41.夏休み 別荘(Ⅵ)
遠くで小鳥たちのさえずる声がする。窓から差し込む朝陽を受け、クラリスは目を覚ました。見慣れない天井にほんの一時戸惑ったものの、すぐにここがカミラの別荘であることを思い出した。
「あら、起きたの。おはよう。」
声のする方に振り返れば、既に支度を終えたらしいカミラが、椅子に座って紅茶を飲んでいた。
「一応、貴女の分の分ももらってきたわ。飲む?」
「おはよう、カミラ。早いのね……いただくわ。」
欠伸をしながら返事をする。カミラはティーポットを手に取るとカップに紅茶を注ぎ、そのままクラリスに手渡した。まだ温かいダージリンが身体の中に沁み渡る。少し肌寒い避暑地の朝に、丁度良い一杯だった。
紅茶を飲み終えるとクラリスは身支度を整え始めた。洗顔と歯磨きを済ませ、服を着替え終えた頃には、寝ぼけ眼もすっかり元通りだ。最後に髪を櫛で溶かしていると、後ろからカミラが羨ましそうにこう言った。
「良いわね、貴女は直毛で。」
「? カミラの髪だってフワフワで華があるじゃない。」
「わたくしは毎朝鏡の前で格闘しておりますの。貴女みたいに櫛でさっと梳かせば、はいおしまい!とはいきませんもの。」
「そうでしたの?…でも直毛も悩みはありましてよ?雨の日や汗をかいた日はぺったんこになってしまうし、せっかく巻いてもすぐとてしまうし。私はカミラみたいなウェーブ、憧れますけどね。」
「お互い無い物ねだりといったところかしら。」
カミラが苦笑する。朝一番で友人とたわいない話が出来るなんてなんだか新鮮だ。来年の修学旅行もカミラと一緒だと良いな、なんて、そんなことを考えながら、クラリスもふわりと笑顔を返した。
身支度を整えると、朝食に向かった。食堂には朝食を準備するヘレンとジーブスの姿があるだけだ。
テーブルには焼きたてのクロワッサンと目玉焼き、サラダ、スープ、そしてヨーグルトが用意されていた。冷めないうちにと早速手をつけると、昨日同様、どれも顔が綻ぶ味だった。
「ふあああ…おはよー。カミラ姉ちゃん達はもう起きてたんだ!先越されちゃった。」
「おはようございます。あ、カミラお姉様にクラリス様。……ハワード様はまだいらっしゃらないのですか?」
ちょうどデザートのヨーグルトに取り掛かった時、アダムとリュカがやってきた。
「おはよう、アダム、リュカ。そうね。ハワードは結構朝が早い方なのだけど、今日はまだ来ないわね。」
「長旅で思いの他疲れが溜まってたのかもしれませんね。」
そう言いながらリュカが席に着く。アダムは既にバターをつけたクロワッサンに齧り付いていた。もぐもぐと食べっぷりの良い客人達を見て、ジーブスはまだ満足そうに微笑んでいる。
朝食を終え、カミラと一緒に部屋に戻ろうとした時、ちょうど二階から降りてきたハワードとすれ違った。
「あら、おはようハワード。」
「……ああ、おはよう…」
弱々しい返事が返ってくる。顔を見れば少し眼が充血しているようだ。クラリスは、調子の悪そうな彼を横目で心配しつつ、そのまま上に上がっていった。
「ハワード、昨日は眠れなかったのかしら?」
部屋に戻り、なんとはなしにカミラに問いかけてみた。
「貴女が昨夜脅かしたからじゃないの?」
「? …脅かすって?」
「ほら、幽霊がどうとか。寝る前に言ってたでしょう?」
「?……そうでしたっけ?あの時はすごく眠かったから覚えてないわ。」
「ちょっと……まあ、ただ単に慣れない環境で寝つきが悪かっただけかもしれないし、貴女を責める気はないけれどもね。ハワードが少し不憫だわ。」
カミラが呆れ顔でクラリスを見つめる。そういえば、先程心なしか恨めしげな顔でこちらを見ていた気がしたような。昨夜の記憶がないクラリスは少し釈然としないもののハワードに申し訳なさを覚えた。
それから三十分ほど経っただろうか。ハワードが身支度を済ませたらしく、部屋の戸をノックする音がした。
「クラリス、カミラ嬢、今いいか?今日の予定について話したいんだが。」
彼の返事に応え部屋のドアを開けと、ハワードと、その後ろからひょっこりと顔を覗かせたアダムがいた。奥にはリュカもいるようだ。
「朝食を一緒に摂ってね。今日の予定について話したんだが、アダム君達は近くの高原に行く予定らしくてね。もしよければ僕たちも一緒にどうかお誘いを受けたんだ。」
「馬車で三十分くらいのところなんたけど、みんなで一緒に行こうよ!景色が綺麗なんだ?それに、近くに牧場もあって楽しいよ!」
「へえ、それは楽しそうね。どうかしらクラリス?」
「そうね、ではご一緒させていただきましょう。」
カミラの問いに快く頷く。どうせ行く当てもないことだし。リュカがボソッと「敵情視察、成功」と呟いた気がするが、聞こえなかったことにする。
牧場には、クラリス達三人に双子のアダムとリュカ、それにヘレンの計六人で行くことになった。
浮かれるアダムに連れられ、馬車に揺られること半時間。御者に開かれたドアから柔らかな地に足を下ろせば、そこには広大な景色が広がっていた。
「うわあ……」
思わずため息がこぼれる。
見渡す限り広がる緑と、散りばめられた飴玉のような花々。その上を放牧された牛や羊達が闊歩し、のんびりと草を食んでいる。
どこまでも続く草原の先には高い山々がそびえ立ち、こちらを悠々と見下ろしている。黒い岩肌と随所にまだ白雪を残したその様子は、見る者に今が真夏の最中であることを忘れさせるほど冷涼としていた。
「なるほど、これは壮観だな。」
続いて馬車を降りたハワードも嘆声を漏らす。道中ずっと舟を漕いでいたが、この景色には眠気もふっ飛んだらしい。
「いい眺めでしょー!ほら、こっちが牧場の入り口!ここのアイス、絶品なんだ?。カミラ姉ちゃん早く行こう!!」
「アダムったら落ち着いてよ。全く、同い年とは思えないんだから…」
カミラの手を引いてはしゃぐアダムを、リュカがたしなめる。大人っぽく振る舞いながらも、さりげなくカミラの隣を陣取っているあたり、半分はやきもちなのだろう。もっとも、カミラの方は、昨日から隙あらばぴったりくっついてくる従兄弟達に少しうんざりしている様子だが。
三人の微笑ましいやりとりを、ヘレンが目を細めながら眺めていた。
「ふふっ、カミラ様、人気者でございますわね。」
「ヘレンったら、他人事なんだから……二人とも少しくっつき過ぎよ。まったく、私は一体誰と旅行に来てたのかしら?」
カミラが小さくため息をつく。
「いいじゃないカミラ。私は従兄弟たちと疎遠だから少し羨ましいわ。兄弟もいないし。」
「ああ、そういえば貴女はわたくし同様一人っ子でしたわね。ハワードがいるとついつい忘れてしまうわ。」
「…それはいったいどういう意味でして?」
「そういえば僕も、たまに妹の数を間違えてしまうことがあるよ。」
「ハワードまで肯定しないでくださいまし!」
カミラの冗談はよしとして、ハワードは本気で言っているのでタチが悪い。
全くもって納得がいかない。なぜ二人ともクラリスをハワードの妹として扱うのだろうか。彼本人にまでそのように思われているのはさすがに悲しすぎる気がする。
終業式の日に話したルークの言葉が脳裏によぎる。彼はクラリスとハワードの恋仲を仄めかすような冗談を言っていたが、あれはあくまでも少し離れた距離からの認識でしかないのだ。
(別に、ハワードに女として見られたいわけではないんですけどもね…近しい人や攻略対象本人にまで妹扱いされてしまうのは、乙女ゲームのライバル令嬢としていかがなものかしら。)
ふと、脳内にハワードルートのシナリオイメージが浮かんでくる。ライバル令嬢との恋仲を疑い、身を引こうとするヒロイン。目にいっぱいの涙を溜めながら「さよなら」とつぶやく彼女に、ハワードは優しくこう言うのだ。「僕は確かにクラリスのことも大切に思っている。だけど彼女は僕にとって、あくまでも妹みたいな存在なんだ。…僕が本当に心の底から想っているのは、フローラ。ただ君一人だよ。」
なぜかげんなりした気持ちになる。
別にハワードに懸想してるわけではないのになぜこうも不快に思うのか。いや、むしろ懸想していないからこそ、勝手に引き合いに出されては雑な扱いを受けることに納得がいかないのかもしれない。
(他人の色恋沙汰に巻き込まれるのはまっぴらごめんですわ。)
引っ掻き回すのはまた別として。
クラリスは改めてフローラがハワードルートに入らないことを願った。
本日、こちら含め3話投稿致します。そちらをもって一章完結となります。読者の皆様、あと少しだけお付き合いください。




