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探偵・渦目摩訶子は明鏡止水  作者: 凛野冥
【水の章:聖なる夜へ向けた計画】
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2(2)「妄執に囚われた黒幕の証言/下」

「種仔さんは稟音を産んだ直後に、森蔵のもとからやっと逃げ出したそうだ。幼少期から森蔵に支配され続けてきた彼女にとって、これは大変に勇気が要る決断だっただろう。そうして心の傷もいくらか癒えてきたころに僕と出逢ったわけだが、そこで僕と一緒になる前に、真面目な彼女は自らの過去にけじめをつけなければならないと考えたらしい。だからひとりで、森蔵のもとへと向かった。そして自分の身にもしものことがあった場合に備え、一ヵ月後に僕へ手紙が届くよう手配していたんだ。

 つまりそれが届いたってことは、もしものことが起きてしまったんだね。彼女はそれきり帰ってこなかった。僕は森蔵の身辺をこっそりと探ったが、種仔さんの影はなかった。森蔵は妹なんてはじめから存在していなかったように振舞っているし、どうやら彼女は殺されてしまったんだと察せられたよ。

 手紙の最後はこう結ばれていた――『貴方様のもとに戻ってこられなかったのなら、私はきっと死んでいるのでしょう。そのときはどうか、私のことはお忘れになってください。どうか私に縛られないでください。私は貴方様が幸せになることを切に望んでいるのです。ただ、かしこのことだけは、どうか宜しくお願いいたします。申し訳ありません。申し訳ありません。私の我儘をお許しになってください。愛しております。種仔より』――嗚呼、しかし僕が彼女を忘れて幸せになるなんて、できるはずがないじゃないか。

 僕は自分の一生を、山野部森蔵への復讐に捧げると誓った。かしこにもそう教え込んで育てた。森蔵が妹へ性的虐待をおこなっていて、さらには殺害した可能性さえあると世間に公表するのは大きなスキャンダルとして打撃を与え得ただろうが、それじゃあまだ生ぬるいと考えた。最大の効果を発揮できる方法を練り、時機を待ち、じっくりと準備することを決めたんだよ。だから監視し続けた。この〈つがいの館〉が建てられて、秋文たちの専属家庭教師が必要になったと分かると、教員免許を持っていた僕はそれを利用して此処に入り込んだ。自分の目的についてはひた隠しにしつつ、山野部家を近くから見ることが可能となった」

 腐臭の漂う食堂、席に着いて並べられた死体たち、その向こうで、己が半生――今度の連続殺人事件へと至る物語を、淀みなく語り続ける麻由斗。

 彼へ対する敵意や畏怖とは別に、聞き入ってしまう。事の真相に。遠大な告白に。

「この家には、つくづく驚嘆させられたものだよ。森蔵だけじゃない。皆が皆、兄妹同士で禁を犯し続ける。その隠蔽のために組み込まれた季瀬の姉弟においてもそうなんだから恐れ入るじゃないか。知ってのとおり、大学に入学した瑞羽が館を出たところで僕は家庭教師の任を解かれたけれど、代わりにかしこを使用人として推薦し、館の連中については彼女が、外の連中については僕がという格好で監視を続けた。すると今度は秋文がかしこを強姦して、子供も産ませた。これは近親相姦でこそないが、この家には腐った奴しかいないんだと思い知らされたね。

 僕の復讐の対象はいつしか、森蔵だけじゃなくて、山野部家全体へと向いていた。ここに来ると復讐という言葉も不正確だ。云うなれば、罰を与えること。この呪われた一族を歴史から葬り去ることを僕は考えた。そうしなければならないと、この家を何十年も見ていれば誰しもが思うんじゃないだろうか。これほどまでに悪しき家は、他に存在しないよ。

 しかしだ――ここが重要だよ、君たち――僕が今度の事件を先導したのは、復讐のためでも罰を与えるためでもない。事情が一変したんだ。土台からひっくり返されたんだよ。考えてみてほしい。この事件は森蔵の死を待ってから始まった。彼こそが当初の最大目標だったのにね。結果として山野部家は壊滅したけれども、ここにおいてそれは目的から手段へと、意味の度合いが低下している。役割を全うしてくれたという点で、僕は此処に並んだ屍たちに労いの言葉さえ掛けたいくらいだ。もはや憎しみも蔑みもない。そんな俗な感情は、この理の前ではとうに超克ちょうこくされているんだよ」

 彼は、惚れ惚れするかの如き溜息まで吐いて、死体たちの晩餐を見回した。

「よく分からぬなァ」と眞一郎。「すべては種仔の意思だとおぬしは再三繰り返すが、それは彼女に代わって山野部家へ鉄槌てっついを下したという意味ではないのか。半生を賭して準備を進めてきたおぬしが、いまになって目的を変えた理由は何なのだ」

「ん、思っていたよりも愚鈍だね、覇唐眞一郎。その理由の一部を、貴方にも読ませてあげたじゃないか。『渦目摩訶子は明鏡止水』だよ。それは僕の作じゃない。書いたのは種仔さんなんだ」

 さらりと告げられて、しかもその内容があまりに理解不能だったため、とうとう俺は戸惑い方にすら困る有様となった。これには眞一郎と摩訶子も、腑に落ちた様子はなかった。

 それをただひとり、理とやらを知っているらしい麻由斗だけが薄く嘲笑する。

「『~あみだくじの殺人~』と『~バラバラにされた海獣~』と『~選択するペルセウス~』の三章から成るその小説を僕が初めて読んだのは、今から五年前のことだ。種仔さんがそれを与えてくれた。もちろん、当初は僕も随分とショックを受けたよ。なにせ僕が長年やってきたことが、より大きな意思のための、単なるお膳立ぜんだてに過ぎなかったと云うんだからね。だが決して無駄ではなかった。必要でなかった事柄などひとつもない。万象はこの理に収束するよう定められていたんだよ。あまねく理解と把握を手にした僕は、とにかく誇らしくなった。喜び勇んで己が役割を果たそうと決めた。種仔さんの意思こそがすべてだ。僕個人の矮小なエゴイズムより、たとえ道化役に成り下がろうと、彼女の役に立てる方が格段に素晴らしいんだから」

「待ちなされ。種仔が死んだのは、まだ〈つがいの館〉も建てられてなかったころだろうに。彼女が何十年も先の未来を見越して、そこで実行されるべき殺人計画を伝える小説を記し、おぬしに遺していたと云うのか。愚にも付かぬ話だぞ」

 眞一郎は、俺の疑問を実に的確にまとめてくれた。彼の云うとおり、麻由斗が法螺ほらを吹いているとしか考えられなかった。

 この殺人犯は、きっと頭の調子がおかしいのではないだろうか。長い年月の中で肥え太り歪められた執念が、ありもしない妄想となってみ着いたのではないだろうか。

 くっくっく……と、殺人犯は可笑しそうに笑う。肩を揺する。

「そうだね。分かるまいね。だが、そうなんだよ。キリスト教式の西洋文化に侵食されて、人々はすっかり直線的な時間意識を基本としてしまった。陽はまた昇る、季節は巡る、自然本来の時間はこうして円環えんかんを成していくと云うのにね。このように一回的な出来事など存在しない世界では、〈復活〉もまた何ら特別なことではないんだ。イエス・キリストの死がその性質から円環的時間意識の隠蔽を要請したのは、人類最大の欺瞞だったと云えよう」

 何の話をしているのか。本当に分からせるつもりがあるのか。

 彼はただ、自分だけの哲学に酔い知れているだけではないのか。

「いざ実行の段になると、僕の仕事は大してなかったよ。『渦目摩訶子は明鏡止水』本編が開始されれば、メインとなって動くのはかしこや紅代だったからね。僕は本編中には名前が何度か出たのみだろう? ただし『~選択するペルセウス~』において行方をくらませる必要と、明示はされなかったけれど大事な任務として、史哲が警察へ駆け込むのを阻止する必要はあったね。さらには本編終了後――これは本編のラストで示唆されていることでもあるが――仕上げが残っていた。すなわち山野部家の生き残りを虐殺することだ」

 両手を広げて、死体たちを示す麻由斗。その語りは次に「とはいえ、」と続いた。

「来てみれば拍子抜けだった。既にこうして、状況は終了していたからね。僕が実際に手に掛けるのは史哲ひとりで済んだよ。まあ、これも理だったんだろう」

 何だと? 俺は唖然とする。今度は云い逃れでもするつもりか……?

 しかし摩訶子が――「これをやったのは圭太ですか」と問い掛けた。

 ああ、いや、気になってはいたのだ。はじめに見たとき、誰か足りないように感じた。以降は死体たちを注視しないように意識していたのだが……改めて見るとやはり、圭太の席が空いているではないか。

 ようやく思い至る。此処にある死体はどれも、銃殺されてはいないのである。玄関ホールには血のついた火掻き棒が落ちていた――あれが凶器だ。考えてみれば麻由斗はいくら若々しくても年寄りには違いないのだし、ひとりで複数人を相手取るには銃を使わなければ返り討ちに遭うだろう。麻由斗の背後の祭壇には、猟銃が立て掛けられている。彼が殺人犯だったなら、あれをあえて用いない理由はない。

「おそらくね」と頷く麻由斗。「警察を迎えるにあたって、此処の連中は全部の罪をかしこに押し付けようと決めていた。ならば倉庫に閉じ込めていた瑞羽と圭太を解放し、話を合わせてもらう必要がある。だが錠を開けたところ、圭太は既に狂ってしまっていた――大方、こんなところだろう。火掻き棒は倉庫にあったのかな」

「爺上が到着したときには、圭太は既に館を出た後だったのですか?」

「うん。車は揃っているようだし、足跡もよく分からなかったから、まだ潜んでいるかも知れないと思って警戒はしたがね。このとおり、何事もなく君たちを迎えることができた」

 彼は祭壇へ向かって行くと、猟銃を手に取った。

「ところで君たちについてだけれど……、」

 こちらに振り返り、ゾッとするほど優しく微笑した。

「安心していいよ。君たちのことは殺さない。少なくとも茶花くんと摩訶子は、理を受け入れてくれると分かっているからね。問題は覇唐眞一郎だ。もしも邪魔するようであれば、残念ながら殺す理由ができてしまう。どうかな、伝説の名探偵なら賢明さを期待できるかな」

「その問いに答えるためには、そろそろ理というやつについて話してもらわねばな」

 喉に痰が絡んだのか、苦しそうな咳払いを挟む眞一郎。

「……回りくどい男だよ。それとも推理して当てよと申すか」

「うん。夜は長いからね。それも一興かも知れな――」

 そこで突如、麻由斗が血相を変えて叫んだ。

「後ろだ、種仔さんッ!」

 反射的に振り返る。

 開けっ放しになっていた扉の向こうに、圭太の姿があった。

 振り上げた両手には大剣が握られている。

 その獣のような目が向いている先を知った俺は――咄嗟に彩華の肩を掴んで引き寄せようとして――直後に大剣が振り下ろされ――叫び声――肉が抉られる厭な音――彩華の身体から噴き出す鮮血――俺は彩華ごと後ろへと倒れていく――。

 脅迫的な早口でまくし立てる圭太の声が聞こえる。

「待っていたよ彩華と茶花。こいつはツヴァイヘンダーと云って十六世紀のドイツで傭兵が使用していたものだ。私に使われるためにあったものだ」

 身の丈ほどもある両手剣――何かに憑かれたかの如き血染めの圭太は、再びそれを不格好に持ち上げる――今度の標的は俺だ――もはや躱すことは叶わない。

「山野部の血を引く者は根絶やしにしないといけない。さながら民族浄化だ。これは正しいホロコーストなんだ。私に感謝しなさ――」

 だが銃声が響くと同時、圭太の頭部は破裂した。

 スローモーションな視界の中で、

 真っ赤な華を散らして、倒れていく彼の、その腹に、

 空中で半回転したツヴァイヘンダーが突き刺さり、

 狂人は串刺しとなって、床に打ち付けられた。

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