする。
きっと、これで正解なのだろう。
練り上げられた力は、それを解放したくてウズウズしている。
黒いモノの動きが、ますます激しくなった。
逃げようとしているのが分かったが、自然と逃さないための力が手に宿る。
腕力で抑えているのではない。
これだ、という感覚があった。腹に集まった力を手に流し、放出せずに留める。
ぐっと手に力を込めてみる。
じゅっと溶けるような感触が伝わってきたので、手元を見るとキモいのが少し溶けていた。
抵抗する力を感じたが、そのまま千切るつもりで力を込める。
「くっ……!」
激しい抵抗を感じるが、こちらも負けじと争う。力を緩めるのも恐怖だし、負けるわけにはいかなかった。
少しずらして逃さないようにしたかったが、その余裕が俺にはない。
留めていた力を、黒いモノに放出するイメージで解放した。
「きゃあぁあぁぁ!」
断末魔がだんだん小さくなって行くと同時に、蒸発していくように消える黒いモノ。目が最後まで俺を見ていて、ゾワリと悪寒が走った。
最後の目が消えたのを確認すると、大きな安堵の息が口から漏れる。
そして急激な意識の浮上に、はっと瞳を見開いた。
「そこはかとなく気色ばめるは……」
も、戻ってきた!
まだ語っている男の肩には、何も乗っていない。
独演状態で話しをしている男に、頭中将は身を乗り出して真剣に聞いている。
この男は左馬頭なのか?藤式部丞?
よし、とりあえず呼び方短い方で。
「左馬頭!」
「は、はい」
あれこれ語っていた男が、驚いた表情でこちらを見た。
なるほど、こいつが左馬頭だったか。
「肩は……」
肩を見ながらそう言った俺に、首を傾げた左馬頭の表情が返ってきた。
「肩?」
「いや、なんでもない。続けてくれ」
聞き返す左馬頭に手を振ってそう答えた。
今起きた事を整理しようと考える。
この時代の理想の女についてなど、今はどうでもよかった。
俺にヒントをくれた男の声。
あれはそう、師匠だ。
俺はこの場所に誰かを探しにきている。
誰を?
思い出したはずの記憶が消えている気がする。
まるで2歩進んでは、1歩後退だ。
いや、場合によっては、2歩進んだのに3歩後退している事もある……ような気がする。
モドカシイ。
誰を探している?
それは俺にとってどんな存在なんだ?
耳から入る左馬頭の話は、琴がどうとか笛がどうとか聞こえてくる。
楽器の話に気が削がれそうだったがその話題にふと、琴の音色と共に、ある人の声を思い出した。
『光くん』
俺は窓際に座ってコーヒー牛乳を飲んでいた。
いや、呼ばれたのは『ひかりや』だったような。
『俺はみつや、です。先輩わざと言ってるでしょ』
『光くんの達筆を見込んで、ひとつ仕事を頼みたいの』
先輩、先輩……女性であることしか思い出せない。
でも、この会話の時、俺は締まりのない顔で笑っていたような気がする。
「先輩……」
思わず声に出ていた。
頭中将の目線を感じたので、しまったと思ったが時すでに遅し。全員がこちらを見ていた。
何か言わないと、次の話に進みそうになく、俺は内心焦って考えた。
扇で顔を仰ぐようにして隠し、上の空で聞いていた話をうっすら思い出しながら口を開く。
「どちらにしても……」
藤式部丞は話したのか、左馬頭だけが数人の話をしたのか?
左馬頭の話にしたって、浮気されたのか、浮気したのかよくわからない。
そうか、浮気だったらされてもしても、よくないよな。
「人聞きの悪い経験談ですね」
なんとかそう絞り出すと、みんなが笑うので一緒になって笑った。
訳もわからず正解を引いたようだと、人知れずほっと息を漏らす。
笑いが収まると、左馬頭に変わって、頭中将が自分の話を始める。
人目を忍んで通った話だと話し始めた頃、雨の音が途絶えた。
ようやく止んだのかと、目線を外に送る。
これで行動できそうだな。明日は先輩を探してみよう。
話を聞くふりをしながら、何から行動しようか考える。
(まずは、惟光だな)
頼りにできるのは惟光だけだと思い、明日は二条の屋敷に戻ろうと心に決めた。
結局、女性談義は尽きる事がなく、話は謎の盛り上がりをみせて夜が明けた。
これと言って結論めいたことは何一つなかったけど、この世界の萌えポイントはなんとなく分かった気がする。
墨の薄さにときめくなんて考え、思いもよらなかったし、結婚観も身分で随分違うように感じた。
全部の話が理解できた訳でもないから、なんとなくの感想なんだが。
ただ一つ、催馬楽の【飛鳥井】が話題に出てきたのだが、その時、脳裏を過ぎる顔があった。ただその人は男で、俺の探し人ではない。時々思い出すイケメンでもないが、身近な人である印象だ。
なんと言うか、エロい事をこっそり教えてくれる先輩って感じ。ま、それ以上思い出せなかったので、早々に諦めたのだが。
「ん〜!」
誰もいなくなってから、鷹揚な態度とやらを解除すべく、大きな伸びをする。
雨は完全に上がり、朝焼けが綺麗に見えている。
「ふわぁあ……」
大きな欠伸。
さすがに眠たくなってきたなと思い、柱にもたれて座ると、すぐにウトウトし始める。
そのまま仮眠をとっていると女房に起こされた。
身支度がいつの間にか始まっており、それを寝ぼけ眼で身を任せていると、唐突に左大臣宅へ行けと言われる。
「左大臣……」
なんだっけ、左大臣の処に何かあるんだったかな?
「首を長くしてお待ちですよ。昨晩、頭中将からは何も言われませんでしたか?」
「頭中将……」
左大臣家、頭中将、この符号から連想する何か。女房が何か言ってくるのを、聞き流しながら考えていたが、ふいに言葉が耳に入ってくる。
「……北の御方がお待ちで……」
キタノ……はっ!
そうだ!
いつの間にか結婚していて妻がいるんだった。
まさか、その妻に先輩がなっているなんてことは……
ないない。そんな都合の良い話、さすがにないわ。
……でも、可能性がゼロじゃないなら、確認しないといけないな。
「今日、行くから心配しなくても大丈夫だ」
眠気を振り払うように首を左右に回し、女房に力強くそう言って安心させた。
二条の屋敷に戻って惟光と話をしたかったが、左大臣家の妻が先輩でないことを確認してからだ。先輩だったら、しばらく左大臣家を拠点にするもよしだな。
見知らぬ場所に行くのは勇気のいることだが、幸い自分で歩いていかなくても良い身分だ。
経路は牛車を走らせる者達の方が詳しい。自分で移動しない事で助かったと思ったのは、この時が初めてだった。
自分よりも自分に詳しい者がいるのは不思議な感じだが、一刻も早く先輩と合流する必要があるため、多少の違和感には目を瞑ろう。
「ん?……なんで一刻も早くなんだ?」
自分の思考に、ふと疑問が湧いた。
早く会いたいから?
他に何か理由があったっけ?
「……分からん」
思い出せないのか、そもそも知らないのかすら分からない。
しかし、ここへきた目的が先輩を探すことなので、いずれにしろ合流は早いほうがいいに決まっていると思い直した。変なところで思考の迷路に嵌っている場合ではない。
牛車で移動するのだから、考え事はそこでしよう。真剣に考えていたら酔いもマシだろう。
きっと……。