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探偵・渦目摩訶子は明鏡止水  作者: 凛野冥
【鏡の章:バラバラにされた海獣】
20/48

2「星空の中で出逢った二人は」

    2


 薊夕希との出逢いは二ヵ月前に遡る。

 俺が通う私立ツグミ高等学校には小さなプラネタリウムがあって、しかしほとんど使われていない。天文部の所有ということになっているけれど、大部分を出資したというOBたちが在籍した時代とは異なり、いまや帰宅部と化している同部活がこれを有効に活用できるはずもなかった。一般の生徒にも開放されているが、入学したてのころに数回試してみるばかりで、あとは存在さえ忘れている者が大半である。

 だから秋頃になってわざわざ、一番端の校舎の最上階までプラネタリウムを目当てにやって来る人間なんて珍しかった。俺はどうしてあの日、そんな希少な例となったのだろう。ただ何となく、放課後、まだ帰路につきたくなかったのだ。かと云って部活に所属していない俺は別段やることもなくて、人気がなくなり熱が冷めていく校舎の中を漫然と歩いているうち、見捨てられた天象儀まで考えが及んだ。

 入学説明会だかのときと、それから授業で一回来たことがあるだけで、自発的に訪れるのは初めてだった。案の定、教室よりむしろ狭いくらいなそのドーム状空間には誰もいなくて、空気はヒンヤリとしていた。周りの壁につけられた照明は室内を照らしきるには微弱な様子で、薄暗かった。

 操作の仕方も分からないし星を見たいとも強く思っていなかった俺は、前列の真ん中あたりの席に適当に腰掛けた。天井を見上げる格好となるシートは思いのほか心地良くて、眠ってしまおうかとぼんやり思った。すると後方から足音がして、振り返ってみれば、ひとりの女子生徒が這入ってきた。幼い顔立ちだが無表情で、長いツインテールが特徴的。見覚えはない。

「すみません……使いますか?」

 そう訊ねたけれど、女子生徒は応えず、両開きの扉をピッタリと閉めた。遠くから聞こえていた運動部の掛け声や吹奏楽部の演奏なんかが遮断されたことで室内はシンとなった。腰を浮かせかける俺に女子生徒は無言で席を指差し……座ってろということか?……自分はすみの操作盤に歩み寄って何やら弄ると、照明が徐々に消えていく。完全な暗闇が到来する前に、彼女は俺の隣の席に腰を下ろした。

 戸惑いを覚えつつも、何か云うのは野暮に思われて、俺は大人しく天井へ視線を向けた。間もなく、すぐ斜め前方――部屋の中央に置かれた映写機から光が放たれ、頭上に満天の星空を描き出した。

 声が出そうになった。こんなに綺麗だとは、想像していなかったのだ。投影された映像に過ぎないことも、この部屋の狭さも、もはや関係がない。無限の宇宙空間に放り出されて、此処において矮小わいしょうなものといえば人間である俺だけだった。

 静かに、名も分からない星々、あるいは名もない星々が、悠久の時の如く、ゆっくりゆっくり動いていく。普通は解説なんかが流れるのだろうが、女子生徒が先程そう設定でもしたのか、音声は何もなかった。それが良いと思った。

 どれくらいの間そうしていたのか分からない。時間なんて意識していなくて、長くも短くも感じなかった。やがて上映が終わり、星空が消え、柔らかい色の照明がついた。

「……ボク、薊夕希です」

 女子生徒が、天井を見上げたまま、余韻にそっと呼吸を合わせるように名乗った。俺は彼女の上履きをチラと見て、その色から自分よりひとつ下――一年生なのだと知る。

「俺は山野部」と名乗り返して、やや気恥ずかしい思いがした。「ありがとう。とても良かったよ、プラネタリウム」

「ボク、決めてたんです」

 彼女は不意に俊敏な動作を見せ、俺の右手を取ると両手でがっちりと握った。

 驚く俺を覗き込む彼女はもう無表情ではなく、爛々らんらんと目を輝かせ、口元は心底嬉しそうに笑っていた。ふと、誰かに似ていると思った。

「このプラネタリウムで一緒に星を見てくれた人に恋しようって決めてたんです。嗚呼、素敵。下のお名前は? 下のお名前は?」

 ちょっと予想外すぎる展開と彼女の昂奮した様子に圧倒されつつ、「茶花だけど……」と答える。星空の中を漂っていた時間が尾を引いて、まだ夢を見ているような不思議な感覚に浸されていた俺である。

「茶花先輩、ですかぁ。茶花先輩、茶花先輩、茶花先輩、茶花先輩」

 目を閉じ、響きを味わうみたいに何度も繰り返す彼女。俺が身じろぎすると、パッと目を開けて顔を近づけてきた。

「困らなくていいんです。ボク達ふたりきりなんですから。ボク達ふたりは秘密の関係。詰まんない偽物の腐った日常とは関係ない、素晴らしく特別な甘い時間をふたりだけで共有するんです。夕希って呼んでください」

 俺は何か、とりあえずなだめるようなことを云おうとしたが――彼女は「夕希って呼んでください。夕希って」と遮る。手を握る力がぎゅっと強められ、彼女の表情には異様に切迫した気配さえ感じられた。

「夕希……」

「はぁい」恍惚こうこつとした笑み。「茶花先輩、日々が詰まらなくないですか? みんな嘘みたいじゃないですか? 心の底から夢中になれるもの、欲しくありませんか? ボクはそれが欲しかった――そして今、手に入れたんです。茶花先輩も、もしも何でもいいのなら、ボクでもいいはずでしょ? すぐに愛してくれとは云いません。だからボクとこれから、付き合ってください」

「それは――」

「駄目ですか? 取ってつけたような理由じゃなくて、ちゃんと自分の胸に訊いてみて、絶対に駄目って理由が何かありますか?」

「……いいや、ないよ。駄目じゃない」

「良かったぁ。よろしくお願いします、茶花先輩」

 このいささか以上に強烈な告白を受けて、俺と薊夕希の奇妙な交際は始まったのだった。

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