3「町に描かれた七つの大罪」
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俺が着替えを済ませてリビングに来ると、沙夜は家族兼用のパソコンを起動していた。
「茶花くんって山野部森蔵の曾孫だよね?」
「まあそうです」応えつつ、沙夜の隣まで椅子を移動させて座る。
「あたし、大ファンなんだー。山野部一族とこんなふうにお近づきになれるとは欣喜雀躍ね。その点においては夕希グッジョブって感じ」
「沙夜さんの方は、夕希から俺のこと聞いてたんですか?」
「まったく。だから驚いちゃった。付き合ってんの?」
「恋愛関係ではないですよ。あの書き置きの内容じゃ誤解されても仕方ないですけど」
夕希が云うところの〈秘密の関係〉。俺らは放課後――〈特別な時間〉――に二人で会い、プラネタリウムなり図書室なり屋上なり校舎裏の山なりで共に過ごす。場所はあまり大事ではなくて、基本的には夕希が取り留めのない内容を喋り、俺はそれを聞いている。日常と切り離された不思議な時間。このごろでは俺も心地良さを見出していた。
「だと思った。夕希が無理矢理、付き合わせてるんでしょ。ご苦労様ねー」
さすが姉だけあって、妹のことをよく理解している。
「俺の家はどうやって分かったんですか?」
「ん、この辺に山野部一族の人間が住んでるってのは知ってたんだよ。大ファンだって云ったでしょ? 表札見つけるのにも苦労はしなかったかな。――あった、これこれ」
沙夜が指差す画面を見ると、今朝のニュース記事が映し出されていた。『香逗町内に現れた謎の落書き複数』――地方レベルの記事だけれど、なかなか盛り上がっているらしい。
「要約すると、今朝になって町内のあちこちから落書きが発見されたの。どれも二階から五階建てくらいのアパートの屋上に描かれてて、周りにあるもうちょっと高いアパートとかマンションとかの住人が上から見つけたのね」
記事には写真も添えられていた。沙夜が云ったとおり、何の変哲もない小さなアパートの屋上を上から映している。三枚、別々の場所で、描かれているのは絵というよりただの線だった。それぞれ紫色、黄色、緑色のペンキが、模様とはとても思えない不自然さで目に映える。
「注釈に書いてあるけど、アパート名は〈SPERO HORTUS〉〈メゾン・トリトマ〉〈磯濱浦マリンベル〉。もちろんこれだけじゃないよ。他にも三件……写真は出回ってるからちょっと待って。ああ、これ〈空蝉荘〉……ん、これはあたしが調べたときはまだなかったんだけど、じゃあ出揃ったんだなー……〈ヴィラ・アイリスB〉ねー……」
写真が次々と表示されていく。七つ揃ったところで沙夜はバックパックからノートと筆箱を出して机の上に開き、それぞれのアパートを上から見た形と、其処に描かれた落書きを種々のペンを使ってそのとおりの色で写してみせた。最後にアパート名を下に書き込んでいき、とても見やすいかたちで整理が完了する。
〈メゾン・トリトマ〉が黄色。〈空蝉荘〉が赤色。〈マクベス横田〉が藍色。〈SPERO HORTUS〉が紫色。〈カナエ・サウスシャトー〉が桃色。〈磯濱浦マリンベル〉が緑色。〈ヴィラ・アイリスB〉が青色。
これを見れば、沙夜が云わんとしていることは容易に察せた。
「数も色も、夕希の記述と一致していますね。落書きはあいつの仕業ですか」
七つの大罪――暴食、色欲、強欲、憤怒、怠惰、傲慢、嫉妬――キリスト教において、人間を罪に導くと考えられた欲望や感情。対応する色や身体の部位なんて定められていないはずだけれど、そこは夕希オリジナルなのだろう。
「間違いないねー。落書き事件がニュースになったのは今朝で、あたしが書き置きを見つけたのも今朝。事件を知った夕希がそれを内容に組み込んだって前後関係は成立しないでしょ」
「書き置きを発見したのは何時頃なんですか。あと、夕希を最後に見たのは?」
「昨日の夜までは家にいたよ。久し振りに二人で夕食とったし――ほら、あたし大学生だからさ、一昨日が年内最後の授業で、昨日から実質冬休みなんだよね。そんで実家に帰ってきてるの。最後に見たのは十時前後だったかな、あたしが寝た時間だから」
「何か様子が変だったりはしなかったんですか」
「常にどこかしら変な奴だからなー……気付かなかったよ。書き置き発見は今日の九時過ぎね。せっかく朝食つくってあげたのに起きてこないんで、部屋まで呼びに行ったらもぬけの殻。残されてたのがその怪文書だったわけ。あいつは携帯持ってないから、連絡も不能」
俺は預けられた書き置きを改めて眺める。落書きと併せて考えても、抽象的と云うか観念的で、要領を得ない。
「……額面どおりに受け取るなら、夕希の身体がバラバラにされて、落書きが見つかった七つのアパートにそれぞれ置かれてるってふうに読めますけど……そんなわけないですよね」
「当たり前だろー。それじゃあ殺人事件じゃんか」
一笑に付されて、まさに殺人事件を経験してきたばかりの俺は複雑な気持ちになった。
「何かの比喩かレトリック、それとも内容自体には意味がないのかもね。頭文字ほど単純じゃないみたいだけど、その手の暗号も考慮に入れるべきでしょ」
たしかに、意味ばかり考えてみても仕方なさそうである。七つの大罪はキリスト教だが、メドゥーサだのアンドロメダだのはギリシア神話……無関係ではないものの、ちぐはぐな印象は拭えない。答えのない迷路に迷い込むのはご免だ。
きっと――『兄と妹が結ばれる聖なる夜に待っています』――この引っ掛かる一文にも、さして意味はないのだろう。山野部家が近親相姦を繰り返した一族なのだと知って間もない俺には、これまた随分と酷い偶然だけれど……。
「こういう遊び、前にもしたことあったりしないの?」
「クイズを出されることなら度々ありますが、今回のこれには結び付かなそうですかね。沙夜さんの方こそ、夕希がこんなふうに失踪したことは?」
と云うか、これって本当に失踪なんだろうか? 自分を見つけてほしいと取れる旨の書き置きがある以上そういった意思は窺えるものの、姿を消したのはつい今朝の出来事。現状ではただ沙夜に断らず外出しただけとも見做せる程度であり、こちらが何もせずとも、今日明日中にひょっこり帰ってきたってそう不思議ではない。
「失踪はなかったかな。いつもなら家出が家出にならない感じなんだよね、家庭環境的に」
沙夜は妙な表現を口にしつつ、落書きについてまとめたページを切り取って俺に渡すと、ノートと筆箱をバックパックに仕舞った。
「ともかく、七つのアパートを回ってみるしかないでしょ。あたしらにだけ分かるような手掛かりが残されてるかも知れないし」
「書き置きにも『拾い集めて』って書いてありますもんね」
「そーゆーこと。あたしも実家帰ってきたところで暇なだけだったし、これもひとつの退屈凌ぎよ」
捜査は足で稼げ、か。何だかまたしても探偵めいてきて、度重なる皮肉に俺は苦笑した。




