11、異変
八井田玄は四十三歳になった。
ここ最近、玄は心に異変をきたすようになっていた。
最初は独り言をつぶやくようになった。
やがて、夜中に大きな悲鳴を上げるようになった。
そして、完全に精神障害の兆候が表れ始める。
部屋で一人、玄はおかしな笑い声をあげていた。
パソコン画面には、先々月に応募した小説新人賞の一次選考の結果が映し出されていた。
そこに玄の名前は見当たらない。
しかし、玄は悲願を達成したような興奮の状態になり、笑い声が止まらなくなっていた。
「記代子さん、見えるかい? ほら、見てくれ。僕の名前があった。僕が大賞を取っただ。僕、ついに小説家になったんですよ。ついに夢が叶ったんですよ」
玄は天井を見上げて、誰かに喜びを伝えた。
天井には小さな蜘蛛が一匹へばりついていて、ぴくりとだけ動いた。玄はそれを別の何かと捉えていたようだった。
「記代子さん、そんなところにいないで降りてきなさい。今日はごちそうにしよう。お酒も高いものを用意しないと」
玄はそう言うと、ふらふらと立ち上がった。すでに酔っ払っているのか足元がおぼつかず、そのまま転倒してしまった。
そのまま、玄は眠りについた。
翌日、玄は職場に行くと、特に親しくはなかった従業員たちに、夢が叶ったという吉報を吹聴してまわった。
「聞いてください、広崎さん! 僕、小説家になったんです。僕の小説が認められたんです」
「え、そうなんですか? 八井田さん、小説を書いていたんですか。それは良かったですね。ぜひ、一冊購入させてもらいますよ。ちなみに作品の名前は?」
「吾輩は神なのだぁ。わはははははは。神なのだ、神なのだ、どうですか、私は神様でしょう? 私が世界を創ったのですよ」
「はあ?」
この調子で、玄はおかしなテンションで一日を過ごした。
◇◇◇
玄が応募した新人賞のすべての結果が出た。
大賞 「やい、このゲス野郎!」 作:花田寿
佳作 「燈篭」 作:皆川善次郎
ゲスト特別賞 「白昼から酒、どぉにかなるさぁ~」 作:鈴木浩平
当然ながら、八井田玄の名前はどこにもなかった。
玄はその結果を見て、珍しく激昂した。
彼は感情に任せて、すぐに出版社に電話を入れた。
ややこしい誘導電話に玄はさらに怒りを募らせた。
「もしもし、こちら小説賞桜のお問合せを受け付けております」
「あのですね、どういうことですか!」
玄は声を荒げた。
「どうかなさいましたか?」
「どうもこうも、私の名前がないのですが! おかしいじゃないですか!」
「えーっと、第十四回応募の件でございますか?」
「そうです。私は小説家になったのです。なぜ、私の名前がないのか。あなた方は失礼だ! すぐに訂正してください」
「あの……応募者の方でよろしいですか? お名前をお聞かせいただいてもよろしいですか?」
「大賞を受賞した八井田玄です。にもですね、ホームページには別の名前になってるんですよ。どういうことですか!」
「八井田さんですか……えーっと少しお待ちください」
「早くしてくださいよ!」
スタッフが応募者の名簿を確認した。
「えーっと、八井田玄さんでよろしかったですか?」
「そうです! 大賞を受賞したのに、私の名前がなかったんですよ」
「あの……申し訳ないのですが、八井田さんの作品は一次選考で落選となっているようです」
「なにぃ?」
「はい、こちらで確認したところでは」
「なんと失礼な! 私は大賞を取ったんだ。それを一次選考で落選ですと? 編集長を出せ、お前じゃ話にならん!」
玄はさんざん喚き散らしたあと、電話を切られ、着信拒否扱いになった。
通話は途絶えているにも関わらず、小一時間、玄はわめき続けていた。
「私は小説の神様です。文学を完成させたのです。そんな人間を軽んじる人間が文学に関わるんじゃない。あなたは神聖なる文壇を侵した罪悪人だ!」
玄の大きな言葉の後に続くのは、不通の点滅音だけだった。