ほんの少しウエットな恋の物語
子ども頃から物語を読むのが好きで、何時か自分自身の物語も書いてみたい。そんな思いを抱いて早幾年。書き始めるのももの凄く難しいけれども、それよりももっと書き続けることは難しい。そしてそれよりももっともっととんでもなく終わらせることは難しい。
多くの方々が見事に物語を書き上げ、そして終わらせ切っておられること、本当に尊敬してしまいます。適うなら何時かそんな皆さんの仲間入りが出来たなら、そして誰かの心を満たすことが出来たなら、その時は私にとって最高の一時になる…なりますように!
「たった六ヶ月のラプソディ」
僕、佐山良美はげっそりとやつれ、目の下に大きな隈をこしらえていた。
原因は良くある話、それまで付き合っていた彼女からの一方的な別れのせいだった。
失意のどん底って言うのはこう言うのを言うのだろう。あまりの落胆に胃はむかむかするし、目眩までしていた。
お陰で何もする気にはならなかったが、日々こなさなくてはならない仕事という物がある。
そして一週間、何とか必死になって乗り切ったものの、殆ど限界に近い状態だ。我ながら良く金曜日まで持たせたものだと思う。
何か食べなくてはと思うのだが、胃が何も受け付けようとし無い。
せめて飲み物くらいはと思って、あれやこれやとコンビニで買い込んでみたものの、ほとんど何も受け付けそうになかった。
このままではきっと倒れる、そう感じていた。
そんな最中台所でふと目に留まったものがあった。
それは五年前に亡くなった母が残してくれたものだった。
彼女がインドかどこかに旅した時に手に入れたものだと言う。
大人の握り拳二つ分位の陶器の壷。焦げ茶色していて、蜜蝋らしきもので蓋が密閉されている。
放浪の旅が好きな母が、その身一つで乗り込んでいった滞在先の村で手に入れたものらしい。
なんでも高熱で苦しんでいた村人に解熱剤か何かを上げたお返しだとか。
母の言によると幸せをもたらすお茶らしいとのことだったが、その味を試すことなく彼女は事故であっけなく逝ってしまった。
幸せをもたらすなんて少し胡散臭いけれども、その時は藁にもすがる、そんな気持ちだった。
蓋を硬く密閉している蝋をスプーンの先で少しずつ削り取る。最後にぱりっと言う音がすると、封蝋は大きな固まりになってあっけなく取れた。
そっと蓋を取っておそるおそる中をのぞき込む。
細かく刻んだ茶色い葉っぱみたいなものが八分目くらいまで詰まっていた。
ティーポットなんて言うしゃれたものはないから、普通の急須にそのまま葉を入れる。スプーンに二杯ほど。適量かどうかなんて分からない、が取り敢えず湯を注ぎ込んだ。
湯気と共に何ともいえない清々しい香り。
何だろう、この香りは?今まで嗅いだことのない種類のものだった。
蓋をして三分ほど待つ。カップの上に茶こしを載せてそっと茶を注ぐ。
香り以外は見た目どうと言うことのない普通のお茶だった。
おそるおそる口に含んでみる。
香りがそのまま味に変わったような清涼な感じがするお茶だった。
ごくりと飲み干すと胃の中がすっとして身体に力が湧いてくるような気がする。
「なかなか良いもんだなあ」
僕はそう呟きながら、後は心からそのお茶を楽しんだ。
凝り固まっていた胃がゆっくりほぐれていく。肩の力もすっと抜けていくようなそんな不思議な感覚。
カップに残った最後の一口を飲み終えると、僕は異様なまでの眠気に襲われた。
「これはもう無理」
それ以上耐えること適わず、僕は崩れ落ちるようにベッドに倒れ込んだ。
僕を包み込む静かで温かな温もり。
久々に感じたその安らぎの中に、僕は遠い昔に知っているはずの何かを思い起こしていた。
これは一体?
僕の記憶の中にあるのはここまでだった。
何か素敵で楽しい夢を見たような気もするのだけど、それを思い出すことは出来なかった。
翌朝目を覚ました僕は、ここしばらく経験したことの無い様な爽快な気分であることに気がついた。
夕べのお茶のせいかな?もしそうなら僕は母に感謝しなくてはならない。
肩をぐるぐる回し、その余りの軽さにちょっとした驚きすら感じていた。
「シャワーでも浴びるか・・・」
昨夜は疲れすぎていたので風呂に入る気にもならなかったのだ。スエットの上下を脱ぎ、ぽいっと洗濯かごに放り込む。
カランを回して湯の温度を調節し、雨とかかる湯の中にいきなり頭を突っ込む。
熱い湯が身体にかかって眠っていた細胞を呼び覚ましていく。
と、その時なんとも言えない違和感のような物を僕は感じた。
「・・・?何だ?」
顔や腕にかかる長い長い黒髪。
こんな所にどうして?一瞬背中を猛烈な寒気が走る。怪談でもあるまいし・・・。
ともすれば怖じ気づく心を励ましながら、僕は意を決して鏡をのぞき込んだ。
「へ?」
僕の口から出た言葉はそれ以上でもなければそれ以下でもない。どういう事だ?
寝ぼけているのかと思って頬をつねるがしっかり痛い。
目をごしごし擦ってもう一度鏡の中を見る。
湯気で曇った鏡の向こうから僕を見つめているのは、見たこともない女の子だった。
髪は肩より少し下まで、黒目がちの大きな目でまあるい小顔。
少し幼さもあるけれども十七歳から二十歳くらいの間に見えるかな?
その彼女が、僕が右手を挙げると同じように右手を(鏡の中の)上げる。
僕が微笑んでみせると彼女も微笑んでみせる。彼女は誰?僕が彼女?彼女が僕?
気が動転した僕は慌ててバスタオルで身体を拭い・・・胸・・・バストだ。足を拭い・・・無い・・・本来あるべきものが無い。
くらくらする頭をかかえながら、洗ってあった別のスエットを着る。
袖も裾も余っている、どうして今まで気がつかなかったのか?
少し折り返さないとぶかぶかだった。
僕は大きく深呼吸をした。そしてもう一度洗面所の鏡をのぞき込む。
そこには困りきった顔の女の子が、僕のことを見つめていた。
「君は誰?」
女の子が僕に問いかける。でもその子は僕なんだ。
僕は倒れるようにソファーに座り込んだ。
一体何でこんな事になったんだろう?色々考えたのだけれども何も思いつかない。
そりゃあそうだ、誰だってこんな事経験したことがあるはずがないから。
でも本当にそうなのかな?僕はパソコンを付けるとネットの中を彷徨った。
同じようなことがどこかにないかと・・・。
しかし結局その日一日調べてみたものの、どこにもそんな話しはなかった。
もちろん手術で女性になったとか、漫画やSFの話は別だ。
あてどない探索に疲れ果て、僕はいつの間にかそのまま眠ってしまった。
目が覚めると最悪。体中がこわばっている。
すっかり冷え切っていて風邪を引きそうだ。
熱いコーヒーを入れて身体を温めようと思い、薬缶を火にかける。
その手がやっぱり女の子の手だった。観念してまた鏡を見る。昨日のまま。
僕は行く末のことを考えながら思わず頭をかきむしってしまった。
「グゥ・・・」
突然お腹が鳴る。そう言えば昨日も丸一日何も食べていなかったっけ。
ふと気がついた。久々に空腹を感じている。
女の子になってしまったという大変な問題はとりあえず置いておくことにして、僕はまず食事をすることにした。
と言ってもご飯は炊いていないし、インスタント食品も切れている。
いつも食料を買い置きしている棚の奥を見ると、買ったまま忘れ去られていたパスタがあった。
大きな鍋に湯を沸かし、その横でフライパンでベーコンを炒める。
茹で上がったパスタをそこに放り込み、後は塩胡椒にガーリック、バジルで味を調えた。
フォークでくるくるっと巻き上げ口に運ぶ。
ガーリックと香ばしいベーコンの味が口の中一杯に広がった。
「美味しい!」
ここしばらくで本当に久々に感じた思いだった。
その時僕は少し大げさかも知れないけれども、なんだか生きているって言う実感のような物を感じた。
ここしばらく余り食べられていなかったから、それほど量は食べられなかったが、こうして食べると身体に力が湧いてくる。
「さてどうしよう?」
僕は一人呟いた。今日は日曜、普段なら買い物に出かける日だ。でないと食料が無くなって干上がってしまう。
しかしこの有様だ、出かけると言ってもどうすればいい?
結局僕は下はジーンズの裾を折ったものをはき、上はティーシャツの上にこれまた大きすぎるデニムのジャケットを着て出かけることにした。
服と同様にスニーカーなんかも大きすぎるのだけれども、何とも仕方がない。
言っておくがお化粧なんかは一切無し。そんな物が独身男性の家にあるわけがない。
いや、本当のことを言えばついこの間まで、つきあっていた彼女のものが何かと置いてあった。
しかしそう言った小物を見る度にいたたまれない気持になっていた僕は、小さな箱にそれらのものを詰め込んで彼女の元に送り返してしまっていた。
もちろん送る直前まで未練がなかったわけではない。
しかしその時の僕の精神状態では、とてもそのまま置いておくことは出来なかった。
そんな訳で、今の僕の部屋には女性が使うようなものは何も置いていなかった。
でも自分で言うのも何だけれども、鏡の中からのぞき込んでくる彼女は、お化粧なんかしなくても十分に可愛かった。
おそるおそる玄関の扉を押し開け、外の様子をうかがう。
ここは巷で言うワンルームマンションで、こう言うところの例に漏れず、近所づきあいは極めて希薄だった。
そうは言ってもどこかに僕のことを見知っている人が居るかも知れない。
そう思うと緊張で足がかくかくと震えてしまった。
良し、廊下には誰もいない。素早く玄関を出ると扉の鍵を閉めた。後は素知らぬ顔ですたすたと階段を降り、街中へと出かけていった。
かぱかぱする大きめのスニーカーが今の自分が自分じゃないことを教えてくれる。
近所に良く行く小さなスーパーがあるのだけど、そこに行くだけでもドキドキだった。
別に誰か顔見知りに会うわけでもないのに、どうしてこんなに不安なんだろう?
それは道行く人の視線にあった。
皆が皆ではないのだけど、ちらちらと僕のことを見ていく人が絶えないのだ。
女の子になった僕は、何かおかしな格好をしているのだろうか?
気になった僕は、大きなウインドウが鏡のようになっているところで立ち止まって、自分の姿を映してみた。
そりゃあ全然変じゃないと言うこともないけれども、こんな風にだぶだぶの服を着た女の子だって居ない訳じゃない。なのに何故?
ガラスの中にはどうしようという感じで、困った顔をした女に子がこっちを見ている。なるほどこれだ。自分でも合点がいった。
今はこの子が自分なのだから、あえてこの子と言うのもおかしいことなのかも知れない。でもとにかくこの子は本当に可愛い!だからみんな見ていくんだ。
僕は一体どうすれば良いのだろう?みんなが見ていくのは自分のことなのだけど、それは自分であっても自分じゃない。
僕は戸惑いながら、自分が置かれた立場をどう考えればいいのか理解できないで居た。
そしてそんな僕のことをお構いなしに色々な人が見ていくんだ。
僕は勝手に顔が赤くなってしまうのを止められないまま、うつむき加減でスーパーに急いだ。
沢山の人が行き来するスーパーの中ではそれほど視線を感じなかった。
でも、それでも時々感じてしまう。女の子達はいつもこうなんだろうか?それともそう感じてしまう僕の方がおかしいのだろうか?
何とも居心地の悪い思いをしながら、僕は手早く買い物を済ませた。
普段なら何でもないような荷物の量なのに、今日はやけに重く感じる。どうしてなんだろう?女の子だから?
ようやっとのこと家に帰り着いた僕は精も根も尽き果ててしまった。
「疲れた・・・」
そう言わないで居られなかった。
外に出る元気はもう無く、手早くチャーハンを作って晩ご飯とする。
でも明日からどうしよう?このままでは仕事になんか行けない。当面風邪でも引いたと言って休みを貰えばいいかも知れないけど、その後はどうする?
一体こんなこと誰に相談すればいいのだろう?
医者に相談しても馬鹿なって一笑に付されるのが落ちだろう。
友達だって・・・無理だ。
僕はいつの間にか自分の頬が濡れていることに気がついた。
今の僕は泣き虫だ。
僕は自分で自分を抱きしめながら流れる涙を止めることが出来なかった。
そして僕は泣いて泣いて、いつしか泣き疲れて眠ってしまった。
そのせいだろうか、なんだか妙な夢を見たことまでは覚えているのだけれど、それがどんなものだったかまでは記憶に残らなかった。
ただ例えようもなく疲れた感覚で僕は目を覚ました。
枕元にある時計を見るといつもの時間、のろのろと立ち上がり自然現象を解消しに個室にはいる。
「ええっ?」
そこにはなかったものが再び存在していた。
驚いた僕は慌てて飛び出し、洗面所の鏡をのぞいた。
なんと、僕は僕に戻っていたのだ。
「そんな?どうして?」
何がなにやら分からなかった。でも僕は心から安堵すると共に、自分に残された時間が後僅かであることを思い出した。
「遅刻してしまう・・・」
中断していた自然現象を大急ぎで済ませ、洗顔し髭を当たった。何だろう?休みの間剃った覚えがないのに殆ど伸びていない。
その間僕の頭の中身はぐるぐるしっぱなしだった。
昨日までのことは夢だったのだろうか?いくら考えても現実感がない。しかしいくら何でもあの全てが夢だったとは考えがたいことだ。
僕は口にパンをくわえ、上手く落とさないようにもぐもぐさせながら服を着替えた。
お終いにコップ半分のミルクを一気に飲み、仕上げに歯を磨く。
全てが終わるとワイシャツを着てネクタイを締め、鞄を片手に外に飛び出した。
まだまだ拙いですが、のんびり読んで、少しでも楽しんで頂けたら嬉しいです。