トレイン
「ウィズ、大丈夫?」
「一応、オーケー。吐けるものはすべて吐いた」
セントラル駅の構内の女子トイレの洗面台でうがいをしていた。とても清潔感あるトイレだったので、吐いたあとの嫌悪感は少なくて済んだのはよかった。
ミリアムは心配そうにあたしの背中をさする。
あの場から逃げるため、ジャスがテレポーテーションを使ったのは分かる。三人ともやられては、オシマイだ。だからといって、突然使わなくなって良いでしょうに! あのヤロー、一発小突かないと気が済まないわ。
何度目かうがいをしているとき、
「ジャスのあれ、テレポーテーションだよね。バスやら列車やら、これだけ交通網が発達しているのに、あんなワザ、普通は使わないだろうし、無詠唱で飛んだよね。そんなこと、イマドキ可能な人間は……。あ、あんたら人間じゃないのか」
「独り合点しているんじゃないわよ……。はあ、落ち着いた。トイレから出ましょ。ジャスが待っているわ」
「そうだな」
ハンカチで口元を拭くあたしにミリアムはうなずいた。
「何を食べているの?」
ジャスはトイレより少し離れたベンチで生クリームたっぷりのクレープを食べていた。普通のクレープと違って、生地で中身が包まれている。
人の往来が少なくなってきたとはいえ、夜のセントラル駅だ。人の往来は学校近辺より多いし、酔っ払いも多い。そして、サルビア魔導術学校の制服を着ているあたしとミリアムは補導をうけかねない。というか、そもそも子供の出歩く時間ではない。
そんな中、のんびりいられるコイツの神経、ものの見事にアッパレだわ。
「ウィズ、大丈夫? これはね、手を汚さずに食べられるクレープ。二人の分もあるよ」
すっかり食べ終わったジャスは、ビニル袋を持ち上げる。
「あのさ、さっきまで吐いていたあたしに甘いものは無理よ」
あたしは手を横に振り、ノーセンキューの意思表示をする。
「ああ、そうだったね。んじゃ、そこの……えっと、ミリアムはどう? チョコバナナとぶどうがあるよ」
ジャスはミリアムに袋を掲げる。
「あ……悪いんだが、わたしは甘い物を食べると胸焼けしちゃうタイプでね。すまない」
「ああ、そう」
ジャスの顔が少しほころんだ。絶対、あとで食べるに違いない……と思っていたら、その場でもう一つ、クレープを包んでいるセロファンを開けた。
「まだ食べるのか?」
ミリアムは驚いた。
「ボクにとって甘いものは心の栄養だからね。二人とも、ベンチに座りなよ。ちょっとこれから、ボクがたてた計画を話そうと思うから」
そういえば、ジャスの甘党を止めるのは、常闇の長でも無理だったのだ。こればかりはあきらめるしかない。
ジャスが話した計画……。それはアルトを頼ることだった。
三人分の夜行列車のチケットを買ったという。そんなお金、どこにあったのと聞くと、ジャスの養父役を買って出てくれた本屋店主のクレジットカードを使ったそうだ。
犯罪じゃないのか? と思いながらも、ツッコむのは我慢した。多少の犯罪行為よりも今はレイモンドから逃げるのが先だ。
繰り返し伝えておくけど、大人のものを勝手に使うのは犯罪だからね。みんなは真似してはいけないからね。絶対によ。あたしとの約束だわよ。
「アルトって誰だ? 知り合いか? 頼りになるのか?」
ミリアムは当然の疑問を尋ねる。
「そうね。知り合いっていうか、親友ね。持ちつ持たれつ。頼り頼られってヤツ。先生をやっているのよ」
少し吐き気が戻ってきたあたしはハンカチで口を押さえる。
「そのアルトやらはどこにいるんだ?」
「セファ大学」
ジャスはミリアムの質問にさらりと答える。すっかり三つ目のクレープも食べ終わったようで、すべてのセロファンをビニル袋に戻していた。
「セファ大学だと? この国じゃ最高峰の魔導術の大学じゃないか! そこの先生をやっているのか? まさか! 大神殿から神官も来るぐらいだぞ!」
「え、そうなの?」
あたしは驚く。確かに大きなキャンパスではあったけど、まさか世界的に偉い身分の神官まで学びに来るほどのところで、アルトが教鞭を握っているとは思ってなかった。
「あの、大神殿の話を聞かせてくれないかな……。ちょっと気になる」
「そんなの、今は関係ないだろ。そのアルト先生に聞けよ。とにかく! 列車の時間はあとどれぐらいだ?」
ジャスのお願いはミリアムの睨みにかき消された。その睨みに一向に気にしないジャスは、
「あと三十分。でも列車はそろそろホームに来ててもおかしくないから、待ってようか。中で食べる何かを買うぐらいの時間はあるから、買ってあげるよ。ボクのカードで」
お前のカードじゃないだろ。率先して犯罪行為をするな、このバカ。
未だ吐き気が完全に良くならないあたしは無塩トマトジュース、ミリアムはたまごサンドとペットボトルのカフェオレを持ち込んだ。ジャスはミネラルウォーターを選んでいた。あれだけ甘い物を食べたら、のどのひとつやふたつ、確かに乾くわよね。
コンパートメントは残り一つだったようだ。結構な人数が乗り込んでいる。出張者が多いんじゃないかな、とジャスは笑う。
なんとか座席を二段ベッドに変えたあと、
「時間になったら、起こしてね」
あたしは一目散に下段のベッドに滑り込んだ。
すぐに意識は遠のいた。
★
レイモンドが自身の研究室で万歳三唱している。
「やった! このまじない文句を唱えれば、この世は良くなる!」
レイモンドは、まじない文句をよどみなく唱えはじめた。
しかし、魔導術は発動する様子はない。
「なんでだ? 何か不純物があるのか? そんなバカな! この学校には光使いしかいないはずなのに……!」
よこしまな表情で考え込むレイモンドは……。
★
「ウィズ、もうそろそろだ。起きろ」
ミリアムにほっぺたをぺちぺち叩かれていた。
「ずいぶんとうなされていたようだけど、まだ吐き気がするのかい?」
ジャスはミネラルウォーターを飲んでいた。
「ううん……。そういうのじゃなくって……。言語化できない夢を見たの。なんだったかな……」
首をひねるあたしに、
「とりあえず、起きな。準備しなきゃいけないだろ?」
ミリアムの言うのがもっともだ。あたしは、起き上がると、昨晩買ったトマトジュースの缶を開けた。
「よう、兄妹! 待ってたぜ」
気怠そうにアルトが改札口で待っていた。以前と違って、ボサボサの長い茶髪は一本結びにしている。ここにいるって、いつの間にかジャスが連絡を取っていたのだろうか。
また痩せたんじゃないかしら。ずいぶんと痩せているせいか、丸眼鏡がずれ落ちている。前から痩せていたし、ちゃんと食べているのか不安になる。
「ああ、アルト。久しゅう。どうしてた?」
ジャスとアルトはハイタッチする。
「どうしてたも何も! やっと査読が終わってホッとしていたっていうのに! そこにオマエらがまたトラブルを持ち込みやがって!」
トラブル……そうね。トラブルには間違いない。
「ウィズも……疲れているっぽいが、大丈夫か? こんなアホの面倒を見るのは大変だろう?」
「ええ。今回、トラブルを持ち込んだのはあたしの方なんだけどね。なんか光源人に追っかけられているの」
「ほう……。光源人か。そりゃ、面白い。詳しく聞かせてくれ」
アルトは興味を持ったようで、目を少し光らせた。
「そこの奥の嬢ちゃんも一緒においで。このラピスラズリのアホ兄妹に付き合わされているから、ここにいるんだろうし。お茶の一杯でもおごるよ」
アルトは光源人の話に興味津々のようだ。その前に、不満は言っておこう。
「アルト、一つ言っておくわ」
「なんだ」
「アホはジャスで十分よ」
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