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探偵・渦目摩訶子は明鏡止水  作者: 凛野冥
【明の章:あみだくじの殺人】
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2「偉大な推理作家が死にました」

    2


 俺の曾祖父にあたる山野部森蔵しんぞうは、この国で最もよく知られている推理作家のひとりだ。二十二歳にして衝撃のデビューを飾り、それから五十年以上、第一線で活躍し続けた。

 その作品すべてに共通する大きな特徴は、ノンフィクションであるということだ。デビュー作から一貫して、彼はこちらも国内屈指の名探偵・覇唐はから眞一郎しんいちろうの活躍を綴っていた。彼は眞一郎の親友であり、助手であり、語り部であった。眞一郎が解決した事件を、そこに同伴して一部始終を見ていた森蔵が、小説にする。

 さながら森蔵がワトスンで、眞一郎がホームズという関係。推理小説では定番中の定番だが、それが現実のものだというのは革命的だった。しかも現実であるというのに、それぞれが一本の推理小説として抜群の面白さと完成度を誇っていた。もちろん、そこは森蔵が上手く脚色したり改変したりしていたのだろう。ゆえの〈記録〉でなく〈小説〉だ。

 ともかく、この他に類を見ない特徴がために森蔵の作品はどれも多大にセンセーショナルであり、推理小説ファンに限らず幅広い読者層を獲得した。眞一郎には続々と依頼が舞い込んだし、森蔵は精力的に作品を発表し続けた。もっとも、小説化するにあたって魅力的な事件が、そう頻繁にあるわけもない。長いキャリアの割に著作数は三十ほどに止まったものの、それでも総売り上げは相当な額で、その名は確実に歴史に刻まれたと云って良い。

 最後の作が出版されたのは三年前だ。最後の作と銘打たれたのではなく、その時点では読者もそうと分からなかったのだけれど、眞一郎が病床にして探偵活動が続けられなくなったことで、森蔵もまたその活躍を描くことは望めなくなった。それに、身体の不調が目立ち始めたのは彼も同じであった。事実、眞一郎は病院のベッドの上でまだ存命中と聞くが、森蔵の方が先に逝ってしまった。

 一週間前、森蔵は〈つがいの館〉で心不全を起こし、亡くなった。享年七十九。



〈つがいの館〉は、森蔵が四十二歳のとき、人里離れた山の頂に建てた石造りの館である。一階建てであるものの、敷地面積やその贅沢な意匠いしょうから、豪邸と云って差し支えない。我が国で最も成功した作家が財産をつぎ込んだのだ。これくらい当たり前だろう。

 特徴としては、南北に連なる玄関ホールと食堂の中心線を境に、東と西とが左右対称の間取りとなっていることが挙げられる。全体を上から見れば、羽を広げた蝶やベネチアンマスクを想起するはずだ。合同な図形を二つ重ね合わせたような形であるから、〈つがいの館〉という名称が付けられたのだと思われる。

 山野部家の一族が、俗世間から離れて暮らすための建造物。とはいえ、実際に此処で生活しているのは――亡くなる前の森蔵を含め――森蔵の息子である林基とその妻の益美、森蔵の娘である稟音とその夫の史哲、あとは住み込みの使用人・渦目かしこの六人だけだった。林基と益美の子である秋文と未春、稟音と史哲の子である木葉と瑞羽は、館が建てられてからはその中で育てられたものの、秋文は成人を迎えると神父になると云って出て行き、木葉と未春は結婚したときに、瑞羽もまた本人の希望で大学に入学したときに同じく出て行った。つまり森蔵の孫の代は、子の代とは違って、俗世に出て自分達で生きることを選んだのだ。

 したがって曾孫の代にあたる俺は、〈つがいの館〉には幼いころからよく遊びに行って馴染んでいたけれど、その程度であり、特殊な育てられ方をしたわけではなかった。



 森蔵の訃報は、その死の翌日に下山したかしこから、電話でごく少数の者達にのみもたらされた。故人の意思により、世間一般への公表は葬儀の後に行うということで、一族の者――それから使用人の娘で〈つがいの館〉にも何度か訪れたことのある摩訶子――だけが、予定を合わせて一昨日に館に集まった。

 葬儀を〈つがいの館〉にてこっそり執り行うというのも、生前の森蔵がそう望んでいたらしい。食堂が簡単な聖堂を兼ねており、奥には十字架が架けられていて、一段高くなった場所に祭壇もある。森蔵はカトリックだった。丁度良いことに秋文が神父でもあったから、この純粋に内々のそれが可能だったのだ。

 葬儀そのものは一族が集ったその日のうちに、つつがなく終了した。森蔵の遺体は棺に入れられ、丘となっている裏庭の頂で、地下六フィートに埋められた。

 そして、故人を偲ぶためにその日は皆が館に泊まったのだが、夜になって雪が吹雪に変わり、さらに勢いを増していくと、昨日には外へ出るのが困難となった。結局もう一泊することを余儀なくされ、惨劇が起きたのはその夜だった。

〈吹雪の山荘〉を舞台とした連続殺人事件――まるで推理小説の筋立てそのものだ。

 森蔵は人の世を、世俗というものを嫌悪していた。血生臭い殺人事件を通して人間の醜さや恐ろしさばかりを見てきたためだと分析する者もいるが、森蔵のそんな性格は子供のころからという話なので、生来のそれと見るのが正しいだろう。現実の事件を扱いながらも、あくまで社会派ミステリでなく、空想的の極みとも云える本格ミステリの文法にこだわったところに、彼の哲学が窺える。曰く、『山野部森蔵の作家活動とは、〈うつし世〉の中に〈夜の夢〉を見出さんとする、推理小説愛好家の挌闘の軌跡である』とか。

 そんな森蔵が主人である〈つがいの館〉だから、電話線も引かれておらず、さらには携帯電話やパソコン等の電子機器の持ち込みまで一切が禁じられていた。このような辺鄙へんぴな場所に建てられたことからも分かるように、そこに利便性という尺度は存在しない。浮世と隔絶された聖域――それは森蔵が死んでも当然の如く徹底され、俺らは外部への連絡手段を持たない状態で、此処に閉じ込められてしまったのだった。

 正体の知れない殺人鬼と、それから実力の知れない探偵と共に。

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