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12、相続人

 八井田玄やいだげんの退去の手続きはひと段落した。

 この手続きは東言葉あずまことのはのチームが担当したが、慣れない作業が多く、部下はみな疲れをにじませていた。


「先輩、病院からっす」


 後輩の男が電話機を持って言葉のもとにやってきた。後輩の顔には疲れがにじんでいた。


「八井田さんの身元引受人が見つかったらしいですよ。かなり遠い親戚らしいっすけど」

「そうか」


 言葉は電話機を受け取って対応した。


 八井田玄の両親は共に亡くなっており、親しい親戚はいずれもすでにこの世にいなかった。

 母方の姉の息子がいま台湾に住んでいることがわかり、明後日には日本に帰国するという。


 退去完了の書類と敷金はその息子に渡すことになった。


「八井田さんの預金通帳には八百万ぐらいの預金があったみたいですね。いいっすよね、棚から牡丹餅で八百万も相続できるなんて。おれにも遠い親戚いないっすかね」


 後輩の男は天井を見上げてそんなことをつぶやいた。


 ◇◇◇


 明後日、言葉は約束していたホテルのラウンジで、八井田玄の遠い親戚と面会した。

 親戚の男はスーツを着こなして、はつらつとした様子で伴侶を従えて現れた。

 八井田玄とは異なり、充実した社会生活を営んでいると見えた。


 言葉は礼をするとビジネスライクに話を進めた。

 男は斎藤と名乗った。


「一応、名前は聞いたことあったんですけど、会ったことは一度もありません。私の母はお姉さんとは仲が良くなかったようですね」


 斎藤は八井田家の者とは一度も会ったことがないという。八井田玄の母親が存命だった時からすでに交流はまったくなかったようだ。

 斎藤家はアジア圏で国際的なビジネスをしていて、斎藤はそれを継いで、いまは台湾で長く暮らしていると言う。


 斎藤にとって、八井田玄は赤の他人。形式上の親戚に過ぎなかったが、いまはその形式が重要だった。

 言葉は退去手続きが完了した旨の書類と敷金を斎藤に渡した。


「確かにお預かりしました」


 斎藤は形式的に書類と金を受け取った。


「人が亡くなるというのは色々大変ですね。これから金融機関でも手続きしないといけないんですよ」


 斎藤にとって八井田の死はまったくの他人の死だったが、形式上の関係のせいで、煩雑な手続きに追われる羽目になった。

 その見返りという形で、八井田の遺産は斎藤に引き継がれることになる。


 たかだか数百万円の預金程度とはいえ、突然の大きな収入だった。

 しかし、八井田の遺産の本流部分はそれではない。


 言葉は八井田の真の遺産について斎藤に話した。


「八井田さん、長らく小説を書かれていたようなんです」

「小説ですか? 八井田さんは小説家だったんですか?」

「いえ、作品が世に出ることはなかったようですが、これまでに積み上げられた原稿が残っていたんです」

「はあ、そうですか」


 世に出たのではないということで、斎藤は興味のない顔をした。


「法律上は知的財産権として相続されるものかと思います。原稿はすべて我々が預かっているのですが、いかがなさいましょうか?」


 言葉がそう尋ねると、斎藤は妻と顔を見合わせた。


「八井田さんは小説家ではなかったんですよね?」

「はい」

「でも作者が亡くなってるから価値が出るかもしれないってことですか? あの人、誰でしたっけ……ゴッホだったっけ? あんな感じになるものなんですか?」

「どうでしょうか。一応、原稿をお送りいたしましょうか?」

「そうですね、一応そうしてもらえますか?」

「わかりました」


 斎藤は一応受け取るという返事をした。

 これで、今日の用事はすべて終わった。

 しかし、言葉は一つだけ個人的に確認したいことがあったので付け加えた。。


「あの、八井田さんの葬儀についてはどうなさるのですか?」

「幼馴染がお坊さんをやってるそうなので、そこにお願いする予定です。家族葬……この場合はそれ以下になるでしょうけれどね」

「そうですか……」


 言葉は異例の頼み事をした。


「あの、葬儀の場に私も出席させていただけないでしょうか?」

「え? いやまあ、それはいいですけど。不動産の人ってそこまでするもんなんですか?」

「業務の範疇ではありませんが、長い間入居していただいた恩がありますので」


 言葉はそう言ったが、客としての恩以上に八井田に関心を持っていた。

 八井田の遺産を読破した唯一の人物として。


「あなたのような美人が出席していただければ、八井田さんも喜ぶでしょう。ぜひ、お越しください」


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