55話 訓練生最後の日(1)
「アオイ嬢は遅れてくるらしい。いつ来るかわからないから先に始めてよう」
現在、ハルトマンの目の前にはヴェンツェルが座っている。
訓練生として最後の集まりがあったこの日、実地訓練での第5班で集まろうとヴェンツェルに声を掛けられた。全快祝いと称されると断りづらく、ハルトマンは仕方なしに参加した次第である。ただ、ヴェンツェルが言うように蒼は用事があるようで、この場には二人しかいない。
全快祝いということもあってか、店は一般の騎士が使うにしては少し高めの個室がある店だ。第5班は後ろ盾や養子を含めればみな貴族出身なので、そちら目線で考えると特に高級店といったところでもないのだが。
「今日は私が全部出すから、遠慮せず好きなものを頼むといい」
ハルトマンはヴェンツェルがかなり苦手だった。リーダーとしては冷静沈着で、戦闘力で見てもハルトマンとは比べ物にならないくらい強く、優秀な男であるとは思う。ただ、張り付けた笑顔で本心が見えず、考えの読めなさが不気味だった。
特に深い意味はないのだろうが、この言葉にすら裏があるのではないかと疑ってしまう。自分の現在の状況を知っていて、すべて見透かしているのではないかと。
そもそも、蒼が遅れてくるこの状況すらこの男が作り出したのではないかと。
正直、あれから疑り深くなってしまっているのは否めないので、考える事を止める。
「酒があれば後は何でもいい」
「わかった」
ヴェンツェルはメニューに軽く目を通すと、直ぐに店員を呼び注文をする。
二人分のグラスと1本の酒瓶、少しばかりの肴が並んだところで、特に乾杯などせずに飲み始める。
気まずい雰囲気から抜け出したく、度数も値段も高い酒を味わいもせずに一気に飲み干せば、すかさずヴェンツェルが瓶を差し出し注いでくる。向こうのグラスも空になっていたので、そのまま酒瓶を受け取りヴェンツェルのグラスにも注いでやる。
二人が飲む酒は日本で言うところのウイスキーなので、本来はストレートでこんなに勢いよく飲むような酒ではないのだが、お互いグラスを空にしては注ぎあうのを止めない。無言でこの応酬を繰り返し、1本空にして追加注文をしたところでようやくヴェンツェルが口を開く。
「体の具合はどうだい」
顔色一つ変わっていないヴェンツェルに対し、大分きているハルトマンはそれを隠すように平然を装いながら答える。
「問題ない。優先して治療してもらったおかげで、多少跡は残ったが後遺症もなく完治している」
「聖女様に直接治療してもらったそうだね。うらやましい限りだ」
あの地獄の痛みを味わってから言って欲しいが、この男は聖女に治療してもらえるなら平気で耐えそうだ。
ハルトマンは自身があまり信仰心を持っていないことを自覚しているが、異世界から来たにも拘らず強い信仰心を持つヴェンツェルに異常性を感じる。
目の前の男は本気でうらやましそうな目で見つめてきている気がした。
会話が弾むことはなく、男二人で静かに酒を飲む時間が続く。
ハルトマンは少し飲むペースを落として、苦手だったはずの蒼が早く来ることを願った。
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「遅れてすまない」
「来ちゃった」
蒼が来たのは、殆ど空酒をしていたハルトマンがだいぶ出来上がってしまったころだった。
「アオイはともかく、なんでお前が居るんだ、ジーク」
ハルトマンが睨み付けるが、気にする様子もなくハルトマンの隣の席に腰を下ろす。
「ちょうどアオイちゃんと帰りが一緒になったからさ。一人増えたって別にいいじゃないか、人数多い方が楽しいし」
そのやり取りを見た蒼がヴェンツェルの方を不安げに見る。
「ジークを連れてきたらまずかったか」
「いや、別に問題ない。今日の会計は私持ちなのだから、ハルトマンに文句を言う筋合いはない」
「ヴェンのおごりか。じゃあ好きな物頼もうっと。アオイちゃんは何頼む?」
ジークはメニューを開いて吟味を始めた。もちろん蒼への声掛けも忘れない。
かくして、全快祝いと称された飲み会は始まった。
もうちょっと続きます。




