〜1〜音痴なウグイス
さわり、さわり。
気配にふと目が覚めた。
「これ、なんだ……?」
舌がうまく動かず、声はくぐもってきちんと言葉にならない。
さわり、さわり。
頭が重くて瞼が熱い。身体中が痛くて動かしにくい。皮膚が敏感になっているのか、腕や足に当たっている布がちくちくして不快だ。
体験したことのないしんどさ。
しかも体の不調以上に、不可解なこの状況。
見知らぬ薄暗い部屋は究極にシンプルだった。天井には照明すらない。
木目は見えているので、照明器具がどこかにあるのだろう。
そう思った俺は、熱に浮かされながら視線をうろうろさせる。下方に仄かな明かりを見つけたが、視界がぼやけてよく見えない。
壁が見えないということは、相当広いところに寝ているだろうか。それとも暗くて見えないだけ?単純にぼやけているから?
「あれ?」
首を捻ろうとして気がついた。
俺、体を動かすことができない。
さわり、さわり。
鈍い衣擦れの音に気がつくと同時に、瞬きもできない事に気がついた。
それなのに、左側にひっそりと誰かが座っているような気配。眼球を最大限に動かしてみても確認できないが、天井にぼんやりと影だけが映っていて不気味だ。
これは金縛りというやつだろうか。
「!」
頬に冷たい何かが当たる。
手……かな?
手の平なのか手の甲なのかはわからないが、小さいものだった。
瞳が乾いてきたのに瞼を閉じる事もできず、じわりと滲む涙。それが溢れるのと同時に、視界に人の顔が現れた。
ぼやけてよく見えないが、おそらく髪の長い色白の童女が顔を覗き込んでいる。
目があった瞬間、戦慄した。
体が勝手に震える。
美しい、人の姿をした何か、だと思った。
お腹の下の方が急激に重く感じ、警告音が聞こえる気がした。
(これ、なんだっけ……)
知っているような感覚。でも何だったか思い出せない。
童女の小さな手がオレの瞳にかかり、瞼を閉じさせる。
「やっと……きた。わたしの……」
よく聞き取れなかったが、そう言ったような気がした。声の主の気配が近づいてくる。
両頬を小さな冷たい手で包まれると、体の底から震えるような恐怖と不快感が全身を覆う。
やばい、やばい!
でもどうすれば……
身動きしようと体に力を入れた直後、首の横がチリチリし始める。なんだと思った直後、電気のような刺激が首から唇に走り、顔を覆って全身を駆け巡った。
「きゃ!」
小さな悲鳴。
状況を確認しようと目を開けたかったが、悲鳴の直後から急激に意識が沈み始めた。
布のようなしゅるしゅる鳴る音。どしん、どしんと重い物が落ちてくるような音が2つ。
まずい、目を開けて、確認しないと。今……寝ては、危な……い、かも。
だけどなぜか、安全圏に逃げ込んだような安堵感がある。そのせいもあって、俺は沈む感覚にどうにも抗えず、深い眠りに落ちていった。
「……私があなたを…………呪ってあげる」
ぼんやりとした視界の中、黒エプロンの女性が近づいてくる。
朝の光を背負っていて顔はよく分からない。物騒な言葉を紡いだ唇は、艶やかで美味しそうだ。
俺の両肩に置かれた彼女の手。腕が首に周り、顔が近づいてくる。
キス、経験ないんですけど、上手くできるかな。
美人だな……でも、誰だっけ……?
「ほーぅううぅほけぇ、きょぅ」
調子の外れた鳥の鳴き声で、意識が浮上する。そして夢だと気がついた。
夢かぁ、ま、そうだよな。
見知らぬ美人と朝からキスするなんて、夢でしかあり得ないか。
「けきょ」
これは……鶯?
あれ?今って春だっけ?
それにしても音痴な鳥だな。不快でおちおち眠っていられない。
「ほーぉぉぉ、ほけきょうぅ」
「…………フラットしすぎ」
ぱちりと目が開いた。自分の声で覚醒したのだ。
「ほーぉぉぉ、ほけ、ほけ、ほけっきょうぅ」
調子外れの鶯はまだ聞こえている。高熱に浮かされていた事は覚えているが、ぼんやりしてて色々なことがよくが分からない。
ふと視界の違和感に気がついた。
天井に木目はなく、布が四方を覆っている。
「さむっ……」
裸で眠っていたのか、何も身につけていない。
記憶が曖昧だ。
「うん?」
頭部に違和感を感じ、手を当てようとして全身が軋む事に気がついた。特に背中が痛くて重い。
「い、いてて……」
床で寝てしまった時のような痛み。
なんで?
「頭、どうなってんの?」
軋む体を無理に動かして頭部に当てる。髪が結われており、メッシュの帽子のようなものが床に転がっている。
よくみると布団ではなく、もっと薄い布にくるまって寝ていた。
敷布団などもなく、畳をいくつか重ねてあり、その上に布を一枚敷いてあるだけ。
床に直接寝ているわけではなかったが、ベッドのふかふか具合からすれば堅すぎて痛い。
「敷布団もないのか……しかも、裸なのに帽子?」
四方を見渡してみるが、布に遮られてよくわからない。天蓋付きのベッドとか、こんな感じなのかも。
「天蓋付きとはセレブだな。和風だけど」
ところで、ここ、どこ?
…………あれ?
……………………ワタシハダレ?
「光屋 光。うん、名前は覚えてるな」
じゃあ、ここは何処だ?昨日は何してた?
最後の記憶は…………
「最後の…………記憶?」
何だこれ?記憶に膜のようなものがかかっている。
思い出そうとすると、ぼんやり景色のようなものは見えるのに、強烈なボカシがかかっているようにその先が見えない。
「そうだ、さっきの……」
今朝見た夢を思い出そうとしたが、すでに忘れていた。
「さっきの、なんだ?誰か出てきた?う〜ん、思い出せないな……」
考えていると体がブルっと震える。
「さむっ」
裸で寝かされているってどんな状況だ?
「誰に脱がされたのか?」
熱が出てた気がするから、医者とか?
改めて辺りを見回し、脱がされた服のようなものがないことを確認した。
外の様子を見に行きたいが裸じゃなぁ。
仕方がないので、掛け布団のように使っていた布を引き寄せた。
着物のような形をしていたので、そのまま羽織って立ち上がる。腰紐のようなものはなかったので、手で押さえながら移動した。
「うお!」
滝のように垂れ下がっている布をめくって外に出ると、神社にあるような狛犬が左右の床に置いてあった。30センチくらいかな。
「びびったぁ」
怖いよ、普通に。
自分の声に驚いたからか、頬にビリッとしたような僅かな刺激を感じて摩る。
静電気?
「い、いや、とりあえず現状確認だ」
気を取り直して当たりを見回してみる。
閑散とした木造りの建物。木の扉に外からの光が幾条か細く漏れていた。
扉を開けてみたが、すぐそこに壁。
「廊下か?」
廊下の突き当たりに光が差しているので、そちらへ向かって歩いた。
角を曲がると木の柵(格子って言うんだっけ?)が開いており、陽の光が差し込んでいた。
壁伝いに廊下を進み、光の強い方へ歩いていく。古風な格好をした同じ年くらいの男が、俺を見つけて慌てたように駆け寄ってきた。
「○×△∵◇!」
なんて?全然聞きとれませんが?
「○×△∵&∵×△@×○○」
やっぱり聞きとれない。呆然とその男を見つめていると、心配そうに声をかけてくる。
しかし何を言っているのか分からず、どう答えていいのかも分からないため、声を発する事ができなかった。
戸惑っていると手を引かれて、寝ていた部屋に戻された。
寝所のような場所を指差すと、男はバタバタといなくなる。
「…………………………」
普通、こういった状況って記憶あるもんなんじゃ?
といっても今、思い出せないものを悩んだってしかたない。
よく考えてみよう。
着ているものや建物の雰囲気からして、古い時代の日本だ。
平安とか、鎌倉とか、たぶんその辺り。
過去に来たのか?
いや、それなら記憶がないのはおかしい。経緯不明の時間旅行なんて、なんの価値があるんだ。
「まさか、異世界?」
転生的なあれ?
いやいや、それにしたって記憶なかったら意味ないし検証もできない。
こんな考えができる時点でおかしい。
じゃあ、なんだ?
それに言葉が通じないってどうするんだ?
日本っぽいのに、何も理解できなかったぞ。
「う〜ん」
腕を組んで首を捻る。
もやのかかった記憶が鍵だろうとは思うものの、思い出せそうな気がまったくしない。
どうしたものかと思案していると、先ほどの男が年配の男を連れて部屋に入ってきた。
「○×△@∵◇」
やっぱり分からない。
訝しげな顔を二人に向けていると、年配の男の方が俺の手をとったり、熱を測ったりしている。
医者のようなものだろうか。
しばらく診察のような行為をしていた年配の男だったが、問いかけに答えられないため、首を横にふって若い方の男に何事か伝えている。
がっかりした二人の男が部屋から出ていってしばらく、若い方の男が僧侶のような格好の男を連れてやってきた。
「こちや」
ものすごくゆっくり、そう言ったように聞こえた。
こちや?
『こっちや』って関西弁だったりして。こちらですって事ならいいんだけど。
そんな俺の心中を知らない僧侶のような男は、祈祷のような事をしばらく続けた。その後、大丈夫だとでも言いたげな様子を若い男に見せ、俺に微笑んで退出していった。
病気扱いされているからだろうか、少し胸がモヤッとした。
「胸焼け?ムカついてきた」
腹が立っているわけではない。本当に胸がムカムカすると思ったのだ。
どうせ通じないだろうと独り言を呟いたのだが、驚いたように若い男がこちらを見ていた。
「むかつくのですか?」
お?なんか、むかつくのかと聞かれたような気がした。
「ここが」
同じような口調でそう言いながら胸を押さえてみた。
若い男は慌てた様子で退出し、しばらくすると湯呑みのようなものを持って戻ってきた。
「くすし∵◇……×△」
「くっさ!」
器の色が濃いため、液体の色は分からないが、匂いだけで充分怪しい。
男は飲めと言っているようだった。
心配そうな表情をしており、無下に断る事ができなかった俺は、しぶしぶそれを口につけてみた。
漢方のような匂いと味だった。
きっとこの時代?世界?の薬なんだろう。
震えるほどまずいその液体を、飲み干して大きな溜息をつく。
理解できない事が多すぎて頭がいっぱいだった。
薬らしきものを飲んだその安堵感からか、横になりたくなったので、寝所に入って横になり目を閉じる。ゆっくりと眠りに沈んでいく気がした。