王女様は流されてきた僕に興味津々のご様子です
身体強化の魔法を使っていたため、馬車の扉を蹴破ることも、シャルリア王女を抱えたまま飛び降りることも、それほど苦にはならなかった。
飛行の魔法を使うことで勢いを殺して、地面にゆっくりと着地する。
「失礼いたしました。シャルリア王女」
そっと地面にシャルリア王女を降ろす。
おそらく引き返してくるであろう誘拐犯を相手に、いくらなんでも王女様を抱えたままで制圧するというのは無理がある。
「気にしないでください。それよりも……」
シャルリア王女は後ろを振り返り、それから馬車の方へと視線を移す。
「捕らえた後のことなら、心配せずとも大丈夫ですよ。いざとなれば僕が運びますから」
元々馬車を操っていらした御者さんは乗っていらっしゃらなかった。
おそらく、先程のティエーレさんと同じように、馬車が停められた際、降ろされたか、倒されるかしてしまったのだろう。悲鳴は聞こえなかったから、殺されてはいないと思うけれど。
選択肢としては、まず、馬車は捨て置いてシャルリア王女だけを連れて逃げるということ。お城までゆけば、おそらくどうとでもなる、というよりも、誘拐は不可能だろうから、これが一番安全に思える。
しかし、おそらくあの馬車にはシャルリア王女やティエーレさんの荷物やら何やらが乗せられていて、それをみすみす彼らに渡すわけにはゆかない。なにせ、幼女趣味の変態だ。さらに言えば、そんな彼らを野放しにしておくことは出来ない。
馬車の中で少しは休めたとはいえ、限界に近いことには変わりはない。
こうして対峙していて、彼らからは魔力を感じない。もっとも、隠蔽している可能性はあるけれど。
ならば試してみるか。
耐久に制限はあるけれど、それ以外では、時間が来るまでは魔力を注ぎ続けなくとも永続して形を保つ、ケージ型の障壁で彼らを囲う。
「なんだ?」
魔法が使えるのであれば、遠距離からでも攻撃はされるはずだから、動けなくしたところであまり意味はないけれど、どうやら杞憂だったらしく、彼らは障壁から外へはまだ出てこられていない。
他に伏兵は、と調べようとしたところで、シャルリア王女に声をかけられた。
「大丈夫です。他に人の気配はありません」
「そうですか。それならば、もう大丈――」
なんだか、ふらっとする。
頭の方まで血が回っていない感じというか、いや、血というよりは魔力の方か。
さっき、と言っても構わないのか、シュエットを守るための防御に魔法をかなり全力で使っていて、魔力はほとんど残っていなかったはずだ。
それが、さっき、そして今、シャルリア王女を助けるため――そんな大層な恰好をつけるつもりはないけれど――おそらく、気分が高揚し過ぎていたというか、普通であれば出すことの出来ない分まで出し切ってしまったらしく、それは多分、体力とか、気力とか、生命活動に必要なエネルギーを魔力に変換していたということで。
「あの、アルフリード。頭から血が」
あの渦の中で破壊された橋の木材か、あるいは石材かにぶつけたのか。
気を緩めた途端に、頭から一気に血が流れてきた。
いや、多分、さっきから流れていたのだろう。意識すると、後頭部の方にも痛みを感じる。
「じっとしていてください。今、治癒の魔法を」
シャルリア王女から暖かな光が溢れてきて、痛みが引いてゆくのが感じられる。
とはいえ、怪我、つまりは外傷が治っても、すでに流れて、失ってしまった血液は戻らないわけで。
「大丈夫ですか? アル――」
そこで、目の前が真っ暗になり――
気がついたのは、どこかの屋内らしかった。
豪華なシャンデリアが天井から釣り下がっていて、壁には縦長の大きな窓がいくつも並んでいる。
ベッドの脇の棚には、高そうな花瓶に赤や白、ピンクの薔薇が飾られていて、反対側には大きなクローゼットと、大きな姿見が設置されている。
「……ここはどこだろう」
どうやら、どこかの貴族か、お金持ちのお屋敷かとは思われるけれど。
とりあえず何をおいても確認が必要なのは、魔法が使えるかどうかだ。
幸いなことに、さっき(時間が分からないので何とも言えないけれど)銀の髪の人形のようなお姫様、シャルリア王女に治癒の魔法をかけていただいたためか、身体に痛みは感じない。
問題なく魔法を使えることは、さっき確認が出来ているけれど、しかし、下手に魔法を使って、もし、制御を誤ってしまったら……
「試すのは、後でいいかな」
「気がつきましたか、アルフリード」
扉が開き、入っていらしたのは、シャルリア王女だった。
きらきらと輝く銀の長髪、見定めるような視線の宝石のような真っ赤な瞳、神秘的な美貌の女の子に、僕は思わず、ごくりと喉を鳴らした。
いやいや。
別にそんな目で見ているということではなく、シャルリア王女が持って来てくださった台車の上の鍋から漂う匂いに反応しただけっだ。うん、そうに違いない。
もちろん、シャルリア王女が魅力的ではないとか、そんなことはなく、むしろ、今まで会ったことのある中でももっとも綺麗というか、美しいというか。
「あの」
「そのままで結構ですよ。お尋ねになられたいことは分かっています。ここは、アンデルセラム王国の王城です。あなたはあの後、気を失ってしまわれたので、誠に勝手とは思いましたが、お城まで運ばせていただきました」
それは大分ご面倒をおかけしてしまったらしい。
「それから、あなたのおっしゃっていたお連れの真っ白な髪の女性のことは、目下捜索中ではあるのですが、今のところめぼしい情報は何も入手出来ておりません」
申し訳ありません、と頭を下げられるシャルリア王女に、僕は慌てて声をかけた。
「いえ、あの、大丈夫です。一応確認したかっただけで、あの時、探索の魔法に引っかからなかったということは、おそらく助けることが出来ていたということですから」
もちろん、確証はないのだけれど、何となくそう感じられていた。
「そうですか。ですが、一応、後程報告だけはさせていただきますね。それよりも、私、あなたに興味があるんです」
シャルリア王女は、小柄な身体を乗り出して、ベッドに手をついて、僕に顔を近づけられた。
女の子に特有の良い匂いがする……って、それじゃあ、変態だ。
「あなたは異なる世界からいらしたということですが、その際の状況など、詳しいことをお聞かせ願えないでしょうか?」
シャルリア王女の瞳は、好奇心に満ち溢れていて、おそらく、ただ純粋にそれだけなのだと感じられた。悪気があるわけではないのだろう。「言語はどのようなものを? 今はこの国の言葉を話していらっしゃるようですが、同じものを使用しているのですか?」とか、「魔法は一般的なものだったのですか?」とか、次々に質問をされた。
それからようやく我に返られたようで、恥ずかしそうな様子で、わずかに頬を赤く染められた。
「すみません。やはり、今はお休みになられていてください。そのうち、父と母、それから弟と妹も会いたいと言っていましたから、連れてきたいのですけれど。あの、御迷惑でしたでしょうか?」
「いえ。迷惑などと、それはむしろこちらの台詞だと思いますが」
シャルリア王女はほっと安心なさったように微笑まれて、台車に乗せられていた鍋――中身は梅干しの入れられたおかゆだった――の蓋を空けられて、台車を僕の隣まで押され、
「どうぞお召し上がりください。私は少し失礼させていただきますね」
と部屋から出て行かれた。