85.部下すら最強格で震えがる殺し屋たち
界人が教祖を撃退してから数日後のこと。
都内某所、喫茶あるくまにて。
サングラスをかけた、ユーチューバーで元殺し屋の男、善光寺 全一が優雅にコーヒーをすすっていた。
喫茶店でお気に入りのコーヒーを飲んでいると、目の前に疲れ切った表情の女が、立っている。
「やぁアーニャ」
「…………」
アーニャと呼ばれたロシア人美女もまた、殺し屋。かつて殺し屋集団【組織】のメンバーの一人だった。
しかしトップである善光寺が組織を解体する際に、考え方の違いで仲たがいした、はずだった。
「アーニャと呼ぶな、っていってこないあたり、相当参ってるようだね。演奏者?」
「……ああ」
演奏者は席に座る。そこへ、黒髪の青年が、水とメニューを置いてくる。
がし!
「え?」
「分断者、お前も座れ」
黒髪の青年、名前を波多という。
かつては、分断者という名前で殺し屋をやっていたが、界人の力を前に心折られた。
今は引退して、この喫茶あるくまで働いてる。
「い、いや……演奏者さん。おれはもう足洗ったんで……」
「たのむ、話を聞いてくれ!」
あまりに必死の表情だった。困惑する分断者。そこへ、黒髪の男の子が近づいてきた。
「波多さん、どうしたの?」
「あ、そ、聡太くん」
聡太と呼ばれた男の子がヘルプに入る。どうやら分断者と同じで、この喫茶店で働いているようだ。
「ちょっと昔の知り合いと偶然会って」
「そうなんだ。じゃあいいよ、座ってお話しすれば」
え? と分断者が驚いている。
「い、いいの?」
「え、うん。今忙しくないし。伊那さんとかも、たまにお客さんとおしゃべりしてるしね。あとのことは任せて」
聡太少年は分断者にそう言って、去っていった。
ここまで気を使われて、断れるはずもなかった。
分断者はため息をついて演奏者の隣に座る。
一方で善光寺は、先ほどの少年の背中をじっと見つめていた。
「どうしたんすか、善光寺さん?」
「いや、彼いいやつだね、と思って」
「この店の店長の息子で、いいやつっすよ。初心者にも仕事丁寧に教えてくれますし。シフト急に入れなくなったときに、いつも代わってくれるんで」
「ほぅ。それはいい子だ。それに……いい声をしていた。なにか特殊な訓練とか、音響の仕事にでもついてるのだろうか?」
「さぁ……?」
演奏者が二人をにらんできた。ふたりの実力者は押し黙る。
「【回転者】が、やられた」
「ほぅ。回転者、というと、レートAの実力派の殺し屋だね。停止者、私、そして分断者亡き今、上位10人に入る殺し屋だ」
その回転者が倒された。
そんな芸当ができる相手はひとりしかいないだろう。
分断者は言う。
「異次元者にでもやられたんすか?」
異次元者、つまり、飯山界人のこと。
公安最強の存在、世界魔女ラブマリィの孫にして、現時点で世界最強と畏れられている能力者だ。
しかし、演奏者は首を振った。
「違う。異次元者じゃない」
「え? そ、そんな……じゃ、じゃあ【夜叉白雪】ですか? それとも、【殺し屋殺し】? でもどっちも今は引退してますよね?」
夜叉白雪に殺し屋殺し、どちらも、かつて存在した強力な錬能力者(※逆異世界転生者)。
しかし、彼らも分断者同様、今この業界から手を引いているはず。
「違う。野良の殺し屋でもないし、公安の犬でもない」
「じゃ、じゃあ……いったい誰が、名うての殺し屋だった回転者を倒したんですか?」
善光寺はコーヒーカップを優雅に持ちながら言う。
「異次元者の、配下、だろう?」
「な!? は、配下って……異次元者には仲間がいるんすか!?」
分断者は驚き、演奏者は悔しそうに歯噛みする。
「ばかな……。だって、異次元者は彼一人だけで停止者を撃退して、組織のボス消去者を引退においこみ、日本中、いや、世界中の殺し屋たちから恐れられてるんですよ?」
そんな存在に加えて、レートAの殺し屋を瞬殺する、部下までいるという。
分断者は、心の底から安堵した。
そして思った。殺し屋、やめて正解だった……! と。
「残念だったね演奏者。ヘッドハンティングするつもりが、あてがはずれちゃって」
演奏者は回転者を仲間に引き入れる予定だったのだ。
しかし、回転者は引退を表明した。
「消去者……どうしてその情報を知ってる?」
回転者の敗北に、演奏者のスカウト。どれも誰にも言っていなかったはず。
善光寺は微笑んでいた。
「そうか……記者は、ZUUKのユーチューバーだったな……」
ZUUKとは、善光寺が経営するユーチューバー事務所だ。
実は殺し屋たちの隠れ蓑になっていた会社だったのだが……。
先日界人には勝てないと、殺し屋業は廃業し、今はユーチューブ一本で生計を立てている。それで十分成功してる。
ZUUKには殺し屋をやめた能力者が何人もいる。記者はその一人だ。
あの能力者の情報収集能力には、公安の目である見晴者も一目置いている。
「じゃあ……まじなんすか。異次元者に、ちょーすごい部下がいるのは」
「だね。記者によると、レートSS。さすがに異次元者には及ばない……とは、思いたいね。ま、私にも波多くんにも関係のないことだ」
すると、演奏者がテーブルに、だん! と頭をつける。
「たのむ! 消去者! 分断者! 戻ってきてくれ!」
戻ってきてくれ。つまり、殺し屋の世界にということだろう。
分断者はあきれた表情で善光寺を見た。
この女は、馬鹿なのか? と。
善光寺は嗤わない。ただ、微笑みながら、演奏者の肩に手を置く。
「アーニャ。ここは人の目がある。よしなさい」
「たのむ! わたしには、強力な仲間が必要なんだ!」
ただでさえ相手は、規格外の強さを持った化け物。
そこにくわえて、界人の仲間まで強いときた。
こちらも強い仲間が必要なのだ。
「たのむ!」
「い、いやっすよ! 馬鹿じゃないっすかあんた! あんなのに挑むなんてイカレてますよ!」
分断者のリアクションは至極まっとうなものだった。
異次元者ですら手に余るのだ。そこに仲間がいるとわかっていて戦いを挑むなんて愚の骨頂である。
「それに、あんたよく善光寺さんに戻ってこいなんて言えますね? こないだここで、別れたばっかりじゃないっすか!? 恥ずかしくないんすか!?」
「ぐ……! うう……」
まあまあ、と善光寺がふたりをなだめる。
「アーニャ、もうこの話はよそう。悪かったね波多くん。あとは私が相手するから」
分断者はとても迷惑そうな顔で、演奏者の女を見やる。
「あんたくらいっすよ、【あっち側】に帰りたいって思ってるやつ。おれもここで生きがいを見つけたんで」
「生きがい……?」
分断者、否、波多はその場から離れる。
レジには金髪できれいなギャルの店員がレジ打ちをしていた。
「あれ? 波多くんもういいの?」
「は、はい! もう大丈夫っす!」
「きれいなおねえさんだったねー。もしかしてカノジョ~? なーんて」
「ち、ちがいますよ! ただの古い知り合いです! いまフリーなんで!」
「そっか~」
……と、離れたところで波多は青春劇を繰り広げていた。
おそらく彼は、あの金髪ギャル店員に気があるのだろう。
「みんなあんなものさ。殺しなんてもうやめたほうがいい」
錬能力者たちはみな、前世の記憶を持っている。演奏者は異世界での生活にまだ未練が残っているのだ。
彼女は、帰りたがっている。あっちの世界に。
しかしそれは、少数意見にすぎないのだ。消去者も、分断者も、こっちで幸せを見つけている。
善光寺に諭されても、しかし演奏者は強く首を振る。
彼はぽん、と肩を優しくたたく。
「いい加減、目を覚ますんだ。君はもうあっち側の人間じゃあない。君を心配する、こっち側の人たちを、家族を、大切にね」
善光寺は飲み物の代金、3人分を支払って出ていく。
演奏者は頭を抱えて叫ぶ。
「ちくしょう! 異次元者めぇ……!」