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探偵・渦目摩訶子は明鏡止水  作者: 凛野冥
【明の章:あみだくじの殺人】
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4「影も幸も薄い使用人の証言」

    4


 容疑者はひとりに絞られている――摩訶子はそう云った。つまり犯人の目星がついているということだ。まだ犯人と断定はできないにせよ……山の八合目……解決を意味する頂上が見えている……。

 本当だろうか? 俺の知り得ている情報だけから、そこまでの推理が可能だろうか? それとも摩訶子は、俺にはない何か有利な条件を持っているのだろうか? 自らを明鏡止水の探偵と自称する彼女……しかしこちらからは、その真意をまるで見通せない。

 彼女はそれ以上のことは何も教えてくれず、言外に俺からの質問を拒絶したまま、中庭と娯楽室に挟まれた廊下を進んで行く。中庭は東のそれも西のそれも全面がガラス張りとなっており、出入りはできない。現在は吹雪のために、対岸の廊下の様子はよく目を凝らさない限り見られなかった。

「まずはじめに母上を訪ねる」

 早熟の女子高生探偵はその言葉どおり、裏庭に面した使用人室の前までやって来た。

 渦目かしこは、二十年ほど前から〈つがいの館〉に住み込みで働いている使用人だ。年齢は五十前後といったところ。館での家事全般、住人の世話、食料や日用品の買い出しまで、すべてをひとりで担っている。給料は自分ではほとんど使わず――使う機会もあまりないのだろう――、主に摩訶子の養育費として、彼女を預かっている実家に納めているそうだ。

 摩訶子が「摩訶子です」と名乗りつつノックすると、ややあって解錠の音が小さく響き、扉が開かれた。白と黒のエプロンドレスに身を包んだ、控えめな印象の女性が現れる。

「摩訶子……それに茶花お坊ちゃん、どうぞお這入りになってください」

 俺がいるからだろう、かしこは頭を下げて俺らを通すと、丁寧ていねいに扉を閉めた。だが本心では待つ間ずっとソワソワしていたと見え、心配そうな表情を浮かべながらすぐに娘へ言葉を掛けた。

「大変な役を任されてしまったわね。大丈夫なの……?」

「いつもと変わりませんよ。経験のないシチュエーションではありますが、舞台や関係者が限定されていて動かないというのは、シンプルで良いとも云えます。それに関係者の中に母上がいる。長らく山野部家に仕えている者としての忠義もあるかと思いますけれど、ここでは知っていることを隠さず話してもらえると助かります。それは必ず事件の迅速な解決へと繋がり、山野部家のためにもなるのですから」

 母親に対しても、摩訶子の態度は飄々としたものだ。そこに関してはかしこも戸惑っていない様子で、探偵としての娘の姿はあまり意外でないらしい。

「分かってるわ。あっ……それよりも茶花お坊ちゃん、摩訶子が我儘を云って、迷惑ではありませんでしたか?」

「問題ないですよ」と俺は答えておく。愛想笑いになってしまったかも知れない。

 部屋には籐椅子が二つあるばかりで、かしこが強くそう勧めたため、摩訶子と俺が腰掛け、かしこは正面に立った。しかしながら、使用人室とは云ってもまったくそうは感じさせない。ひとりで使うには広すぎるくらいだし、家具も調度も上等そのものだ。

「では母上、貴女が此処の使用人となった経緯を簡単にご説明ください」

 摩訶子が訊ねると、かしこは何やら気を引き締めるように頷いて、使用人の口調で話し始めた。

「〈つがいの館〉が建てられて以来、ずっと使用人を務めていましたのは鍋元なべもとかやねというかただったそうです。そのかたが亡くなってしまって……もともと身体が弱かったのだと聞きました……それで森蔵様は次の使用人を雇うことになさり、父が私を推薦したのです。父はこの館に這入ることを許されていた数少ないかた達の中のひとりで、と云いますのも山野部家の専属家庭教師をしていたので御座います――そのころは丁度、瑞羽様が大学を受験なさるということで、父としても最後の務めに励んでおりました。また、当時の私は諸事情あって出版社での校閲の仕事を辞め、新しい職を探しているところでした。昔から森蔵様の小説を愛読していたこともあり、此処で働けるというのは私にとって願ってもないお話でありました」

 こんな状況にあっても、しっかりとした話しぶりである。改めて見てみると、若いころはきっと美人であったろうと想像される顔立ち。娘の容姿が良いわけだ。その一方でどこか薄幸そうな感じがして、少なくとも人を惹きつけるような特徴には欠けるあたり、前髪を下ろしていたときの摩訶子がこちらに近い――と云うか、やはりいまの彼女が突飛すぎている。

「なるほど。ならば母上が此処に来てから間もなく瑞羽も出て行き、それから母上が主に仕えてきたのは森蔵、林基、益美、稟音、史哲ということになりますね」

「さようで御座います」

「その五人、いえ、森蔵を除いた四人について聞きたいのですが、彼らの暮らしぶりで私達が知らない、何か特異な点はありませんか?」

 かしこの表情が曇った。「……と云いますと?」

「誤魔化さないでください。今、思い付いた事柄があったはずです。それを伺いたいのです。四人は、私や茶花くんや、あるいは名草や菜摘や彩華が此処にいるときには、意図して見せないようにしている振る舞いを、普段、使用人である貴女には見せているのではないですか」

 もはや母娘であるのは関係ない。かしこが見せた一瞬の隙を、決して見逃さずに衝く探偵・摩訶子。一体いつ彼女の調子が変わったのか、俺にも分からなかった。

 かしこは腰が引け、明らかにたじろぐ。

「そ、それは今度の事件には、きっと関わりがありません……」

「判断するのは私です」摩訶子は追及を緩めない。「貴女は教えてくださればいいのです。貴女にしかできないことです。貴女がすべきことです」

 かと思えば、彼女はそこで言葉を止め、あとはひたすら黙って待った。そうやってプレッシャーをかけた。

 かしこはチラチラと摩訶子を窺いつつ逡巡しゅんじゅんしていたが、やがては観念し、口を開かざるを得なかった。

「はい……。別段、口止めされていたのでもないのですけど……私が昔から不思議に思っておりますのは、つまり、林基様と益美様、稟音様と史哲様は、どちらもあまり仲が良いご夫婦ではなく……いえ……と云いますよりも……それぞれ互い違いとなる格好で、仲が良すぎるということなのです……」

 摩訶子はこれで期待していた答えが引き出せたらしい。さらに続けて、かしこの言質げんちを取りに掛かる。

「私達のような〈客人〉が来たときにはいちおうの夫婦の型を繕っていますが、いつもは林基と稟音、益美と史哲という組み合わせで一緒にいるのですね?」

 ようやく俺もハッとする――しかし、明快な感覚とは程遠い。何かがおかしいとは分かるのだけれど、よく説明できない。曖昧で生理的なものとでも云うべきか。

 かしこは再び少しの間をおいて、首をゆっくりと縦に振った。

「西のお部屋も普段、林基様と稟音様のご兄妹で使っていらっしゃいます……東のお部屋が、史哲様と益美様なのです……。それが〈お客様〉がお越しになりますと、稟音様と益美様が交代なさって、夫婦同士となるのです……。そうでなければ、どちらのご夫婦も、会話をなさることすら滅多に御座いません……。森蔵様もそれについて何かおっしゃったことはなく、〈つがいの館〉の暗黙の了解として、私も訊ねようとは致しませんでした……」

 俺は知らなかった。これまで全然、気が付かなかった。

 だって林基と益美にしろ、稟音と史哲にしろ、仲が悪そうだったり余所余所よそよそしかったりはしないのだ。俺らの前では、そうならないよう、演じていた? 思い返してみれば特別、仲が良さそうに見えたことも、強い絆を感じさせられたことも、ないんじゃないか……?

「秋文、未春、木葉、瑞羽、圭太は、それを知っていると思われますか?」

「圭太様については判断しかねますが……この館で育ちました方々は、ご存知と思います。どうやら林基様たちのそうしたお振る舞いは、私が此処で働き始めるずっと以前からのことみたいですから……」

 そこにはどんな意味があるのだろう。今度の連続殺人に、果たして関係があるのだろうか。

 摩訶子は「ありがとう御座います。質問は以上です」と告げ、立ち上がった。質問の数からすれば、俺が漠然と想像していたより随分と少ない。むしろかしこの方が、これで良かったのかと不安そうにしている。

「それから母上、どうぞ朝食を――昼食と云った方が適切な時刻になりますが――おつくりください。皆、空腹を感じているでしょう。ひとりで調理室にいようとも、母上が殺されることは絶対にありませんから、ご心配なく」

 その断言は、確たる根拠があってのものだと分かる。余裕と自信に満ちた態度から、そうと分からされる。かしこはそれでも何か云おうと、あるいは問おうとしたようだけれど、摩訶子は掌を向けて制した。

「信じて、見ていてください。私は必ず事件を解決します。母上」

「……ええ、分かったわ。摩訶子」

 かしこは深く頷いた。それ以上の言葉はもう要らないらしかった。

 両者が互いを見る眼差しには、母娘の特別な親しみが感じられた。



 使用人室から廊下に出たところで、俺は摩訶子に訊ねてみた。

「摩訶子の父親はどんな人なんだ?」

 離れて暮らしていても通じ合っている母娘の姿を見て、ふと気になったのである。摩訶子は何度か〈つがいの館〉に来ているが、父親が一緒だったことはない。

 彼女は、特に表情を変えもせずに答えた。

「母上は未婚だ。父について、私は何も教えられていないよ」

「あっ」と、思わず声が出る。迂闊うかつだった。察せて良さそうだったじゃないか。

 しかし謝罪を口にする暇もなく、摩訶子は続けてとんでもない内容を語った。

「もっとも、私を身籠ったころの母上は既にこの〈つがいの館〉で働いていて、外界との繋がりはほとんどないに等しかった。父親は山野部家の誰か――おそらく秋文だろうな。彼は昔からよく私を気に掛けている。この事件を解決する機会が私に与えられたのも、彼の提言によってだったね」

 俺は絶句して、足を止めた。だが摩訶子は気にせず、廊下を先へと進んで行く。

 今の話……冗談では、ないのか……? あんな平気そうに……いや、聞かされたばかりの俺とは違うのだ……彼女にとっては、自らの出生にまつわる事情……とっくに受け入れているということなのか……? 彼女の年齢とかしこが使用人となった時期……館を出た秋文だって別に絶縁していたのではない……帰ってくることは何度もあっただろう……こうやって考えてみれば、充分にあり得る話だ……。

 何なのだ。このことにしても、林基たち夫婦のことにしても、俺がまったく知らないところで、山野部という家の怪しい秘密が渦を巻いているようじゃないか。

「どうしたんだい、茶花くん。次は林基を訪ねるよ」振り返った摩訶子は、微笑している。

 俺はまるで無知な子供だ。自分の周りには、隠されたものなんて何もないかのように思い込んでいた。疑おうとしなかった。今の今まで、そのことにすら気付かなかった。

 同い年であるというのに……摩訶子と俺との間には、途方もない距離があいている。

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