9(1)「渦目摩訶子による解決編/中」
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俺は、驚きの声すら、出なかった。
だが今度は、圭太が黙っていなかった。
「どっ――どういうことだ!」
嗚呼、俺は父がこんなふうに声を張り上げるのを初めて聞く。
山野部家の人々は皆が目を背けていて、しかし木葉は別だった。得意のからかうような冷笑を浮かべ、彼は首を折るようにして摩訶子を見た。
「僕は君の説明が聞きたいね。あのときは事件に関係ないインタビューでも受けてるみたいだと感じたが……ふん、どうやら他の家族の連中が知らないところまで全部分かってるようじゃないか、探偵ちゃん」
「おい木葉、私はお前に訊いているん――」
「圭太さん!」と、摩訶子が鞭で打つような一声を放った。昂奮状態にあった圭太もビクッと震え、哀れでさえある混乱の面持ちを探偵へ向けた。
「すべて、お話しいたします。どうか落ち着いて、お聞きになってください」
「お、落ち着いていられるか。これが……」
そうは云うものの、彼は隣でひたすらに顔を伏せている妻を見遣り、悲痛そうに歯を食いしばった。俺はそんな父の姿を、母の姿を、見ていられない。ほとんど救いを求めるような心境で、ただひとりだけ澄んだ存在――明鏡止水の渦目摩訶子に視線を移す。
「やはり圭太さんと茶花くんの他は皆さん知っていた、少なくとも察してはいた様子ですね。それでも私は、すべて今度の事件に結び付いていった諸要素として、皆さんの秘密を皆さんの前で開示させていただきます。
私はかねてよりその秘密について疑いを持っていました。そうでなければ、あみだくじの意味を考えようとしたところで解答に辿り着くのは容易でなかったでしょう。この事件の背景、その過去数代に渡る全貌を知るには、山野部家の真の家系図を描き出すことが不可欠です。そのために私はああやって皆さんを訪ねて回り、必要な情報を収集したのでした」
稟音が舌打ちする音が聞こえた。してやられた、とでも思ったのだろうか。
あの、事件とはおよそ関係がないように思われた質問群……それらは彼女が云っていたとおり、真実、必要な段取りだった。ならば本当に、つくづく、俺は彼女に付き添っていながら、彼女が見ているものを微塵も共有できていなかったのだ……。
「私がまず疑っていたのは、菜摘だけでなく、名草、茶花、彩華を含めたこの四人が全員、実は木葉と瑞羽との間にできた子なのではないかということです」
「はっ?」――という声を俺は父と同時に発していた。
「とはいえ積極的な根拠はなく、名草と茶花とが似ていること、名草と彩華も血の繋がりはないはずなのに兄妹としてそう不自然な外見の並びをしていなかったこと、したがって彩華もまた山野部の血を引いていてもおかしくなさそうであったこと、しかし未春は不妊症であったこと、瑞羽が子に対して何か引け目を感じている様子であったこと、圭太は菜摘と茶花へは子に対する接し方だが名草と彩華へは義理の甥や姪に対する接し方として違和感がなかったこと等から想像していたに過ぎません。もちろん、情報を補完したいまでは、その事情は明白であります」
騒ぎ立てる者は誰もいない。困惑しているのは圭太と俺だけだ。圭太と俺だけが、まるで異邦人であるかのようだ。別の国に来たみたいだ。
「この館で共に生活していた時分から、木葉と瑞羽とは近親相姦の関係にありました。瑞羽は彼を殺そうとするほど憎んでいるので、木葉が一方的に関係を強要していたのだと思われます。瑞羽は十八歳のときに第一子・名草を産みました。しかしこの時点では名草は山野部家の人間とは認められず、施設に預けられましたね――これは少なくとも当時〈つがいの館〉にいた者ならば皆が知っている事柄でしょう。
木葉が未春と結婚して館を出て行き、瑞羽が大学に入学して館を出て行った後も、二人の関係は断続的であれ続いていたようです。瑞羽は菜摘を身籠りましたが、これはそのころに交際を始めていた圭太との子ということにされ、圭太はそれを信じて結婚。翌年にはさらに茶花が産まれるのですが、彼もまた木葉との子に違いないという理由は後に説明します。無論、圭太は茶花も自分の子であると思い込んでいたでしょうし、他の皆さんも菜摘と茶花については木葉の子とは知らなかったかも知れません。
そして圭太がドイツに留学している間、木葉は瑞羽に四度目の妊娠をさせます。ここで産まれたのが彩華。彩華は孤児として一旦施設に入れられますが、すぐに木葉が、誰にも貰われていかないよう七年前から定期的に監視を続けていたに違いない名草と共に、養子として引き取るかたちとなりました。また、人権などなきが如く、さながら子を産む機械のように扱われた瑞羽は、このときにとうとう深刻な鬱病に罹ったというわけです。その理由を圭太は、自分が離れている間に瑞羽が菜摘と茶花の世話を上手く行えずに参ってしまったせいとでも解釈したようですけれど、妊娠や出産で立て込んでいた彼女なのですからそれも間違いではありませんね」
まったく意味の分からない話が続いていく。さらさらと耳から入って、頭の中を白い砂に変えていく。圭太が「はっ、はっ、はっ、はっ」と息を荒げている。「嘘だ、はっ、はっ、嘘だろうそんなのっ、はっ、瑞羽っ、瑞羽っ」抜け殻のような妻の肩を揺すっている。
「事実だよ」応えたのは木葉だった。「確かに名草も菜摘も茶花も彩華も僕の子だ」
「木葉ッ!」甲高く叫ぶその声は稟音。「何と云う恥知らずですかッ――わたくしは、ああッ――顔から火が出そうでッ、堪らないッ!」
「母様が云えたクチじゃないと思うけどなぁ」
「なっ――なんですって! あああッ、貴方って子は――」
「落ち着くのだ稟音!」
林基による鶴の一声はいくらか有効だった。「し、しかし兄様……」と、稟音は途端にしおらしくなる。その一方で、木葉の冷笑はここ一番の憎たらしさを誇っていた。
「まったく。どいつもこいつも、くだらん尺度で測りやがる。僕の崇高な行いが泣いてしまうぜ。そこへくると、どうなんだろうな、探偵ちゃん? 君は僕が如何なる目的で瑞羽を孕ませ続けていたのか理解してるか?」
「はい。貴方は山野部家において、エジプト九柱の神々を再現したのです」
木葉はヒュウと口笛を吹いた。「やっぱり君は見込みがあるな。目が塞がれている連中とは違う。探偵なんてやらせておくのは惜しいよ」
その賛辞には反応を示さず、摩訶子は一同が話を聞く態勢を取り戻すのを待ってから、再び口を開いた。
「近親相姦を強要していたとはいえ、木葉に妹を愛しているような様子は毫も見られません。過去の仕打ちからもやはり愛情は感じ取れない。かと云って倒錯的嗜好や変態性欲を持ち出してみたところで、どうも納得はしがたいのです。原因は彼の行いが、瑞羽本人ではなく、もっぱら彼女に子を産ませることを目的としているらしく映るからでしょう。鬱病になった彼女を使い捨てたところにも、木葉が彼女をまるで道具のように扱っていた事実が表れています。ほとんど立て続けに三人も産ませたかと思えば、どうやら彩華を産んだ時点で彼女は用済みになったようではありませんか。
ところで、木葉はエジプト神話に並々ならぬ執心ぶりを見せています。話を聞いてみると彼の本分はイシス祭儀にこそあるそうですが、いずれにしましてもそれは冷笑的な態度を常としている彼が唯一、情熱を傾けてやまない事柄です。
私はこれらを統合することで事の真相を知りました。木葉が瑞羽との間に儲けてなおかつ自分の周りに置いた子が四人というのも大きなヒントでした。それでは今こそ描きましょう――山野部家の真の家系図を」
摩訶子は黒のペンを手に取って、ホワイトボードを縦に半回転させると、真っ白な面にそれを描き出した。まさに事の真相。俺は全身が粟立ち、奈落の底へ転落していくような感覚を味わった。
「はっはっはっ」木葉の嘘みたいな笑い声。「改めて見ても素晴らしいなぁ、おい」
駄目だ。頭が痛いし、身体が燃えるように――寒い。寒くて寒くて、喉が渇いている。
摩訶子はペンを置いて、皆へ振り返った。
「エジプト神話においてヘリオポリス創世神話に関わる九柱の神と女神こそ、エジプト九柱の神々です。意図せずして起きた偶然とそれを活用した木葉の作為によって、山野部家の真の家系図はこれと完全に一致するのです。
創造神アトゥムが、森蔵。その子供――大気の神シューと湿気の女神テフヌトが、林基と稟音。その子供――大地の神ゲブと天空の女神ヌトが、木葉と瑞羽。その子供――オシリスとイシスとセトとネフティスが、名草と菜摘と茶花と彩華。
つまりは森蔵の血を引く人々ですね。此処にいる大半のかた達にとっては分かりきった事実ですが、木葉と瑞羽もまた、林基と稟音の近親相姦によって産まれた子でした。
この二代に渡る近親相姦から出来上がった歪な家系図を隠蔽するために、森蔵の血を引かない人々――益美、史哲、秋文、未春、圭太の五人がそれぞれ適当な位置に配され、表向きの、偽の家系図は形作られていたのです」
何だこれは。何なんだ、これは……。
彼女は何の話を、しているんだ……。