女の子でカレー屋さん
子ども頃から物語を読むのが好きで、何時か自分自身の物語も書いてみたい。そんな思いを抱いて早幾年。書き始めるのももの凄く難しいけれども、それよりももっと書き続けることは難しい。そしてそれよりももっともっととんでもなく終わらせることは難しい。
多くの方々が見事に物語を書き上げ、そして終わらせ切っておられること、本当に尊敬してしまいます。適うなら何時かそんな皆さんの仲間入りが出来たなら、そして誰かの心を満たすことが出来たなら、その時は私にとって最高の一時になる…なりますように!
さて翌日、(実を言うと前日少し上手く寝付けなかった。)朝のまどろみの中から無理矢理浮上した僕は、無事?僕が僕であることを確認することが出来た。
どうやらあのお茶の効果と効力は想定したとおりであるらしい。しかし面白いことに、土曜日の好天でしっかりと焼けた肌は元通りで、焼けたという痕跡すら残っていない。
当たり前の僕に戻った僕は当たり前の朝の支度をし、慌ただしく会社へと出て行った。
世間では連休という物に入っていたのだが、在庫整理という名目で独身の僕は仕事にかり出されていた。
毎日細かい数値のチェックに追われたり、上司の我が儘に振り回されたりしながら、一日が飛ぶように過ぎて行く。
しかし過ぎゆく時間の速度が速ければ速いほど、僕の心の中の時間はゆっくりと遅くなり、様々な澱が沈降していく。
こんな風に感じているのは、はたして僕だけなのだろうか?
いつしか僕は週末を楽しみにしている僕が居ることに気がついていた。でもそれは女装したいと言うようなこととは少し異なっていた。
何と言えばいいのだろう、もちろんその時の僕は女性なのだから、女性としての身なりをするというのは当たり前というか・・・。いや、正直言うと装うという楽しみが女性にはあると言うことは何となく分かってしまった。
でも僕が求めているのはそれとは少し違う。まあいいや、そのうち自分が何を求めているのか?いずれ自然に分かってくるだろう。
心の中の時間が少しずつ粘性を増し、もう少しで固化するという直前、待ちわびていた金曜日の夜が来た。
疲れ切った身体でシャワーを浴び、一週間という時間が重ねていった、目に見えない垢のような殻を脱ぎ捨てる。
買ってきたコンビニの弁当をもそもそ食べ、1本の缶ビールの泡立つ液体が喉元を駆け下りながら、そこに溜まっていたものを洗い流してくれるのを感じる。
発酵した澱の中から生まれた気体が、ほうぅっとため息と共に身体の中から抜けていく。
僕が僕にようやっとのこと、戻っていく一時だ。
キッチンの方からしゅんしゅんと湯の沸く音がする。
僕の心はその音にワクワクとした。
いつものように古ぼけた急須に母の残したお茶の葉を入れる。量は小さなティースプーンにすり切り二杯。
沸き立てではなく、ほんの少しだけ時間をおいた薬缶からそっと湯を注ぐ。じゅわっと言う音を立てながら葉に湯が染み込んでいく。立ち上る湯気、そして香気。
僕は大きく深呼吸をしてその香りを吸い込んだ。不思議だ、この香り。こうして吸い込むだけでなんだか身体を元気にしてくれる、そして心も。
暖かく豊かに、そして清涼に爽やかに心地よく。未だにこの感覚を上手く表現する言葉を僕は知らない。
じっくりと葉が開くのを待ち、その葉の持つエキスが余すことなく湯の中に染み出していくのを待つ。何と待ち遠しい時間だろう。
ようやっとの事で準備の出来たお茶を僕はカップの中に注ぎ込んでいく。僕はそっとそのカップの縁に唇を付け、静にその液面をすすり混む。
なんだかお茶を媒体にして、僕の身体の中に別世界が広がっていくような気がする。
緩やかな弛緩と共に次第に眠りの世界に引き込まれていくのを感じる。お茶を一口一口飲む度にその感覚は色濃く増していく。最後の一口を飲むのがもうようやっとのことだった。
這うようにしてベッドに潜り込むと後はもう夢の中だった。
翌朝、期待と不安の入り交じった思いでそっと洗面所の鏡をのぞき込む。
ちょっと眠り足りないといった風情の女の子が心配そうな顔をして僕を見ている。
「おはよう」
小さな声でそう言うと鏡の中の子は微笑んだ。
おかしな話なのだけれど、こうして女の子になってしまった自分が居る訳なのに、いつまで経ってもそれが自分自身である実感が湧かないで居る。
どうしてなんだろう?
鼻歌を歌いながら目玉焼きを焼き、(焼くなら絶対サニーサイド!そして微妙に半熟の黄身が良い!)するするとリンゴの皮をむく。
元々母にこう言うこと一式仕込まれていたから、全然苦にならない。でも不思議と女の子の身体で居るときの方が上手に出来るような気がする。何でだろう?
それに普段は鼻歌なんか歌うことあまりないのだけど・・・。
カリカリのトーストにほんの少しだけ砂糖が入ったカフェオレ。一日の始まりとしては極上かも知れない。
最後に皮をむいたリンゴをかじるともうお腹いっぱい。少し食べ過ぎたかも?
窓から外を眺めると、綺麗に晴れ上がった空の青さがとても気持ち良かった。
こういう天気を見てしまうと身体がむずむずしてくる。
せっかくのお休みなのだから家でのんびりしていれば良いのにって思うのだけど、元気さえあれば外に出ていたいって思ってしまう。
おまけに今は生まれたてなのじゃないかって思えるくらい、最高のコンディションだ。
そこでふとあることを思い出した。がさごそと新聞をめくる。目指すは映画欄。
しばらく前から見たいと思っていた映画があったのだけれど、未だやっているかな?
「有った!」
幸いなことに上映期間は過ぎていなかったらしい。海上保安官の話なんだけれど、かなり良い評判を聞いていたので気になっていたんだ。
いそいそと支度してふと時計を見る。時間は十時を少し回ったくらいだった。これなら二回目の上映に余裕で間に合う。
そっと玄関のドアを開け、外をうかがう。誰もいない。素早く外に出ると鍵を閉めた。マンションから外に出ると陽光が眩しい。
少しきつすぎるくらいの日の光だったが、空気が乾燥しているのでさほど暑さを感じない。
勢いよく手を振って爽快な気分で街を歩いた。新緑の季節は既に過ぎていたけれども、生き生きと伸びる街路樹の緑がとても眩しい。
最寄りの駅まで十分程度。券売機のスリットに小銭を入れて切符を買い、直ぐに来た電車に飛び乗った。
今日の姿はジーンズにダンガリーのシャツ。手に小さなポーチをぶら下げているのだけど、それにはスマホとティッシュが入っているだけ。
道行く女の子達が皆何かしらバッグのようなものを持っているから、自分もそうしなくてはって思ったのだけど、果たして彼女達は一体何を入れているのだろう?
電車の中では比較的直ぐ座ることが出来た。ジーンズを着ているから心配は要らないのだけど、それでも大股広げて座るのは気が引ける。
男の時でも余りそう言うことはしないのだけど、時々スカートでそう言うことをしている女の子が居るのには驚いてしまう。
今も時々誰かの視線を感じているのだけど、大分これにも慣れた。
余りしつこい視線にはにらみ返すことにしている。それでも駄目な時は逃げるが勝ち。でも今の僕って走るのは速いのだろうか?
映画館のある駅に着いたので電車を降りる。人また人の波。これだけ人が多いとやっぱり少し苦手かな。時間は少し早いけれど、先に映画館に向かう。
最近の映画館の例に違わず、そこも全席指定になっている。だから少し早めに行っておくのが席を確保するためのこつなんだ。
ネットで先に席を取っておくことも出来るのだけど、今回はいきなり思い立ったからそれは無理。
窓口の前には既に人の列が。少し出るのが遅かったかな?
「大人一枚」
そう言って大人分の金額を支払おうとすると、中の女性から半分近い金額を返金された。
「今日はレディースデーなんですよ」
そう言うと彼女はにっこりと微笑む。
「そ、そうなんですか」
僕は少し慌てながらそのお金とチケットを受け取る。そしてぺこりと頭を下げた。
そう言えばここの映画館は何かの数字の日には何と言った感じで、色々なサービスデーを設けていたっけ。
チケットを財布にしまうと僕は一旦映画館を後にした。二回目の上映はお昼からなので、その前に腹ごしらえをしておくつもりだ。
急ぐこともないのでゆっくりと町並みを歩く。久々に仕事以外の目的で町に出た。
普段ならプライベートででもこんな風に町に出てしまうと、なんだか休んでいる気がしなくなってしまうのだけど、今日は全くそんな気がしない。
どうしてだろう?むしろ浮き浮きとした気分にすらなっている。
ぷんとカレーの良い匂い。うん、お昼はこれに決定だな。
そこは小さなカレー専門店だった。少しでも沢山お客が入るように工夫されたカウンター席に、既に沢山のお客が着いている。
メニューを見るとチキンやポークだけでなく、魚や野菜に至るまで様々な種類のカレーが載っている。
そしてそれぞれのメニューの横に×というマークと数字の2・3と言ったものが書いてあって、一番大きな数字は9になっている。
これってもしかして辛さってことかな?辛い料理はそう嫌いな方じゃないけど、9倍カレーって一体どんなだろう?興味はあったけど、頼む勇気はなかった。
しかし客の中にそれに挑戦しているらしき男性が居た。連れの女性が汗を拭いてあげながらしきりに心配している。
「マー君大丈夫?だから9倍カレーなんてやめときなっていったのにー。もう無理ならそこまでにして残しなって」
しかし彼は顔を真っ赤にしながら首を横に振った。
「男が一度決めたんだ、何が何でも食べてやる」
「マー君格好良い!」
女の子が小さく拍手してみせる。果たしてカレーを食べることで男の証明が出来るのかどうかは知らないけれど、少なくともその女の子には意味のあることになって居るみたいだ。
「お客さん何にする?」
カウンターの中からバイトらしき若い男の子が聞いてよこした。
「少し辛いって言うのだと何倍くらいなの?」
彼はコンという音をさせて水の入ったグラスを置いた。よく冷えているのかびっしりと露が付いている。
「そうだなあ、人にもよるけど、二・三倍くらいかなあ?」
「じゃあチキンの二倍ね」
「あいよ。チキン二ばぁーい!」
そう言うと茶目っ気たっぷりにウインクしながら言った。
「大盛りにはしなくていいのかい?」
僕は思わず顔を赤くしながら頭をぶんぶん横に振った。
「あい、普通盛り~!」
そう言いながら彼は新たに席に着いた客の方へと移動していった。と、隣からくすりと笑う声。見ると今の僕と同じ年格好の女の子が僕のことを見ている。
「あなた彼にからかわれたのよ」
「ぼ、私のことを?どうして?」
「彼ね、綺麗な子や可愛い子、自分の気に入った子が入ってくるといつもああやってからかうの」
そう言うと彼女はスプーン山盛り一杯のカレーを大きく開けた口の中に押し込んだ。
「綺麗?可愛い?」
「うん、あなた良い線行っているからきっと彼に気に入られたんだよ。見ていてごらん、ちゃんとおまけが付いてくるから」
「おまけ?」
カレーにおまけとはどういう意味だろう?福神漬けや辣韮でも付いてくるのかな?でもそう言うのは食べ放題みたいで既に目の前に置いてあるし。
結局あれやこれやと悩むよりも先に実物の方が来てしまった。
「はいおまちぃー!」
そう言うと彼は目の前にカレーの大皿をトンと置いた。見るとカレーの上に大きな唐揚げが一つ載っている。彼は再びウインクすると小さな声で、
「それおまけ!」
そう言うと軽やかなステップで他の客の相手をしに行った。
「ほらー、言った通りになったでしょう?」
「本当だ・・・」
僕はまじまじとその唐揚げを見つめながら言った。おまけと言うには少し大きすぎるきらいがあるのが問題だったけど、まさに彼女の言う通りだった。
「ああやって女性のお客さんを増やしていくの。ああ見えて彼、結構人気有るのよ。おまけに最近彼女と別れてシングルだし」
「もしかしてあなたは彼がお目当てなの?」
そう聞くと彼女は苦笑した。
「わ・・・私はその、あの、もちろん彼のファンなんだけど、そ、そんな大それたことは考えてないの。ただこうして時々彼の働いている姿が見れたらいいかなって。そんなところかな?」
美人という感じではなかったけれど、そんな風に慌てる彼女はとっても可愛かった。
くすりと笑うとそんな僕を見て顔を赤くしている。
「か、からかうんじゃないわよ。それにほら、せっかくのカレーが冷めちゃうわよ」
そう言うと彼女は慌ててカレーを口に運び始めた。
僕もそれを見習って食べ始めることにする。しかし唐揚げがあまりに大きくてどうにもこうにもスプーンで食べるには少し問題があった。
「ほら!」
見ると彼女が箸を手渡してくれた。
「ありがとう」
そう言うと僕は貰った割り箸を小気味良い音を立てながら割り、その大物の唐揚げにかじりついた。
さっくりとした噛み心地がとっても良い。おまけに中はジューシーだ。
「美味しい」
思わずその言葉が口に出てしまった。
「でしょう」
と、彼女。なんだか自慢げですら有る。
「ここの唐揚げはカレーに並ぶ名物なんだよ」
「そうなんだ」
僕は口をもぐもぐさせながらそう言った。
「彼が来てからそうなったの。きっと彼の得意料理なのね」
なるほど、で、彼はそのお得意の唐揚げをおまけにして女の子達にアプローチしている訳なのか。こんな方法もあるのかとなんだか感心してしまった。
でも唐揚げの嫌いな子とかはどうなるのだろう?まあ、人の心配をそこまですることもないだろう。
僕は唐揚げを少しずつかじりながら、カレーを口に運んだ。とってもフルーティーなカレーで食べた後の後口が何ともいえない。それで居て後からじんわり辛みが効いてくる。これはなかなかのものだった。
すっかりと満足して最後にナプキンで口を拭いていると、おまけの彼が顔をのぞきに来
た。
「どうだった?」
「美味しかった。後、おまけご馳走様」
「いやーどういたしまして、これから贔屓にしてくれたら嬉しいよ」
なるほど商売上手だ。僕は代金を払い、おつりを貰う間にふと横を見ると、先程の彼女が立ち去っていく彼の姿に見とれている。
「本当に彼のこと好きなんだね」
何気なく聞くと、彼女は小さく頷いた。
「全くの片思いなんだけどね・・・」
「そかぁ」
「うん」
「ありがとうね、なんか色々楽しかった」
僕がそう言うと彼女は何ともいえない笑みを浮かべながら頷いた。
「またここのカレー食べにおいでよね!」
そこに彼が帰ってきた。
「おお!瑞紀、俺の代わりに店の宣伝してくれたのかぁ?」
そう言うと彼はカウンターの中からずいっと手を伸ばし、彼女の頭をくしゃくしゃっと撫でた。
「こら!ガキ扱いするな!」
彼女は口ではそう怒りながらとっても嬉しそうだった。
「それじゃあまたね」
僕がそう言いながら店を出ると二人は笑いながら手を振って見送ってくれた。
僕の心はなんだか暖かなもので包まれている感じがする。どうしてだろう?普段僕が僕で居るときにはこんな風なこと経験したこともなかった。
もしかすると女の子には何か魔法でも使えるというのだろうか?何とも不思議な経験をした一時だった。
前書きであんなことを書きながら、はたして私はどこいら辺まで来ることが出来て居るのだろうか?千里の道も一歩から、とにかくボチボチ行こか。




