3(2)「その十二時間のうちに起きたこと/中」
秋文たちが至急、館内を隈なく調べ始めた。何者か、侵入者がいると疑ったのである。相手は殺人犯なのだから、捜索は大人の男たち――すなわち、秋文、木葉、圭太、名草の四人だけで行われた。ご老体である林基と史哲、まだ子供であると判断された俺、その他の女性陣は部屋に引き取り、内側から錠を掛けているように指示された。
捜索隊は秋文と圭太が西側と玄関ホール、木葉と名草が東側と食堂をそれぞれ担当したらしい。だが成果は得られなかった。何者も潜んでいない。荒らされている部屋も見当たらず、外に通じる扉と窓もしっかり施錠されており、無論、破られているそれもなかった。
彼らは皆を食堂に集めることにした。部屋で待機していた者達に呼び掛けて回り――第二の被害者が発見されたのは、このときだった。
未春が、彼女の客室にて、ソファーの上で死亡していた。益美と同じ絞殺。首に紐状のもので絞められた痕があったが、凶器は残されていない。今度は家系図が印刷されたコピー用紙に類するものもなかった。扉の錠は開いていて、窓の錠は掛かっていた。ソファーの位置がずれ、傍のローテーブルの上にあった花瓶が倒れていたけれど、これらは首を絞められた際に未春が抵抗してそうなったものと思われた。
発見者は木葉だ。またも夫が妻の死体を見つける格好となったわけである。ただちに報せが回って、全員が現場に集まった――もっとも、瑞羽と彩華は部屋の前まで来たのみで、死体を見ようとはしなかったと記憶している。時刻は十一時半だった。
生きている未春を最後に目撃したのは木葉と名草。彼らは捜索開始の前にまず東側のメンバーが部屋へ戻るまで付き添い、その際に部屋の中に誰も潜んでいないことと、窓が施錠されていること、中に這入った者が扉を内側から施錠する音を確かめていた。ちなみに西側のメンバーにしても、秋文と圭太が同様の確認をおこなっていた。
未春の殺害は、部屋にひとりでいた者達には可能だっただろう。捜索隊は常に廊下に目を光らせていたわけではないから、何処かの部屋に這入っている隙にでも、未春の部屋まで行って帰ってすることができたはずだ。また史哲と稟音に関しても、途中で一度、稟音の頼みで史哲が捜索隊――木葉と名草の様子をひとりで見に行っていた。二人によれば、倉庫を調べているときに彼はやって来たと云う。
捜索隊のメンバーについては、秋文と圭太、木葉と名草のペアはそれぞれ、未春が最後に目撃された時点から死体発見まで、共に行動していた。アリバイを認められるのはこの四人だけというわけだ。
「――いや、木葉のアリバイは成立していないよ」摩訶子が言葉を挟んだ。「捜索を終えて皆を呼び集めるにあたっては、木葉と名草は別行動だった。木葉は未春から、名草は菜摘からというふうにね。そして名草が史哲と稟音の部屋を出たときに、木葉が現場の扉から顔を出して凶事を報せたと云うじゃないか。つまり木葉はこの間に妻を殺害し得たと見做さなければならない」
「ああ、そうだった。失念していたよ」
それにしても、いくらすべての可能性を議論しなければとはいえ、決して知らない間柄でない己が一族を疑って掛かるというのは、少なからず受け付けがたいものを感じる。言葉で口に出していても、どこか実感が湧かず、まるきり見当違いのことをしているんじゃないか……とモヤモヤするのだ。
「後に第三の被害者となる名草はいいとして、秋文と圭太の二人に関しては共犯関係でない限り、未春殺害の容疑からは外せる。ちなみにそのケースを除くなら、共犯の線はまず考えなくていい。犯人は単独だろう」
「何か根拠があるのか?」
「次に出てくる名草・菜摘の殺害まで含めて、この連続殺人では堅固なアリバイを持つ者がいないのだ。共犯関係があるならそれを偽装し合うか、あるいは第一の殺人では片方の、第二の殺人ではもう片方のそれが成立するというような状況をつくるはずだよ」
「自分達だけアリバイがあってはかえって不自然だと考えた可能性は……ないか」
「うん。他の者達のアリバイは犯行を終えてみなければ知り得ない。大勢にそれがあった場合は窮地に立たされてしまうにも拘わらず、共犯者たちが共犯たるメリットをあえて放棄するなんて、衝動的犯行でないこの事件では考えられないことだ」
「単純になったのか複雑になったのか、よく分からないところだな……」
「ぼやいても仕方がないさ。それでは茶花くん、続けてくれたまえ」
摩訶子はずっと、俺を見詰め続けている。いささか話しづらいのだが……もしかすると俺も容疑者のひとりとして、表情の変化ひとつひとつに至るまで観察されているのかも知れない。
「未春の死は、人によっては益美のそれ以上に衝撃的だったみたいだ。これが連続殺人なのだと判明したからだろう……」
しかしながら、犯人が自分達の中にいるとは認めがたいと云う者が大多数だった。それは疑いが兆したことの裏返しでもあっただろうが、ともかく表面上は、捜索が不充分であり、犯人に隙を衝かれたのではないかと考えられた。事実、未春の殺害は木葉と名草が気付かないうちに遂行されたのだ。部屋を順々に検めていくやり方では、犯人もまた移動することによって躱されてしまう。
そこで再び、今度は完璧な捜索が行われた。捜索隊も西側に林基、東側に史哲が加わってそれぞれ三人体制となり、決して入れ違いが起こらないようにひとりが廊下に立つなどの配慮が為された。また、他の人々は全員が食堂に集まって待機した。これにより、何者が潜んでいるにせよ、捜索を躱すことは不可能となった。
だが結果は、前回と同じであった。捜索隊は何の収穫も得られないままに玄関ホールにて合流し、六人揃って食堂に現れた。果たして〈つがいの館〉には山野部家の一族と、あとは渦目母娘しかいない。そしてその中に、益美と未春を殺した犯人がいる。
皆は認めざるを得なくなった――少なくとも、内部犯の可能性について疑い、検討しなければならないとは認めた。
未春の死の状況から考えても、そうなのだ。益美の場合がどうだったかは分からないが、未春の方は明らかに、自ら錠を開けて犯人を部屋に入れた。そのまま騒ぎ立てることもしないで、ソファーの上で絞殺された。首を絞められる段になってようやくいくらか抵抗したようだけれど、もはや声を出すのは叶わなかったし、この音を隣室の彩華が耳にしなかったのは無理からぬことだろう。石造りの壁は防音性が高いことに加え、犯人が部屋を訪ねた際にしたと思われるノックの音まで含めて、その程度は外の吹雪の音でかき消されてしまったに違いない。とまれ、犯人は未春にとって、自分の部屋に現れてもおかしくない人物だったのだ。外部犯の線は考えにくい。
ここで一同は長テーブルを囲んで席に着き、状況の整理とアリバイの確認をおこなった。玄関扉の鍵と全部屋のマスターキーはかしこが常に携帯しており、玄関扉の方にはもうひとつ合鍵があるものの、これは森蔵の部屋に保管されているのを林基が確認している。裏庭に通じる二つの裏口は内側から施錠できるのみで鍵はない。さらに外は猛吹雪で近くに民家や小屋の類もない――ガレージでは寒さを凌げないだろう――から、〈つがいの館〉の密室性はより堅固なものと見做された。アリバイは、ここまで俺が語ってきたとおりである。認められるのは秋文と圭太くらい。他は皆が容疑者と云わざるを得ない。
場の空気は重く、緊張しており、不毛な云い合いが始まりそうな兆しも見られた。そこで林基が、時刻も遅い――日付が変わって午前一時を回っていた――ので、続きは朝にしようと提言。すっかり疲れていた皆はこれに同意し、それぞれ部屋に戻って休むことになった。こんな状況でよく眠れた者がどれだけいたのかは疑問だが……。
「……午前九時に再び食堂に集まると決め、この夜の出来事はここまでだ」
「ご苦労。未春の死体発見時のことに戻るが、ここでも史哲が最も死者に対する感情を激しく表していたね」
なぜか、摩訶子は随分とそこにこだわる。各人の事件への反応が判断材料のひとつになるとは分かるけれど、物的証拠と違って明快な手掛かりではない。何を考えているのだろう。
「兄の秋文は痛ましいとばかりに目を閉じていたが、肉親の死という特別な感じには欠けていた――これは母・益美の死体を前にしたときも同様で、神父としての振る舞いにとどまり、山野部秋文という裸の人間の姿を曝け出しはしなかったという意味だ。夫の木葉なんか実に薄情なものだったな。お得意の皮肉っぽい笑みさえ浮かべていたくらいだよ」
「木葉さんはともかくとして、秋文さんだってもう四十代中頃の大人だ。分別というやつじゃないか? 史哲さんがああも泣くとはたしかに意外だったけど……別に責められることじゃない。そういう人なんだろう」
「しかし茶花くん、話を先取りするようだが、今朝に名草と菜摘の死体を立て続けに見た史哲はほとんど無反応だったのだよ。その死を私達に報せたのも彼だった。ひと晩おいて冷静になったのだろうか? 疲れきったか、あるいは感覚が麻痺してしまって、泣くことができなかったのだろうか?」
「そうだったとしても、別におかしくはないと思うけどな。さっきだって、史哲さんは心ここにあらずな様子だった」
「さっき――そう、さっきの彼の発言を憶えているかい? 『益美さんと、未春を殺した奴を、赦してはならない』――名草と菜摘のことは忘れてしまったかのような物云いだ」
「それは……そうだな……」
たしかに何か、引っ掛かる。名草と菜摘は〈つがいの館〉で育ったのではない。つまり史哲にとっては、この二人は益美や未春と比べて共に過ごした時間が少なく、思い入れも薄かったかも知れない。しかし、だからと云って、そう露骨に異なるものだろうか。
「どういうことなんだ、渦目。君は――」
「摩訶子でいい。そう呼んでくれ」
「……摩訶子、君はそこに、事件の真相に繋がる何かが隠れていると考えてるのか?」
史哲が怪しい? それとも史哲は潔白? 益美・未春が殺された夜と名草・菜摘が殺された朝の間に、何らかの変化が史哲に訪れた? 彼は何かを知った? 何かに気付いた?
「茶花くん、山を考えてみたまえ。三合目にいる君では、八合目にいる私が臨む景色を見られるわけがないのだ。無理に気を急くと、登るルートを間違えて思わぬ遠回りとなったり、道に迷ったりするかも知れないよ」
その口調の澄ました感じから思わず納得させられかけるが、単にはぐらかしているだけだ。彼女は「さ、」と掌を俺へ差し向ける。
「夜が明けて、新たな惨状がその姿を現した。そうだろう?」
「ああ……」追及しようとしても無駄と分かった。話を進める他なさそうだ。「名草さんと、菜摘姉さんの死だな……」