女の子でドライブ
子ども頃から物語を読むのが好きで、何時か自分自身の物語も書いてみたい。そんな思いを抱いて早幾年。書き始めるのももの凄く難しいけれども、それよりももっと書き続けることは難しい。そしてそれよりももっともっととんでもなく終わらせることは難しい。
多くの方々が見事に物語を書き上げ、そして終わらせ切っておられること、本当に尊敬してしまいます。適うなら何時かそんな皆さんの仲間入りが出来たなら、そして誰かの心を満たすことが出来たなら、その時は私にとって最高の一時になる…なりますように!
翌朝、既に当たり前のように僕は僕に戻った。後から振り返って思うに今回のウイークデーは、なんだか地に足が着いていなかったような気がする。
多分僕の心の中では亮子さんとの旅行って言うのが一大イベントとして位置づけられているのだろう。
仕事から帰ってきて時間が出来ると、毎日のように必ず行く支度に遺漏はないか点検をしているところあたり、遠足を前にした小学生よろしくだ。
ただ、その点検をしているのが男の僕であるが故に、いそいそとスカートなんかを鞄にしまい込んでいる姿を端から見たら、実に滑稽にすら思えただろう。
しかし楽しいことを待つ時の時間というのはなかなか過ぎてくれない。
その日が来るのを指折り数えながら何度ため息をついたことだろう。ようやっと明日がその日という日になった時には、好い加減待ちくたびれていたくらいだった。
全ての用事を済ませ、もう後は寝るばかりにしてお茶を飲み、さっさとベッドに潜り込む。
早く寝なくてはと気ばかりが焦るが、そう言う時に限って眠れないものだ。
あれやこれやと考えなければいいのに、ついつい考えてしまう。お終いには早く寝なくてはと思うことで目が冴えてしまう。全くの悪循環だ。お陰でどうにかこうにか寝付いたのは二時近くになってからのことだった。
しかし寝た時間は遅かったものの、いつものお茶の効果だろうか?実際にはよく眠れたようだった。
アラーム音がうるさいスマホに手を伸ばし、目覚ましの役から放免する。身体がすっきりとして元気になっているのを感じている。もう少しの間ごろごろしていたかったが、今日はそうも行かなかった。
ほんの少しドキドキしながら鏡をのぞき込む。まさかと思うものがあったのだけれど、ちゃんと女の子になっていることを確認してほっとする。
お茶の効果はほぼ間違いないものになっていると考えても良いのだろう。
「おはよう」
鏡の中の女の子が微笑みかける。その一挙手一投足が全て僕の意志なのに、未だに彼女のことが別人のように思えてしまう。何とも不思議と言えば不思議なことだった。
壁に掛けてある時計の時間を見ながら、大急ぎでパジャマにしているスエットを脱ぎ、シャワーを浴びる。
身体を拭くとそのままバスタオルを身体に巻き付け、髪をドライヤーで乾かす。この髪を乾かすという作業が意外と面倒くさい。普段の僕なら髪を洗ってもタオルで拭いたらそれでお終いだ。
でも今の髪でそんなことをしたらいつまでも濡れて冷たいままだ。僕は女の子達の身支度に暇がかかるわけを今実地で知りつつあるように思った。
どうにか髪が乾くとお次は着替えだ。着替えはちゃんと昨日のうちに用意してあるから迷うこともない。
着替えながら昨日の内に買ってあった菓子パンをつまむ。母の影響で朝にしっかりと食べる習慣が付いていて、大人になった今でもそれだけは守っている。
仕上げにミルクを飲んで最後に歯磨き。
「忘れ物はないかな?」
一人口に出してみる。でもあるはずがないのじゃないのかな?あれだけ時間をかけて毎日用意していたのだから。そう考えると独りでに笑いが漏れてしまった。
この間買ったばかりのスニーカーを履くと玄関の扉を開けて外に出た。朝早いので外の空気が何となくひんやりとして清冽だ。
肩に着替えなんかの入った鞄をかけ、少し早足で亮子さんの住まうマンションに向かう。
「おはよう、良美ちゃん」
亮子さんは既にマンションの前の路上で車を用意して待っていた。赤のコンパクトなファミリーカーで、亮子さんは運転席の横に立って居た。
ナンバーからするとどうやらレンタカーを借りているようだ。
「おはようございます亮子さん、今日はよろしく御願いします」
そう言いながら僕は亮子さんに軽く頭を下げた。
「荷物は後の座席にでも載せて頂戴」
と、亮子さん。見ると既に亮子さんの荷物も載っている。
「よく眠れた?」そう言う亮子さんは元気いっぱいという感じだった。
「はい、でも本当の事言うと、なんだか遠足の前日の小学生みたいに寝付け無かったです」
それを聞くと亮子さんはくすりと笑った。
「なんだか本当に妹みたいなことを言うのね?」
「え?」
僕が目顔で問うと、彼女は説明してくれた。
「私の田舎にいる妹も、どこかに出かけるって言うといつもそうだったわ」
そう教えてくれる亮子さんの視線が一瞬どこかを彷徨った。何だろう?
どこか気になると言うかというか引っかかるものを感じてしまったが、数瞬後の亮子さんの笑顔を見ると直ぐにその感じも忘れてしまった。
彼女に導かれるまま車の助手席に乗り込み、シートベルトをする。
「準備は良い?」
「はい」
亮子さんがキーを回すと車は軽快なエンジン音を響かせながら目を覚ました。
「じゃあ出発ー!」
するすると車を加速させる亮子さん。危なげなくどんどん車を走らせ、市街地を巧みに走り抜けていく。あらゆる裏道までも熟知しているようなそんな走りだった。
「今の時間に出発したら、きっと渋滞に引っかからないうちに高速に乗れると思うわ」
実を言うと僕はてきぱきと走り抜けていく亮子さんの運転テクニックに舌を巻いていた。
男性でもこれほど走れる人はどれだけいるだろうか?
「なあに?良美ちゃん?」
前方を直視しながらも僕の視線が気になったのだろう。彼女はちらっと僕の方に視線を振ると微笑みながらそう聞いた。
「いえ、運転が上手だなって思って・・・」
すると亮子さんは嬉しそうにうふふと笑った。
「私ね、車の運転て大好きなの。放っておいたらもしかすると一日中でも走っているかも知れないわよ」
彼女の走りを見ていると、それもうなずける気がする。
本当に楽しそうなのだ。ぐいぐい走るのだけれど、決して無理はせずに要所では慎重なくらいに速度を落としている。
だから初めて乗せて貰っているのだけど、ちっとも怖さを感じさせない運転だった。
彼女の言っていたとおり、市街地ではほとんど渋滞に巻き込まれることなく、スムースに高速道に上がることが出来た。
空は良く晴れ渡っていて青い色が目にしみるくらいだ。街中ではそうでもなかったが、市街地を抜けると道の両脇の緑が一遍に美しくなってきた。
僕は後の座席に置いてある鞄からデジカメを出してくると、運転に集中する亮子さんの横顔を撮った。
「やだ、良美ちゃんたら」
そう言うと彼女は照れくさそうに笑った。
「私ってね、運転しているときの顔怖いらしいのよ」
「え?そうなんですか?ちっともそんなこと無いと思いますけど・・・。私はちょっと格好良いかなって思っていました」
「格好良い?」
「はい」
「そんなこと言われたの初めてだなあ。これは後で良美ちゃんに何か奢らなくっちゃね」
そう言う彼女の顔はとっても嬉しそうだった。
さほど馬力のある車ではなかったけれど、亮子さんの運転で飛ぶように高速道を走り抜けていく。
車内では色々な話の花が咲き、僕等はまるで学生時代に戻ったような気がしていた。
もっぱら話し手は亮子さんであることが多かったのだけど、彼女の話に釣られてついつい僕も色々なことを話してしまっている。
もちろん今の自分の境遇のことは肝に銘じているから、むやみに何でも話しているわけではなかったけれど、それが何とも心苦しいと感じてしまっていた。
これがこの亮子さんという女性でなかったなら、こんな思いをすることもなかったのだろう。彼女には全てを打ち明けたいような思いすらしているというのが本当のところだった。
でも、そんな勇気が無いというのもまた事実だった。特に今のこの楽しい関係を無くしたくないと思えば思うほど、その勇気は萎えてしまっていった。
分かっては居るんだ、心の奥底の方にはこう言うことがいつまでも続くものではないってことがちゃんと分かって居る。
しかしそれは未だ今この瞬間ではないし、無くすことに対する心構えは何一つとして出来ていなかった。
「どうしたの良美ちゃん?」
しばしの間物思いに沈んでいた僕の変化を、亮子さんは鋭敏に察知していた。
「不思議な縁だなって思っていたんです」
僕は微妙に話の中身をすり替えて彼女に言った。
「縁?」
「だってあの店で亮子さんに会わなかったら、しかも私が亮子さんの妹に似ていなかったら、こんな風に一緒に旅行する事なんて無かったじゃないですか?それを考えると不思議だなって・・・」
亮子さんはしなやかに車線変更をして前の車を追い越し、また走行車線に戻った。
「そうね、そう考えたらあの時あの映画館に隣り合わせなんて凄いことね。出来過ぎた映画にだって設定出来ない偶然?それとも必然なのかしら?」
僕にはその問いに答えの持ち合わせはなかった。でも、僕にとって彼女に出会えたってことは本当に素敵な出来事だった。
それからかれこれ三時間くらい走っただろうか、車は高速道を降り、地道を走り始めた。
山間部の隘路を巧みに走り抜ける亮子さんは、本当に楽しそうだ。
エアコンを切って外の風を入れるととても気持ちがいい。このあたりはちょうど緑が萌え始めている、そんな頃だった。
それまでも結構狭い道を走っていたのだが、それがさらに狭くなってきた。
両側から木々が路上に覆い被さるようになっている。おかげで窓から入ってくる風には緑の木々の香りがついている。
「もうあと三十分くらいよ」
亮子さんが言う。なんだかとっても嬉しそうだ。
「結構山の中に入っていくんですね」
亮子さんは楽しそうにハンドルを捌きながら言った。
「こちらからの道は旧道なの。でも家に帰るときは近道なんだ。新道の方を使えばもっと町の方を通ることになるのよ」
時々現れる分かれ道も何のその、亮子さんは自身が風にでもなったかのようにすいすいと走り抜けていく。
「ほら、ようやっと見えてきたわよ」
「・・・?」
亮子さんの指さす方向を一生懸命に見つめる。飛び去っていく木々の梢の間から山間に建つ瀟洒な和風旅館の姿が見えてきた。
前書きであんなことを書きながら、はたして私はどこいら辺まで来ることが出来て居るのだろうか?千里の道も一歩から、とにかくボチボチ行こか。




