櫻の花と女の子
子ども頃から物語を読むのが好きで、何時か自分自身の物語も書いてみたい。そんな思いを抱いて早幾年。書き始めるのももの凄く難しいけれども、それよりももっと書き続けることは難しい。そしてそれよりももっともっととんでもなく終わらせることは難しい。
多くの方々が見事に物語を書き上げ、そして終わらせ切っておられること、本当に尊敬してしまいます。適うなら何時かそんな皆さんの仲間入りが出来たなら、そして誰かの心を満たすことが出来たなら、その時は私にとって最高の一時になる…なりますように!
忙しい中にも時はゆっくりと過ぎていく。色々話し合った結果、僕達は結婚した後彼女の家の仕事を継ごうと考えていた。
だからこの街で過ごすのは今年一年で最後になってしまう。僕達は機会がある度に二人で出かけていって、この街での時間を惜しむようにして楽しんだ。
都会でゴミゴミしていて、いつも喧噪に包まれている。そんな街でもこうしてみると色々良いところもあったらしい。
今までとは違った目で見て沢山の素敵を見出し、二人でその素敵を楽しんだ。
季節は巡りやがて櫻の季節になった。僕はふと思い立って休みの日、彼女を誘ってと有る公園に向かった、もちろん手にはいつものデジカメを持って。
僕は道すがら自分たちが向かっている場所の説明をした。
そうそれは葵ちゃんが初めてこの街に来た時にいた櫻、その木のある場所だった。
葵ちゃんの話をすると亮子さんの目がかすかに曇る。それは僕も同じだった。胸の中の痛みを癒すには未だ時間が足りなさすぎる。
でも、それでも僕達はその櫻の咲いているところが見たかった、もう二度と見ることが出来ないかも知れなかったから。
公園のとても奥まったところにあるせいか、人も余り訪れることが無い木だったけれど、毎年見事な花を咲かせてくれる。だから僕はその写真を撮るのが大好きだった。
今年が最後かも知れないと思うと余計に愛おしく、心を込めて写真に撮りたい、そんな気持ちだった。
他の木々の間から少し遠くにその櫻の姿が見え隠れし始めた。僕が
「もう少しだよ」
と言うと亮子さんはうんと小さな声で囁いた。
後少し、もう見えている、今年も見事な花を咲かせている。僕はカメラを抱えながらゆっくりと櫻の木に近づいていった。
その瞬間、とあるものを目にして僕は凍り付いてしまった。
「葵ちゃん!」
大きく逞しい櫻の木の陰から見えている女の子の姿、それは間違いなく葵ちゃんのものだった。どうやらむこうも僕達のことに気がついたようだ。僕達に向かって手を振っている。
「え?何?葵が居るの?」
ふと気がつくと亮子さんが僕の身体にしがみつくようにしている。そして必死になって辺りを見回している。
どうやら亮子さんには見えないらしい。
そこで僕は葵ちゃんの居る方を指さしながら教えて上げた。
「ほら、あの櫻の木の陰、あそこに葵ちゃんが立って居るんだ、とっても嬉しそうに笑っている」
「本当に?笑っているって?冗談だったら許さないからね」
亮子さんは泣きそうな顔をしていた。
「冗談なんか言わないよ、ほら、彼女の所に行こう」
そう言うと僕は亮子さんの手を引きながら葵ちゃんの所に向かった。
葵ちゃんの所に付くと彼女はとてもこれ以上ないくらいに嬉しそうに笑った。
「お久しぶり、良美さん、それにお姉ちゃんも!また来ちゃった」
そう言うと彼女はぺろりと舌を出した。こう言うところは変わっていない、僕は思わず苦笑してしまった。
「本当に久しぶりだよ葵ちゃん」
僕の腕を抱きしめる亮子さんの腕に力が入る。そこで僕は亮子さんには葵ちゃんの姿は見えないのだと説明した。
「そうなんだ、もしかしたらそうかも知れないなって思っていたんだけれど、やっぱりそうか。なんだか前の時と同じだね」
僕は彼女が僕の中にいた頃のことを思い出しながら頷いた。
「また僕が君の言葉を亮子さんに伝えるよ」
そう言うと葵ちゃんは嬉しそうに頷いた。亮子さんはと言うと黙って僕の様子をうかがっている。そこで僕は出来るだけ丁寧に今の葵ちゃんの様子を説明して見せた。
「もう、葵ったら、また来ちゃったじゃないわよ。私がどんなに泣いたと思っているのよ」
そう言いながらまた涙を流し始める亮子さん。
「そんなに泣かないでよお姉ちゃん、私まで悲しくなっちゃうじゃない」
葵ちゃんもべそをかきそうにしている。僕はあるがままの葵ちゃんをそのまま亮子さんに伝えた。
亮子さんは涙をハンカチで拭くと気丈にも立ち直った。
「それでどうしてこんな所に来たの?」
すると葵ちゃんはちょっぴり切なそうな顔をしながら言った。
「私ね、本当ならとっくの昔にあっちの世界に行っていないといけないの」
「あっちの世界?」
「そう、彼岸とでも言うのかな?」
僕は逐一亮子さんに説明を続けた。
「でもね、最後にどうしても一言お礼を言いたくて、お願い神様って思っていたら、気がついたらここにいたの」
僕は苦笑した、なんとも葵ちゃんらしいと言えば葵ちゃんらしい唐突さだったからだ。
「そうか、葵ちゃんにとってそれが一番心残りなことだったのかも知れないね」
「うん、そうだと思う、それとね」
そう言うと葵ちゃんはすっと僕達の側に来ると、僕と亮子さんを一緒に抱きしめた。
「良美さんとお姉ちゃんの幸せそうな姿をどうしても見たかったの」
僕がそのことを亮子さんに伝えると彼女はまた涙を流した。
「葵ったら、もう、しょうがないんだから」
そう言うと亮子さんは櫻の花に負けないような笑顔を浮かべた。
「良美ちゃん、葵に伝えて。私はこれ以上ないくらい幸せだよって!」
その言葉を聞いた葵ちゃんはとても満足そうな顔を浮かべた。
「良かった・・・私がこの世で一番大好きなお姉ちゃんと良美さんが幸せになってくれて・・・私も幸せ・・・」
僕がそのことを亮子さんに伝えていると、葵ちゃんの姿が急に薄くなって来始めた。
「あ・・・葵ちゃん・・・」
「私ね、この櫻の木の下であなたと出会って半年くらいかな?本当に幸せだった。ありがとう良美さん、お姉ちゃんと幸せにね」
彼女がそう言い終えるのと、姿が消えるのはほぼ同時だったかも知れない。
「・・・」
僕はそれまで葵ちゃんのいた空間を見つめながら呆然としながら立ちつくしていた。
「逝っちゃったのね?」
亮子さんがそんな僕にそっともたれかかるようにして言った。
僕は黙ったまま頷いた。そう、逝ってしまった、本当に逝ってしまったんだ。
見上げれば満開の櫻、はらはらと舞い散る花びらがまるで涙のようだと思ったのは僕だけなんだろうか?
僕は亮子さんの肩に手を回しそっと抱きしめた。
まさかまたここで葵ちゃんに会えるとは、想像もしていなかったことだった。
でも虚ろだった僕の中の隙間がほんの少し満たされたような、そんな気がしている。何故だろう?そうか、彼女が半年でも本当に幸せだった、そう言ってくれたからなんだ。
僕は彼女と過ごした不思議な日々の出来事を思い出しながら、ほんの少し納得した。
「ねえ良美ちゃん」
亮子さんの言葉に我に返った僕は聞いた。
「何? 亮子さん」
「せっかくだからここで二人で写真を撮っていきましょうよ」
そう言いながら亮子さんは僕が手に持っているデジカメを指さした。
そこで僕はたまたま通りがかった人を見つけると、お願いして写真を撮ってもらうことにした。
僕と亮子さん、二人並んで満開の櫻の木の下に立つ。お願いした人は立ち位置を気にしながら僕達に向かってカメラを向けた。液晶を見ながら構図を気にし、
「いきますよ、チーズ!」
と月並みな台詞を言いながらシャッターを切ってくれた。
その後カメラの液晶と僕達のことを交互に見ながら、何やらしきりに目を擦っている。目にゴミでも入ったのだろうか?
「ありがとうございました」
僕はそう言いながらカメラを受け取るとスイッチを切った。
そして最後に亮子さんと二人でそっと櫻の木に向かうと
「さようなら」
そう呟いてそっとその幹を撫でた。また今度いつ会えるか分からないけれども、いつまでも美しい花を咲かせ続けてくれますように、そんな思いを込めながら。
それから家に戻った僕は、またいつものように写真の整理をしていた。櫻への思いが消えぬうちに、少しでも綺麗な形に残しておこう、そう思ったのだった。
そして作業しながら何枚もの写真を見ているうちに、とあるものを見つけて叫んでしまった。
「うわぁ!」
その声に驚いた亮子さんがやってくると、僕の肩越しにパソコンの画面をのぞき込んだ。
「まあ!」
亮子さんもまた驚きの声を上げる。そこに写っていたのは満開の櫻の木の下で、寄り添うようにして並んでいる僕達の姿、でもそれだけじゃなかったのだ。
二人の間にはなんと葵ちゃんの姿が写っていた。彼女は僕達の肩に手を掛けながら満面の笑顔でピースをしている。
なんて素敵な笑顔で写って居るんだろう、彼女の笑顔は本当に心から幸せそうだった。そんな葵ちゃんの笑顔を見ていると、みるみる涙が溢れて写真が見えなくなってしまう。
「葵ったら、葵ったら・・・、最後までいたずらっ子なんだから」
亮子さんが泣きながら笑っている。僕もまた笑いながら泣いている。
葵ちゃん、僕達は君からのメッセージをちゃんと受け取ったからね。きっと君の分も幸せになるから安心して見ていてね。僕は写真の中の葵ちゃんにそう心で話しかけた。
思えば僕が葵ちゃんと一緒に撮ることが出来た、それが最初で最後、たった一枚の写真なのだった。
短いようで長い、けれどもやっぱり短い?しばらくの間でしたが皆様の時間をお借りしました。三人の男女達の物語が、皆様の心の中に何か一つでも残せたら幸いに思います。ここまでの御拝読ありがとうございました。後、誤字の報告頂き誠にありがとうございました。早速反映させて頂きました。




