〜 グランソルシエールの禁術書 〜 第十九話
◆ハングラードの閃光
アウラは、小高い丘に寝かされていた何時の間にか意識を失い次に目覚めた場所は、緩やかに丘を下った先に小さく神殿が見える。
北の神殿に来る途中、先客の動向を探る為に進軍を止め野営をした場所だった。
「ウォン」
「プラム?」
暫くの間、聞いていなかった相棒の鳴き声と近くで聞き覚えのある声がアウラの耳に届いた。
「気が付いたかね」
「ランディー様! 御無事で何よりです」
「アウラも無事で何よりだ。敵に囲まれる前に街から逃げられたのかね? しかし、あの山羊飼いの姿が見えないが……」
「それは……」
アウラは、言葉を絶ち小さく見える神殿を指差した。
アウラの指先に示された方向を、見事に敵の援軍を討ち破ったランディーの率いる名も無き赤の騎士団と増援の友軍は歩みを止め神殿に頭を向け見詰めた。
「あれが少年の言っていたドラゴンの循鱗とか言う物の力かね。あれがドラゴンそのものの力なのか……圧倒的じゃないか、敵軍が虫けらに見える」
「……」
「どうしたのだね? アウラ。もしかして彼がグリンベルの悪魔だったなのかね?」
「……わ、分かりません……でも、彼がそうだと……」
「……それが本当なら、暫く旅を共にした連れを討たねばならんアウラの気持は察する。それでも、きみがそうすると言うなら私も及ばずながら助太刀しよう。だが現段階では、まだ彼は我々と旅をした頼もしい味方だ。これより我々も神殿に向かうとしよう」
ランディーが馬上にあがると片手を天に掲げ神殿の方向に振り下し騎士団に全軍進めの指示を出した。
「さあ、アウラ」
ランディーがアウラに手を差し伸べ、アウラの手を取ると馬上に引き上げた。
陽の光を反射した水晶群のようなドラゴンの鱗が神々しい輝きを放っていた。
「てぇっ――」
乾いた炸裂音と共に撃ち出された鉛玉がドラゴンの鱗に易々と弾かれる。
人の身丈程もある矢は、石弓に置かれ極限まで引き絞られ弾かれた無数の矢は、ドラゴンの巨大な爪が、まるで集る蠅をあしらうかのように払われる。
巨大な翼を一度、煽られただけで重い鎧を着込んでいる騎士たちでも容易に地面から引き剥がされ吹き飛ばされた。
鰐のような鋭い歯が並んぶ顎が開かれ咆哮が上げると空気を淀ませながら、生まれた衝撃波が石造りの民家を崩し、一度鋭い爪を持つ前足を薙ぐと空気を切り裂き真空を生み出し石壁を両断した。
長い尾が振られる度に民家も壁も瓦礫へと変わっていく。
騎士たちが近付き一太刀浴びせる事等、到底出来ない。
勇敢にも立ち向かっていった騎士たちも手持ちの弾が無くなると終いには、腰に差していた剣や手に持っている槍を闇雲に投げ付けるが、ドラゴン本体まで届かず地面に落下する。
巨大な体の死角から如何にか、後ろに回り込んで届いた剣や槍は硬い鱗を穿つ事なく空しく宙を舞い地面に落下するだけで、その後、振り向いたドラゴンの鋭い光を放つ赤い瞳が向けられると、それだけで騎士たちは尻もちを着いた。
その猛々しさに気押され、これまでに幾度も野の魔物を討ってきた屈強な騎士たちも後退りし始める。
「これが数多の魔物たちと一線を引かれる幻獣の一つ、ドラゴンの力なのでしょうか? バルバロ指揮官殿」
「ターデン! 魔術師どもはどうした? 何故、来ぬ」
「いえ、それが一向に来る気配はなく。何しろ強力な魔術を使うには時間が掛りますゆえ……それに要らぬ邪魔が入ったとの報告も受けております」
「えぇぇ――い! 魔術師どもは何をしているかぁぁぁ! あの愚図まどもがぁぁあ」
指揮官が怒を露わに怒声を上げた。
「指揮殿、我が軍は総崩れ、このままでは全滅致します。ここは一度軍を引き態勢を整えた方が良いかと……」
側に控えた副官が苦虫を噛み潰し指揮官に進言した。
「もう一歩でグランソルシエールの禁術書を手中に出来たものを――。全軍、たいきゃぁく」
司令官が忌々しげに言葉を吐き、退却の命を下した。
「全軍、たいきゃぁく」
副官が復唱すると波紋が広がるように復唱の声が上がった。
それぞれの隊が手綱を引き出し退路に馬を向けた。
「なっ!」
指揮官も馬の手綱を引き退路に向けながら、暴れ狂うドラゴンを忌々しげに見ていた頭を向け絶句した。
ランディーの率いた騎士団が退路を塞いでいる。
「無用な戦いは避けたい。銃を下ろし剣を納められよ。指揮官殿」
「貴様等には……あれが見えんのかぁ! 悪い事は言わん、命惜しくば貴様等も軍を引け」
指揮官がドラゴンに向い剣で差し示した。
「すまんが、生憎あれは知り合いでね」
ランディーの言葉に指揮官は、皿の様に丸くした。
「そんな戯言を信じると思うか! 道を開けよ。貴様らも軍を引けと言っておる」
「残念だが、戯言でも絵空事でもないのでね。 我らが逃げる理由がない」
アウラは、ランディーの騎馬から、するりと尻を滑らせて馬上を後にした。
「覗き魔さん! もう、いいですよ――」
暴れ狂っていたドラゴンが、アウラの声に反応し大きな顔を向け、大地に伏せた。
少女の一声で大人しくなったドラゴンを目の当たりにした指揮官は、肩を落とし持っていた指揮杖を捨てた。
アウラの紫水晶の瞳は神々しいドラゴンの姿が映し出している。
今し方まで鋭かったドラゴンの赤い瞳が微笑みを表わしているかのように薄くなった。
この猛々しくも神々しい姿のドラゴンは、どんな時も笑みを絶やさないあの少年で、グリンベルを焼き払った忌々しいドラゴンではない。
アウラは、自分を仇と言いながらも、何だかんだと言って安全な場所まで自分を運びんでくれた、このやさしいドラゴンをそう思おうとした。
本当にグリンベルの街を焼き払った魔物が、少年の母であるドラゴンであったとしても、山羊飼いの少年が体内にその母が残した循鱗の力を宿していても循鱗の力を彼に与え、残した少年の母は、もうこの世にはいない。
しかし、少年の言っていた言葉が気に掛る。
少年の住み始めた街と、その街を守る為に戦って死んだ原因である魔物の軍勢は、果たして自分が創り出したものなのか? 幼い日の記憶を辿るが、今も自分が扱える魔術は、魔物除けの小さな火を作り出す事が精一杯で、とても魔物の群れなど創り出せたとは思えない。
禁術書にも魔物の創り出し方を記されていたという記憶は無い。
グランソルシエールが魔物を創り出そうとしたという記述も読んだ覚えは無い。
あの時、少年が言った『アウラを討つ』の言葉が心に突き刺さり切ない気持になったが、追い詰められ窮地を脱する為に封印を解き循鱗を解放する為に、あの賢い少年が言った一流の詭弁だったのかも知れない。
封印を解く方法が方法だけに……。
少年の詭弁だったのだと思えば、少年の言葉が何処か心地よく思えた。
「俺は、アウラ以外の奴に討たれてやるつもりはない。だから、アウラも俺以外の誰かに討たれる事は許さない」
アウラは、あの時に少年が言った言葉を頭の中で反芻した。
――これって……ある意味。プロポーズだよね? どちらかが最後を看取るまで一緒にいようって言う事だよね? アウラ……。
まだ名前も知らないし覗き魔で天然スケベだし、悪気は無いようだけどエッチで変態だし何処がいいのか自分でも分からないのに……、でも、たまにだけど……本当にたま――にだけど、かっこいい時もあるの――などと、お気楽な事を考えながらドラゴンの姿のままの少年をアウラは見ていた。
アウラとドラゴンの間の視界に桜色の髪を後ろで纏めた女性の姿が飛び込んだ。
「まったく……何処かで見たような気はしてたんだけどねぇ、よくもまぁ、次から次へと驚いきが続くもんさね。しかし、あの時循鱗の力を封じたガキが、あの少年だったとはねぇ――。私以外に封印を解く事が出来る人物と言ったら……まぁっ、ここには一人しかいないか」
ソルシエールがアウラの方を向き、にやりと意味あり気な顔をした。
「ぶちゅ――としたのかい? 小娘」
「ぶぅ……ちゅって……したというか……されました……」
アウラは、顔を赤らむのを感じて俯いた。
「あはぁはぁ、そうだった。その手順だったさね。でも……苦しそうだね」
「えっ……苦しいと言うか、なんというか……恋している事に気付いた時って胸が苦しくなるものなんですね」
アウラは指を絡ませながら、もじもじと身体を動かし赤らんだ顔を伏せた。
「あんたじゃないよ。あの少年さね」
「……えっ!」
微笑の意だと思っていた薄くなった赤い瞳を何時の間にか巨大な厳つい瞼が覆ってい隠している。
大きな口からは弱々しく小刻みな息使いが聞こえた。
「力の反動さね。ひ弱な人間が循鱗の力を慣らしもせずに完全体そのものの力を使ったからさ。これ以上、あのまま放っておくと取り返しのつかない事になるよ。封印を戻してやりな」
「……封印を戻す? 封印の戻し方は?」
「知らないのかい? 知らずに封印を解いたのかい? やれやれだねぇ、まったく……仕方ないねぇ、そんじゃぁ私が戻すとするかねぇ――」
ソルシエールは、頭を掻きながら、ドラゴンの姿のまま苦しんでいる少年に近付いていった。
「パース(perth)・ウルズ(uruz)・ベルカナ(berkana)」
(秘め事よ。力を戻しなさい)
ソルシエールの顔がドラゴン姿をした少年の大きな口元に唇を近付けた。
「いやぁ――! だっ、だめぇ――!」
ソルシエールが、これから取るだろうと思われる行動に気付いたアウラが悲鳴じみた叫び声を上げた。
その時、ドラゴンの姿をした少年が突然、伏せていた地面から大きな顔を引き剥がし山々の重なる山間に振り向いた。
直後、地響きが鳴り響き大地と大気を大きく揺らした。
「こんな時に……全部の魔法陣を乱せなかったか! 結局、イタチごっこになっちまったねぇ、いったいどれだけの魔法陣を用意したのかねぇ、あの魔術師ども」
ソルシエールが忌々しそうに顔を歪めた。
「ゴーレム(土人形)?」
地響きと共に小高い山々がその数だけ数体の土人形に形を変えた。
「ふっふっふ、はぁはぁは……これで形勢逆転だ。遅いぞ! 魔術師どもぉぉぉ」
ランディーたちに捕らえられた指揮官が不敵な笑みを浮かべ声を張り上げた。
ゴーレムの軍勢を睨んだドラゴンの身体に青白い稲妻が纏わり着き始め、ドラゴンの全身に纏わり着いた稲妻は、大きく開かれた顎の中に飲み込んでいくように吸い込まれいく。
青白い稲妻は、大きく開かれたドラゴンの咽喉元に収束し、チリチリ音を立てながら一点に収束され稲妻は強力な磁場を生み出している。
その中に刺々しい水晶群のような鱗の結晶が一粒、現われた。
「ドラゴンの閃光! 今の状態で『絶対』を使えばお前の身体が! お待ちっ――」
ドラゴンがソルシエールの制止を聞かず、短い咽喉を身体と共に真っ直ぐに伸ばした。
すると咽喉元に現れた水晶のような鱗の結晶を吐き出した。
結晶がピキュュ――ンと甲高い音を残し凄まじい速度で吐き出された。
吐き出された結晶は、大気との摩擦でオレンジの残光を空間に引き標的のゴーレムの軍勢に向い放たれた。
紫電一閃、オレンジ色の閃光が空を裂き、ゴーレムを一掃した。
水晶のような鱗の結晶は、程なくして大気との摩擦で燃え尽き消えた。
まともに閃光を受けたゴーレムは飴細工のように歪み、やがて跡形無く塵と化し、直撃を免れたゴーレムは閃光の衝撃波を喰らい木端微塵に砕け散った。
閃光を放ったドラゴンからゴーレムの軍勢がいた場所までの大地は溶け溝となり、閃光の熱と衝撃波が残した軌跡を刻んでいる。
ゴーレムの後ろに聳えていた山は裾野を残し消し飛んでいた。
「やれやれ、地形を変えちまったよ。まったく。加減を知らないガキだねぇ! まぁ、日当たりと風通しが良くなるさね」
ソルシエールが渋い顔をして頭を掻いた。
「……あれは、あの閃光は」
敵か、味方かは分からない。
誰かが、そう言った。
魔物を扱うと忌み嫌われ、冷遇された山羊飼いたちが逃れ住み着いた街。
ハングラードに神が下した審判の雷と伝えられているはずのオレンジ色の閃光。
「……ハングラードの閃光」
ドラゴンの凄まじいブレスを目の当たりにした者たちの中から何処からともなく声が上がった。
To Be Continued
最後までお読み下さいまして誠にありがとうございました。<(_ _)>
次回をお楽しみに!