男だったらとりあえず、目の前で襲われている女の子は助けるだろう
嵐の翌日。
店を開けるのは夕方過ぎからなので、朝早く、まだほとんどの人は眠っているだろう時間に僕とシュエットは組合へと向かった。
組合は基本的に1日中、いつでも誰かは対応してくださる。
食材の備蓄は余裕があるため、今日のところは狩り採集へと向かわなくても大丈夫だろう。
早朝を選んだ理由はもちろん、シュエットを狙ったと思われる人が眠っているだろう時間を選ぶためだ。
それは、シュエットが襲われた時間を避け、気休め程度でしかないけれど、多くの人が活動している昼間よりは幾分マシなのではと考えた結果だった。
「大丈夫だよ、シュエット。一昨日だって、昨日だって、何事もなく無事に済んだだろう?」
幼馴染を安心させるために、培った営業スマイルで爽やかに、それでいながら礼儀正しく、そして感じよく微笑みかける。
店員(兼店主)は僕1人しかいない料理店なので、シュエットがたまに手伝いに来てくれるとき以外は、接客も僕が自分で行っている。
接客とはいえ、厨房から客席までそれほど離れているわけではないため、それほど困ることはない。
自然に笑えるほどに豪胆になれるわけではなかったけれど、いつもの慣れか、シュエットには悪いけれど、接客業務だと思えば、こんな状況であっても笑みを浮かべることくらいは朝飯前だった。
「ええ。アルといれば安心ね」
隣を歩く白髪の幼馴染には、僕の営業スマイルなんて見抜かれているだろうけれど、それでもシュエットは笑顔を浮かべていた。
その上、何だかデートみたい、と呟くシュエットには、むしろ、本当に危機感を持っているのだろうかとすら心配になるけれど、こんな時でもそれだけ余裕を保とうと出来ているのだから大丈夫だろう。
シュエットは僕と目が合うと、わずかに頬を染めて、あわあわと顔の前で両手を振って「な、何でもないの、何でも」と慌てたように言った。
それから話を逸らすようにして、
「み、見て、アル」
丁度橋へと差し掛かっていた僕たちは、シュエットの指さす方を向く。
やはりというか、河川の水かさは増していて、氾濫こそしてはいないものの、流れは激しく、今にも溢れてきそうな勢いだった。
「気にしないでいよう。気にし過ぎるからそう見えるだけだよ」
僕は自分を納得させるためにも、そうやって言い聞かせる。
いくら何でも、この橋の上から川に引きずり込まれるなんて事――
「アル」
冷たい風が吹いてきて、シュエットが僕の服の裾を引く。
何となく嫌な感じのする風だ。
周囲を見渡してみても、探知の魔法を使ってみても、人影は確認できない。
「大丈夫。シュエット、何も不安になること、なんて……」
腕の中のシュエットの顔が驚愕と恐怖に染まっているようで、背後から大きく激しい音を感じて振り向いた。
気にせずに橋なんてさっさと渡っておけばよかった。
そう思った時にはすでに事態は逼迫していた。
河川の水がうねりを上げて、大きな横向きの渦となって、僕とシュエットを飲み込もうと迫ってきていた。
「勘弁してほしいな。浴室のことといい、水難の相でも出ているのかな」
タイミング的に狙いはシュエットということで間違いないのだろう。
シュエットを抱えて2人で飛んだのでは速度的に間に合わない。
シュエットを気遣う余裕はなかった。
「アルっ!」
身体を強引に加速させられた橋の向こう岸へと飛ばされたシュエットの悲鳴のような声が聞こえる。
シュエットを巻き込むわけにはゆかない。
僕1人だけならば、まだ生存の確率は上げられる。
そう思っていると、水の渦から無数の手がシュエットに向かって伸びているのが確認できる。どうやら、引きずり込もうとしているらしい。
そうはさせない。
僕はシュエットを包むように球形の対物の魔力フィールドを展開する。一昨日と同じであれば、これで防ぐことは出来るはずだ。
物理的なものも遮断しているため、加えて迫りくる水の渦の音も相まって、中からシュエットが僕に向かって何か叫んでいる様子だったけれど、その声は聞こえなかった。
シュエットは大丈夫だろうけれど、僕だってこのまま飲み込まれるつもりは無い。
その場で障壁を展開して、気合を入れると、渦の中で何かがバチバチと弾けているのが視認できた。
雷というわけではなさそうだ。
人間の好奇心とは恐ろしいもので、僕は一瞬、見たことのないその光景に目を瞬かせた。
そして、次の瞬間には、飛行の魔法を使っている時と似た浮遊感を感じていた。
どうやら、橋が水の勢いに耐え切れず、破壊されたらしい。
一体どんな勢いだ、などと関心している場合ではない。
しかし、飛んでこの場から逃れようにも、すでに上下左右を水に囲まれ、前方からは渦の中心が目の前まで迫っている。
今日は休業だな。
こんな状況であってもそんなのんきな考えをしている自分がおかしかったのか、何故だか笑みが浮かんだ。というより、もはや笑うくらいしか出来なかったともいえる。
シュエットの方に防御を回しているため、自分を守ることは出来なかった。そんな暇もなかった。
渦の中から巨大な手が出現し、僕のことを捕まえる。
そのまま引きずり込まれる僕に出来た唯一の抵抗は、僕のことを捕まえている水の手を蹴り飛ばし、振り払うことくらいだった。
しかし、すでに時は遅く、むしろ、今までよりも乱れが大きくなった渦に急速に引き込まれ――
ようやく息が出来るようになって、むせ返るようにして咳をした。どうやら、大量に水を飲んでしまったらしい。
ぐるぐるに流された影響からか、それともまだ朝食の前だったからか、お腹は空いていたけれど、それよりもまず。
「そうだ、シュエット、シュエットは無事だったのだろうか」
探知魔法を使ってみると、シュエットの反応はない。
まさか!
そう思って周囲を見回してみて。
「ここは一体、何処だろう?」
少なくとも、ラヴィリア王国ではなさそうだ。
一緒に流されたわけではないのか、場所が違ったために探知魔法に反応しなかったのかとも思ったけれど、やはり、肉眼でもシュエットの姿は確認できなかった。
「いや、あれは……」
川岸に、さらさらと風にそよいでいる銀の髪が確認できた。
シュエットの白い髪は、光の当たり方によっては白ではなく、銀色に煌めいて見えることもある。
背丈はシュエットよりも大分小さいみたいだけれど、流されていた影響で、僕の目が追い付いていないだけかもしれない。
「おーい!」
叫びながら近づくと、その場にいた全員が振り向いた。
近くで見ると、その女の子の髪はシュエットと同じ白い髪ではなく、まさに銀色で。
その子の隣には張りつめた顔で小さなナイフを構える、癖のある赤毛の女性が、油断ならないというようにしゃがみ込んでいた。
「すみません。知り合いによく似ていたもので」
それだけで立ち去ることの出来る状況ではなさそうだ。
彼女たちは、僕のいる川を背にして、人相の悪い男衆に取り囲まれていた。
「どなたかは存じませんが、助太刀いたします」
とりあえず、自分の状況は気になったし、シュエットのことはそれ以上にすごく気になってはいたけれど、目の前で襲われそうになっている女性を見捨てることは出来ない。
「関係のない奴は、怪我したくなけりゃ、すっこんでろ」
取り囲んでいる方の男性が怒鳴り散らす。
「関係なくはありません。見たところ、周りに他に人もいない様子なので、僕は尋ねたいことがあるのです」
「今、聞け。そして、すぐに立ち去れ」
取り込み中らしいのに、随分と親切な方たちだなあ。
「ええっと、それじゃあ――」
「助けてください!」
とりあえず、場所を尋ねようとしたところで、赤い髪の女性が、そう叫ばれた。
「分かりました」
僕は躊躇うことなく、そう答えた。