121.演奏者、悪しき神に乗っ取られる
界人が性懲りもなく、無自覚にやらかしてる……一方。
向こう側へ帰りたがっている、練能力者……。
演奏者こと、アーニャはというと……。
「やぁ、アーニャ。元気してるかい?」
アーニャは現在、入院中だった。
そこへ現れたのは……サングラスをかけた、白スーツの美丈夫。
「消去者」
「おいおい、私はZUUKのZEN 光寺、だよ。今はね」
日本で最も有名なユーチューバー事務所、ZUUK。
その社長にして、日本トップユーチューバーのひとり、ZEN 光寺。
彼もまた、練能力者(※逆異世界転生者)であり、実は元殺し屋組織のボス。
善光寺 全一。
「大丈夫かい、アーニャ」
「……大丈夫なわけが、ないだろう」
アーニャは、大勢の練能力者を率いて、界人のもとへ強襲を駆けた。
彼を連れ去り、その背後に居る世界魔女と交渉するためだ。
世界魔女、ラブマリィこと、飯山万里。
彼女は、世界最高の魔法使いであり、練能力者。
世界をまたに彼女ならば……。
「元の世界に戻る術を、身につけているかもしれない……ね」
アーニャは異世界からこの現実へ、転生してきた存在だ。
しかし彼女は、元の世界……つまり、異世界へ戻りたがっているのだ。
練能力者たちのなかでは、アーニャと同じ思想の者は、むしろ少ない。
せっかく文明の進んだ、現実へ転生できたのだから、そこで新しい人生を謳歌しよう。
そういう層のほうが大半である。
善光寺もそのひとりだ。
「しかし……負けてしまったわけだ。異次元者に」
異次元者。
飯山界人のコードネームだ。
あらゆる奇跡という奇跡を使う、謎の存在。
ゆえにコードネームは異次元者。
「……圧倒的だった。仲間が、全員……消された」
「消されたって……別に死んじゃいないのだろう?」
アーニャが仲間の練能力者と行なった作戦は、大失敗に終わった。
彼女以外の練能力者達は記憶を失い、長野の山中に放り出された……らしい。
「記者の情報では、記憶を失った彼らは、憑き物が落ちたように爽やかになり、この現実を謳歌してるらしいよ」
「…………」
ぎゅうう、とアーニャは唇をかみしめる。
血が出るくらいにまで、ぎゅうっと。
「君もそうすればいい」
「できる……わけがないだろ!!!」
アーニャが声を荒らげる。
その目には悔し涙と……そして、異次元者への明確な殺意と憎悪が浮かんでいた。
「あたしは! あたしは帰りたいんだ! あっちの世界には……本当の姉がいるんだ! 紛い物じゃない姉が!」
アーニャには、こっちの世界での姉がいる。
ターニャ・贄川という名前の、美しいロシア人女性だ。
しかしアーニャは異世界……つまり元の世界でも、姉が居る。
「たしか……イージスさん、だっけ」
「そうだ。イージス姉上だ。エルフの、それはそれは……美しいお方だ」
……イージス。
それは、まあ……界人の奴隷と同じ名前なのだが。
まあ……つまり、そういうことだ。
「姉上……本当の姉上に会いたい……あたしは……あたしは……帰りたいよぉ……」
涙を流すアーニャ。
だが善光寺は、そんな彼女のそばに、果物の入った籠や、折りたたまれた洗濯物が置いてあるのを見た。
アーニャを心配する、現実の存在がいるのだ。
姉のターニャを、なぜ……この子は大事にしないのか。
「私には君が理解できない。だが……元友人として、一つアドバイスだ」
善光寺は言う。
「この世界にも、君を思う大事な家族がいるってことを。忘れないようにね」
ぽん、と肩を叩くと、善光寺は病室を出ていく。
ひとり取り残されたアーニャは……。
「うるさい……うるさいうるさいうるさい……!!!!!!」
彼女が泣き叫びながら、三角座りをする。
……だから、気づかなかった。
『……見ツケタ』
窓の外に、黒い……靄が浮かんでいることに。
『……見ツケタ。見ツケタ。器ダ。器。荒神ノ……器』
荒神。
人の負の念が固まってできた、悪しき神。
この神のせいで、長野は二度の危機を迎えていた。
浅間山の大噴火も、中信地方(長野県中部のこと)を襲った大雨も。
この荒神が引き起こしたもの。
『トテモイイ。負ノ念。オイシソウ……』
ずずず……と荒神が部屋の中へと滑り込んでくる。
そして……怒り、憎しみなど、負の念に囚われてしまっている……。
アーニャの体の中に、入り込む。
「う……ぐ、うわぁあああああああああああああああああ!」
★
「アーニャ?」
ほどなくして、姉のターニャ・贄川が病室へと戻ってきた。
「! アーニャ!!!!!」
妹が……病室に居なかった。
窓ガラスが割れていた。
「あなた! どうしよう!」
「ど、どうしたんですかいっ?」
ターニャの夫、贄川 次郎太が、困惑しながら尋ねる。
「アーニャが、いなくなってしまったわ!」