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探偵・渦目摩訶子は明鏡止水  作者: 凛野冥
【明の章:あみだくじの殺人】
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5(4)「明朗な夫と陰鬱な妻の証言」

 年齢順なら次は木葉の番だけれど、摩訶子は先に圭太と瑞羽の客室にやって来た。

 ソファーに並んで腰掛けた俺の両親。圭太は真剣な面持ちで、妻の手を握っている。だが瑞羽の方は夫に寄り添う気もないらしく、ただひっそりと、枯れ尾花のように俯いていた。

 おそらく俺の母は、人との関わり方が分からないのだ。特に自らの子に対してそれが強いと、まさに彼女の息子である俺はよく感じている。母親としてどんなふうに振舞えば良いのか、どんなふうに子と接するべきなのか、ひとりで抱え込み、悩み続けているらしい。

「探偵の助手がどういう仕事をするものか私はよく知らないんだが、どうだろう、茶花は上手くやれてるかい?」

 圭太からのそんな質問には「申し分ないです」と簡潔に答え、摩訶子は本題に入った。

「お二人の出逢いは大学でのことでしたね? その馴れ初めについてお話しください」

「少し恥ずかしいね」

 俺の方を見遣って苦笑する圭太だったが、真面目な表情に戻って語り始めた。

「大学の図書館だよ。瑞羽はいつも決まった席に座って、ひとりで読書していた。私はその姿を見掛けるたびに気になっていて、あるとき、声を掛けたんだ。私達は二つ歳が離れているけれど、私は受験で浪人していた――彼女は一年生で、私は二年生だったね。だが彼女も私も本が好きだったから、打ち解けるのに時間は掛からなかった。……こんな感じでいいかな」

「瑞羽さんの方はどうですか?」自分には話を振らないでほしいとばかりに息を潜めていた彼女にも、摩訶子は遠慮なく訊ねる。「物心ついたころからずっと〈つがいの館〉で育った貴女が、外に出てひとりで暮らし始めた。きっと沢山の不安があったでしょう。圭太さんはそれを和らげてくれましたか?」

「は、はい……感謝してます、圭太さんには……」

 いかにも申し訳なさそうに、小さく答える瑞羽。摩訶子は再び圭太へ向き直る。

「当時の瑞羽さんの印象を教えてください」

「印象か……」圭太は妻を気にする素振りを見せた。「……しとやかで、聡明で、とても綺麗だった。よく気が付くし……私には勿体ないくらいだと感じていたよ」

 彼が歯切れ悪そうにしたのには、単なる照れではない相応の理由がある。つまり当時の瑞羽とは、鬱病になる前の彼女だからだ。

 結婚して子供を産むとなった瑞羽は、大学を中退した。圭太は山野部家に婿入りしたかたちであり、二人は金銭的な援助を受けていた。よって彼の方は大学院まで進んだのだが……そこで二年間、ドイツのフライブルクに留学していた時期がある。瑞羽は幼い二人の子と共に、国内に残されていた。そして圭太が帰ってきたとき、彼女は精神を重く病んでしまっていたのだ。

 以来、瑞羽は笑みを浮かべたことがない。その顔に表れるのは、迷い、苦しみ、悲しみ、嘆き、怯え、疲れ、諦め……そういった負の感情ばかり。身にまとった陰の気配が、決して消えない。他人と、それから子と上手く付き合うことができないのも、仕方ないのである。

 圭太がそこに自分の責任を強く感じているのもまた、当然の話。彼は独文学者となったが、どこか遠くへ行かなければならない仕事は徹底して避け、なるたけ瑞羽の傍にいるようにしてきた。家事や子育てもできるだけ担い、瑞羽の負担を減らしてきた。

「お二人は早くに結婚して子をつくったのでしょうか。それとも、子ができたから早くに結婚したのでしょうか」

「……先に子ができたからだよ。あと摩訶子ちゃん、質問は事件に関することだけにしてもらえるかな」

 圭太はさすがに辟易へきえきしていた。正直、俺もあまり居心地が良くない。摩訶子だって、俺達家族に関する事情はいくらか聞き及んでいるはずだ。どうしてそんな背景にばかり注目する?

「はい、そのつもりです。第四の被害者は長女の菜摘でしたね。どう感じましたか?」

「どうって……酷いことだよ。結婚したばかりだと云うのに、名草くん共々、命を奪われるなんてね。人間のすることじゃない」

 菜摘と名草が結婚したのは昨年だ。二人が昔から将来を約束していたのは、皆の知るところである。幸福に満ち溢れた華々しい結婚式の記憶がまだ新しいうちに、今回のようなことになろうとは……苦痛に歪んだ二人の死顔を思い出し、俺は胸にむかつきを覚えた。

「瑞羽さんは?」

「……恐ろしいことだと、思います」

 そう云えば、去年の結婚式のときにも瑞羽だけは終始、複雑そうにしていた。やはり祝い方というものが分からず、困っていたのだろう。心の中では彼女だって、娘の晴れ姿を嬉しく思っていたはずなのに。

「酷いこと、恐ろしいこと、そのとおりですね。しかし紛れもなく、これは人間がすることです。人間だけがこのように策を弄した殺しをやるのですから。ところで、昨晩はよく眠れましたか?」

「よくなんて、眠れたはずがないだろう」無神経な質問ばかりする探偵に、圭太も段々と不信感を持ち始めたらしいのが語調で分かる。「妻もひどく怯えていた。私達が眠りにつけたのは、やっと四時頃のことだったんだ」

「道理でお二人とも眠そうにしていると思いました。今、母上が食事の準備をしているところです。出来上がりまでどうぞ、お休みになってください」

「うん? もう終わりかい?」

「充分です。ありがとう御座いました」

 そう云って、摩訶子はさっさと部屋を出て行ってしまった。

「……彼女は信用できるのか、茶花」

 眉をひそめている父に、俺は「たぶん……」と曖昧にしか応えられない。ともかく摩訶子に続いて廊下に出る。彼女はもう次の目的地へと歩き始めていた。

「残すは木葉と彩華のみだね。極めて順調だ」

「秋文さんも云っていたけど……君はだいぶ意地悪な性格をしているようだな」

「何だい、茶花くん。両親が困っているのを見て、気を悪くしたのか」振り向きもしない摩訶子。「しかし勘違いしているよ。これを闇雲な情報収集とは思わないでくれたまえ。確認作業なのだと云っただろう? 必要最小限の内容に絞っている。意地悪だなんてとんでもない話さ。私は明鏡止水の探偵なのだから」

 どうだか。自称しているそのキャッチフレーズに関しては、怪しくなってきたと思う。

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