表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
探偵・渦目摩訶子は明鏡止水  作者: 凛野冥
【明の章:あみだくじの殺人】
11/48

5(5)「冷笑する夢想家の証言」

 もともと使用していた客室には未春の死体があるため、木葉は東側でひとつだけ空いていたそれに部屋を移っている。死体はどれも発見された場所に、ブランケットを掛けただけの状態で置かれてあるのだった――ただし東側のトイレが使えないのはさすがに不便なので、名草のものだけは部屋に移動させられて妻と並べてあるらしい。

「貴方にとっても、長男の死はつらいものだったようですね」

 今までだって大して変わらなかったが、摩訶子はそんな直截的な切り出し方をした。

「はっ――当たり前じゃないか。菜摘とも無事ゴールインして、さぞ幸せなところだったろうにな。遣り切れんよ」

 木葉は口ではそう云ったものの、話し方はいかにも軽薄で、心にもないことを喋っているだけに聞こえる。だが今朝には、初めて動揺を露わにしている彼というものを見たのだ。この人は何と云うか……皮肉めかした云い回しも、足を組んで冷笑している格好も……とにかくこういう、斜に構えたような振る舞いをあえてする人なのである。

「貴方たち夫婦が名草と彩華を養子にとったのは、いつのことですか?」

「そうだなぁ……瑞羽がそこの茶花くんを産んだ翌年とかじゃなかったかな。義妹の夫婦が二児も儲けたもんだから、未春が欲しがったのさ。それで孤児院に行って、七歳くらいだった名草と、赤子だった彩華を選んだ――二人の名は僕が付けなおしたんだ」

 未春は不妊症だったのだと聞いている。もっとも不妊症にも色々なタイプがあるだろうけれど、詳しくは知らない。

「ですが養子の割には、二人ともどこか山野部家らしい顔立ちでしたね。名草と茶花くんとはまるで兄弟のようだと、私は思って見ていました」

「そんな感じの子供を選んで引き取ったからな。名草の方は当時である程度育ってたんで、より当てが付けられただけだよ」

「養子ができて、未春は喜びましたか?」

「喜んでたんじゃないか? あれの気持ちなんて僕には分からんがね。ついでに云うなら、そんな質問に意味があるとも思えない」

「では話を変えましょう。貴方がエジプト神話にご執心なのは、どんな理由からなのですか?」

「参ったね。これじゃあ事情聴取ってより単なるインタビューだ」

 わざとらしく肩をすくめる木葉。たしかにこれも殺人事件とは無関係に思われたけれど、彼がエジプト神話を研究しているのは事実だ。昔から事あるごとに講釈しているのを聞いているし、話によれば何やら風変わりな団体をつくったり講演をしたりして、そこそこ潤沢な資金も集めていると云う。

「まあいい、少しだけ教えてあげよう。正確には、僕の本分は心霊主義理論を基にした〈魔術の実践〉なんだよ。くだらんオカルトやスピリチュアリズムだと思うなよ。創始者アラン・カルデックの本から読んでみればいい。『心霊主義は、霊の実在、顕在、教示を基盤とする教義である』。そして心霊主義のきもとは交霊会で、交霊会の花形こそ霊媒に霊を降ろす類の招霊だ。要は死者とお喋りすることで肉体ある生者の身では本来知り得ないはずの知恵なんかを授かりましょうってわけなんだが、こいつが魔術実践に繋がっていく」

 えらく荒唐無稽な話が始まった。これがこの人の不思議なところで、一見してリアリストかと思いきや、実はこういう非現実的な思想の持ち主なのだ。唐突にさえ映るギャップ……それでも雑に説明しているのが彼らしいけれども。

「そのあたりの知識ならば、私にもいくらかあります。心霊主義や近代神智学に関する本は此処の図書室にも置かれていますから」

「ああ、僕にとっても始まりは此処の図書室だった。しかしイシス祭儀については知らんだろう――此処には資料がないからな。魔術実践の究極のかたちは、エジプト神話の女神イシスに求められるんだぜ。イシスこそ史上最高の魔術師的存在であり、魔女の元祖だとされてるんだ。兄オシリスを救うため、あるいは弟セトと戦うために数々の魔術を行使したことで知られる彼女だが、最大の所以はそこじゃない。彼女は、あらゆる願望を現実に変えてしまえる鍵――太陽神ラーの秘密の名を知った唯一の存在なんだよ。君がエジプト神話についてもかじってるなら、その経緯は知ってるかもしれんな」

「たしか――」摩訶子は思い出すのに二秒ほど要した。「イシスは粘土で造った蛇に命を吹き込み、天界を巡回していたラーを噛ませたのでしたね。ラーは耐えがたい苦痛にもだえ、この苦痛から解放してくれとイシスに乞うた。イシスはある条件を提示した――」

「『では、お名前をお教えくださいませ、父なる神よ。なぜなら、どのような者も名前を通じて魔法がかかり、生きるようになるからです』。そのとおりだな。ラーは真名を教えてしまった」

 愉快そうに笑う木葉。段々と調子が乗ってきたのか、彼がこんなふうに弁舌を振るうことは滅多にない。

「多くの儀式や魔術の行使には――呪文やまじない、媚薬の調合、護符づくりなんかでさえ――文言なり祈りなりが正確かつ所定の抑揚で唱えられることを必要とする。そのひとつ、最も強力なのが聖言だ。そして、その中でも最高のものとされるのが、イシスがラーから手に入れた名前なんだ。ギリシアの歴史家ディオドロスは、これを知るだけで不死の存在になれると記している。創造主アトゥムとも習合されるラーの真名、まさに創造に関わる聖言。宇宙の組み替えを根本的な理念とする魔術師にとって、それを知ることがひとつの到達点であり本懐であるのは、万人の意見をたんよ」

「そのラーの名前をイシスを招霊して知ろうとするのが、イシス祭儀なのですか」

「ご名答。イシス祭儀は古くから各所で行われてきた。豊饒の女神イシスは一種の文化英雄だ。彼女は兄であり夫である生産の神オシリスと共に、大地の耕し方や道具の作り方、土地の開墾法なんかを人間に教えた。ここから彼女は、教え導くタイプの神、神と人間を媒介する存在なんだと云われる。神と人間の仲介人……それは霊媒の定義に近接するな。ラー本人でなくその名を唯一知るイシスの方を招霊しようとする道理はこういうわけだ」

「心霊主義においても、野心的な交霊会は歴史上の偉人や賢人を招霊しようとしたそうですね。それをまさか神に対して試みようとは、もはや酔狂の域さえ超えています」

浪漫ろまんとはそういうものさ。そこに真理があると、僕は思うね。イシスは云った――『存在してきたもの、現存しているもの、これから存在することになるもののすべてが私である。私の顔を覆うヴェールをめくることができた人間は、いまだかつていない』――これはつまり、自らがそれに値する存在だと証明できたなら、誰しもが彼女の顔を覆うヴェールをめくって真実を手に入れられることを意味している。ゆえに、彼女は魔術の道を歩む者達の大いなる師とされるんだな。心躍らんかね、君は」

 摩訶子は応えなかった。否定する気もないが、同調する気もない様子だ。

「ふん。少々、話し過ぎたかな。これ以上は僕も、無粋な連中に聞かす言葉はない。とにかく僕はイシス祭儀を研究していて、そこから当然、エジプト神話にも深い関心があるんだ。強いて云うなら前者は仕事で後者は趣味だが、さして変わらん。これで満足か?」

 このときに俺は初めて得心がいった。木葉はこうした超俗的な領域に情熱を傾けているからこそ、世俗的な事柄に対しては冷めきっているし、馬鹿にしてさえいるのだ。

 ならば彼もまた、山野部森蔵の血を引く者としての性質が、ともすれば最も顕著に表れていると云えるかも知れない。

「興味深いお話でした。ありがとう御座います」ぬけぬけと云う摩訶子。「もうひとつ、あるいは二つ質問させていただきます」

「いくつでもいいぜ。答えるとは限らんがな」

「次は彩華の部屋を訪ねるのですが、貴方から見て彼女はどういう子供でしょう?」

「漠然とした問いには漠然と答えるしかない。まあ暗い子供だよ。ここ数年は学校にも行かなくなって部屋にこもりきりだし、何を考えてるんだか。僕にもお手上げさ」

「貴方にとって彼女は大切ですか?」

「はっ――」木葉は視線を、どこか遠くへ投げた。「――分からんね」

 いつもどおりの皮肉な笑い……だがいつもと違って、そこには何か自虐的な意味が籠められているように見える。しかも彼は、最後にこの俺を見たのだった。

 俺は、内心の動揺を気取られないよう、平静を装っていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ