10、ミニうさ出版
東言葉は親友の吉田うさぎとカフェで会った。
うさぎは言葉が大学在学中に出会った友人の一人で、文芸サークルを立ち上げるきっかけ作りをしてくれた存在でもある。
これまで、うさぎには多大な迷惑をかけてきた。
言葉の度重なる問題行為のたびに、うさぎが助けに来てくれた。
自殺未遂のときも、殺人未遂のときも、うさぎの助けがなければ、言葉はこの場に存在することができなかった。
うさぎは大学院まで出た後、自らが在学中に立ち上げた「ミニうさ出版」の本格的な経営者になった。
当時は言葉もその会社に参加する予定だったが、これ以上迷惑をかけるわけにはいかないと思ったので、言葉は大学院に進まず、大学を出た後に大手出版社に就職した。
ミニうさ出版は電子書籍を中心に扱う小さな出版レーベルとして始まった。当初は「東大生のうさ耳講座」という大学受験問題集が小ヒットしていた。
その後は事業が拡大し、大手出版社傘下の中堅レーベルと同じスケールに成長した。
「久しぶり」
うさぎは言葉と向かい合って笑みを浮かべた。
会社の経営者というより、メイドカフェに出て来るメイドのような雰囲気があった。
言葉はしばらくうさぎの笑顔を見つめていた。
「あなた、歳はいくつになったの?」
「えー、何言ってるの。同い年だよ。四十三歳。女、最後の輝きの年だね」
「同い年か……」
言葉はこの歳になっても学生時代から大きく変わらない旧友をうらやましく思った。
「仕事は順調なの?」
「それなりだな」
簡単に世間話をした後、言葉はうさぎにある頼みごとをした。
「ひとつ仕事を依頼したいんだ。かかる費用はこっちで出すから」
言葉は八井田玄の遺産の一部を取り出した。
「言葉さん、小説を書いているんですか?」
うさぎは少し驚いた様子を見せた。
うさぎが言葉の殺人を止めたとき、言葉はうさぎにはっきりと述べていたことがあった。
二度と小説を書かないと。
その言葉は強い決意のもとで述べられたものだったから、うさぎも言葉の前では決して本の話をしなくなった。
けれど、言葉が取り出したものは紛れもなく小説の原稿だった。
「いや、これは私の作品ではないんだ」
「ひょっとして」
「いや、あいつのものでもない。これは私が新しく見つけた新種の花だ」
「はあ……色々見つけてくんだね」
「どうだろう、この原稿を出版してもらえるだろうか?」
言葉は真剣な表情で依頼した。
うさぎはすぐに返事をせず、注文していたスムージーをすべて飲み干した。
「言葉さんが心打たれた作品なら間違いないと思うけど、いったい誰の作品なのですか? それだけは知っておかないと」
「実は私も良く知らない。尋ねようにも作者はもうこの世にはいないんだ」
「うーん、そっか……訳ありか。でも面白そうだね」
「いや、とてもつまらない作品だ。出版してもまったく売れないと思う。でもポテンシャルとしては、ゴッホやニーチェと同じレベルかもしれない」
「見せて、読みたい」
うさぎは笑顔でお願いをした。
「まだ完成したものではない。もう少し待て」
「原石のままでいいよ」
「ダメだ」
「いじわる」
うさぎは目をとがらせた。
言葉は頑なに原稿の中身を隠し通すつもりだった。
意思の押し付け合いになると、いつどんなときでも言葉が勝った。
言葉は自分が納得する最高の形を見つけるまで、この原稿を隠し持っておきたかった。
「わかったよ。待つ。出版もしてあげる」
「すまんな、お前にはいつも世話になっているな」
「そうそう、感謝してよね。私、ずーっと超いい人をやってきたんだから」
本当に頭の下がる思いだった。
◇◇◇
うさぎはミニうさ出版の情勢を言葉に話した。
「うちの去年の電子書籍事業の総ダウンロード回数が345万回」
「堅調に伸びているな。良かったじゃないか」
「でも手放しには喜べないのよ」
うさぎはいくつかの問題を抱えていた。
「345万回のうち、ある二作品だけで320万回を占めているの。つまり、それ以外は瀕死状態ってわけ」
うさぎは作品の売上格差の大きさを問題視していた。
どのレーベルにも「エース」と呼ばれる人気作家がいるものだが、ミニうさ出版はたった二人の作家の独壇場なのだという。
「ガールズロックの空乃彼方さんの高校時代の失恋を描いた私小説「虚空の舞台」が全体の240万回を占めてるの。歌手のパワーにはびっくりだよ」
うさぎはガールズロック界のスター空乃彼方を説得して、小説家としてデビューさせていた。
うさぎ本人が作品のほとんどを執筆して完成した「虚空の舞台」は電子書籍、一般書籍の累計で400万部以上を売り上げるベストセラーになっていた。
空乃彼方の知名度が抜群に売り上げに貢献したようだった。
「あと、漫才コンビの「プロトタイプ」の幻のネタを収録した「プロトタイプオブプロトタイプ」が全体の80万回。その辺の小説家じゃ勝負にならないパワーだよね」
M-1グランプリを制して話題性のあるうちに出版されたこの作品も高い人気を誇っていた。
「私の最高の自信作「恋愛未来予想図」はたったの8300回よ。つまり、うちは有名人の知名度に支えられているだけの会社なのよ」
うさぎは自分の自信作が売れず、知名度の高い有名人の作品ばかりが注目される現状に不満を持っていた。
「文学賞も話題性一辺倒だし、このままだと小説家という職業はなくなっちゃうかもね。言葉さんはどう思います?」
「しかし、そのおかげで会社が成立しているんだろ?」
「それはそうですけど」
「他の業種もCMに有名人を起用しているだろ? 政治家も有名人の当選率が高い。何も不思議なことではないさ」
言葉は知名度一辺倒になっていく現状に特に不満を持っていなかった。
「これからはゴーストライター全盛の時代が来るだろうよ。人間が書いて、猫が売る」
「そんな文学界ヤダー!」
うさぎは時代の変化を受け入れられなかった。