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食を拒む少女 13

 その酒場は、何の変哲もない、と言うと悪いけれど、ごく普通の酒場だった。

 カウンターの前には少し高めの1本足の丸椅子が並べられ、周囲にはそれぞれの円卓に、それぞれの人の集まりが、泡のこぼれそうになっている麦酒の入ったジョッキを交わし合っている。


「今日も上司に怒られたよ。『てめえの目ん玉は何のためについてんだ。ちょっと見りゃ、足元にゴミがあることぐれえわかんだろうが、この薄らボケが!』ってな! そのビンを空けて片付けもせず転がしてんのは手前だろうがってんだよな!」


「手前んとこのなんて一緒にいるだけマシじゃねえか。うちんとこの親方なんて、俺たちが汗水たらして働いてるってのに、先に休憩に行きやがってよ。しかも戻ってくんのは俺たちよりも遅えときたもんだ。帰りに顔が赤かったし、匂いもしたから、きっと休憩中に一杯ひっかけて来たに違えねえ」


「うちの女房だって、俺がちょっと妹と話し込んでたら、すーぐ怒っちまいやがってよ。久々の家族との再会くらい好きにさせろよなあ」


「てめえの惚気はどうでも良いんだよ、ふざけんな。爆発しろ」


 飛び交っているのは、取り留めもない愚痴や笑い話。声を掛け合い、肩を叩き合い、前後左右から麦酒を注ぎ合いながら、昼間からバカ騒ぎだ。

 まあ、仕事がお休みの時くらいは自由に羽でも伸ばしたらいい。そこで何をしようとも、こちらに迷惑さえかけられなければ、僕たちが口を出していいことではないし、今はどうでも良いことだ。


「あの、申し訳ありません」


 真っすぐにカウンターまで行き、店主と思われる黒いエプロンを付けた男性にお声をかける。


「何だい、兄ちゃん。あんたとそっちの別嬪の姉ちゃんは良いけど、そっちの子らには酒は出せねえぜ」


「いえ、申し訳ありませんが、仕事中ですのでお酒はまたの機会に。それよりも尋ねたいことがあるのですが」


 周りの方々は、酔っていらっしゃるようで、幸いなことに姫様や若様がいらしている事には気がついていらっしゃらないらしい。

 騒ぎになってしまう前にと、僕は声を小さく、口元を手で隠しながら用件を伝える。


「こちらに、コーミクス・アルムダンとおっしゃる商人の方がいらっしゃると聞いて尋ねてきたのですが」


「コーミクスね。ああ、たしかにいるよ。ほら、あっちの席に」


 店主に指差された方を見てみるけれど、僕にはどなたがコーミクスさんなのか判別は出来ない。

 自分のお店の常連さんであれば、当然分かるけれど、初めて来た酒場のお客の顔なんて分かるはずもない。

 クラベルさんが父親似であれば分かりそうだけれど、おそらく母親にであるクラベルさんのお顔だけでは判断のしようがない。


「なんだ。お前さん達も、最近、奴の羽振りが良いときいて、たかりに来た口かい? 女房と子供も一緒に何て珍しいねえ」


 女房? それに子供だって?

 一体、この人は何を言っているのだろう。


「おや、違ったのかい。てっきり、そっちの別嬪さんが、と思ったんだが、まだ告白してねえのかい」


 店主の視線が僕から背後へ、シャラさんへと移る。

 店の中の視線が僕たちへと集まって、


「おー、告白か!」


「兄ちゃん、男は度胸だぜ」


「結婚する前は良く見えるもんさ」


「でもよ。あの子は服装からしてなんだか家庭的だし、いい奥さんになりそうじゃねえか。子供を預かるくらいに面倒見も良いみたいだし」


「何より胸が大きいしな!」


 酔っ払いたちは勝手なことばかりを言い合って、勝手に笑い合っている。

 情報の収集にはうってつけの場所でもあるのだけれど、こういう絡み方をされるときは若干鬱陶しい。


「いえ、僕と彼女はそんな関係という訳では――」


 たしかにシャラさんは素敵な女性だとは思うけれど。

 明るく、お城でも雇われるくらいに家事の手際も良く、美人で、スタイルも良い。

 しかし、立て続けに事が起こり続けているせいというか、そういうことをじっくり考える時間はほとんどなく、自然と、そういう気持ちを抱くこともない。

 それに、シュエットのこともある。

 シュエットを見つけて、告白の返事をするまでは他の誰ともそういった関係にはなれないというか。

 当のシャラさんはといえば、仕事中だからか、全く気にしてはいらっしゃらないご様子で、むしろノリ良く、「えー、そうだったのー」なんて口を尖らせていらっしゃる。

 気が削がれそうになるので、出来れば任務中にそういった事をされるのは、特にお城ではない所では――お城の中でならばいいとかそういうことではないけれど――もう少し控えめにしていただけると助かる。

 とはいえ、多分、お城のメイドさんたちの気質から考えて、全員が同じという訳ではもちろんいらっしゃらないけれど、今は何かを言ってみても無駄だろうということは分かる。

 幸い、シャラさんはすぐに冗談めかした笑顔を浮かべられたけれど。


「アルフリード。今は任務中ですよ」


 袖を引っ張られたのでそちらを向くと、ほんのりと染められた頬を微かに膨らまされたシャルリア様が、若干お顔を逸らされながら少し怒っていらっしゃるような口調で、そうおっしゃられた。

 

「もういいです。私が行ってくるので、アルフリードはそこで胸の大きなシャラと一緒に、私にはまだ早いお酒を飲んでいればいいんです」


「ちょ、お、お待ちください、シャ――」


 いや、ここでシャルリア様のお名前を出すのはまずいか。

 僕がそんなことを逡巡している間に、クラベルさんを伴われたシャルリア様は、最近新調したらしい、およそ酒場には似合わない、どちらかといえば、静かなバーなどの方が似合いそうなコートを羽織ったボサボサの髪の男性のところへ、迷うことなく歩み寄られていた。

 後を追うように、カルヴィン様と、アイリーン様、小雪さんも続いていらっしゃる。

 

「あなたが、コーミクス・アルムダンですね」


 僕とシャラさんが追い付いた時には、すでにシャルリア様はそう話しかけられていた。


「ん? なんだお前たちは?」


 男性は、否定することなく、シャルリア様達の方へと手にしたジョッキを煽られながら赤いお顔を向けられた。


「私――」


「私はアイリーン、クラベルの友達よ。そう言えばわかるかしら」


 アイリーン様が、もはや我慢しかねるといったご様子で、男性に詰め寄られる。


「あいりーん? くらべる? 一体何のことだか」


「人の話を聞くときには、お酒を飲むのは止めなさいよ。失礼だし、それに、臭いわ」


 アイリーン様が男性――コーミクスさんが、今まさに煽られようとされていたジョッキに向かって魔法を向けられる。

 甲高い音とともに、グラスは綺麗に、粉々に砕け散り、しかし、机の上からははみ出したりはしなかった。

 もちろん中の麦酒はそうはいかず、シールドを展開していたシャルリア様、アイリーン様はともかく、コーミクスさんの服は麦酒で濡れ、顔や髪からも滴り落ちている。

 周囲が静まり返り、アイリーン様やシャルリア様の美貌に対する感想ではないひそひそ話が聞こえ始める。


「このくらいで一々騒がしいわね。弁償ならばすぐにするわよ」


 アイリーン様はコーミクスさんから視線を切らされずにおっしゃるので、僕は静かに店主の前に銀貨を数枚差し出した。

 店主はそれを変わらない調子でしまい込まれる。この程度のことでは動じられたりなさらないのだろう。


「もう1度だけ聞くわよ、コーミクス・アルムダン。このアイリーン・フリンデルの質問に、嘘偽りなく答えなさい」




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