10「まだ本当の苦しみを知らない分際」
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すっかり深夜だ。林基たちは部屋へと引き取って行き、俺らも就寝することになった。こんな館から早く出て行きたいのはもちろんだし、今度こそ二度と戻ってきたくないけれど、朝になるまでは待たなければならない。
シャワーを浴びた俺が客室に帰ると、ベッドの上では夕希が座って待っていた。
「摩訶子探偵をひとりにしてあげた方がいいと思いましてね。いくらあの人でも、今回はさすがにナイーブでしょうから」
「それはそうだが、俺のところに来なくたっていいだろう。客室はあまってるぞ」
「茶花先輩と寝たいんですよぉ」
「じゃあ……俺はソファーを使うよ。云っておくけど、すぐに寝るからな」
暖房が効いているので毛布も要らない。俺はソファーに寝そべった。
「もぉ。つれませんねぇ」夕希がこちらに歩いてきて、不満そうに頬を膨らませた顔が俺を見下ろす。「それからこれ、お返ししておきます」
彼女がポケットから取り出して見せたのは、俺の靴紐だった。
学校の下駄箱に入れておいたところ、片方だけ抜き取られたそれである。
「お前だったのか……」
他愛ない真相に呆れながら受け取って、そこで俺はピタリと、静止、する。
不意に思い出したのだ。益美と未春と名草と菜摘の殺害に用いられた紐状の凶器が、まだ、発見されていないことを。
なぜ――? 分からない。関係ないはずだ。この靴紐が、その凶器だなんて、そんなおかしな話……違う、関係ない……犯人はかしこだった……夕希がこれを盗んだのも、今になってそれを返してきたのも、まったく関係のない、単なる悪戯に過ぎない…………。
「えへへへへ。悩めぇ、悩めぇ。えへへへへへ」
夕希は妖しく笑う。嘲笑う。
「まだまだですよぉ茶花先輩。えへへへへへ。絶対に逃がしませんからぁ。えへへへへへ。次こそはメドゥーサの首、ちゃんと持ってきてくださいねぇ。えへへへへへへへ」
【鏡の章:バラバラにされた海獣】終。




