〜 グランソルシエールの禁術書 〜 第十八話
◆封印解放
外の様子は次第に慌しさを増していく。
息を潜め外の様子を窺がいながら、納戸の中は二人だけの静かな時間が流れている。
短い時間がやたらに長く感じられた。
神殿で少年が話した言葉が気に掛かる。
少年の言葉……『ドラゴンのブレスを見せてやる』少年はいったい何を考え、伝えようとしたのだろうか……。
グリンベルを焼き払った強力な炎のブレスを自分に見せようとしているのか。
しかし、少年は母の冤罪を信じて止まなかったではないか。
……なら、どうして?
紫水晶の瞳を虚空に落とし俯き少年の意図を探っていると、少年の口から更なる衝撃が放たれた。
「アウラ。お前が俺の住んでいた街を襲った魔物を創り出した魔術師だ」
「えっ!?……突然なにを! ……わ、私、知らない。魔物なんて創り出していません……何を根拠に言っているのですか? もう覗き魔さんは、またいい加減な事を言って、私をからかって面白いですか?」
――少年が間違うはずはない。
アウラはそう思っている、アウラの心は少年を信じている。
信じていればいる程、少年の言葉が気に掛かる。
アウラは、自分でも気付かない間に動揺の余り身体を震わせ視線を泳がせた。
「俺は母さんの力を使ってアウラを討つ! アウラは禁術書の魔術を使ってドラゴンの循鱗を持つ俺を討てばいい」
「そ、そんな事……急に言われても……私どうしたらいいか……」
「禁術書の魔術……使えないのか? もしかして」
アウラは静かに首を横に振った。
「確かに見た事もない文字の様な記号の様な物は解読できませんでした……でも、古語で書かれていた記述については解読を終えてます……一応……禁術書の大半は強力な魔術を描く事に時間を費やす面倒な陣を用いず発動させる為の言わば、短縮手法と強力な魔術の魔法陣が書かれていました。使えるかどうかはやってみないと分かりません」
アウラは咄嗟にそう言った。
ソルシエールの残した魔法陣を解いた時から本当はもう分かっているのに……自分には禁術書の魔術が使える事を――。
街の仇は討ちたい……でも、この少年は討ちたくない。
それに私は魔物など創り出した覚えはない。しかし、この少年の言う事は信じるに値する。
世迷言だと思えた事も、少年の言う事は現実に起こって来たのだから……。
もし、自分が魔物を創り出した事があるとしたのなら私は、この少年の仇。
少年の言った『討つ』という言葉が心に突き刺さる。
心が傷付いた痛みとは違う、切ない痛みが胸を締め付け広がっていく。
アウラは、視線を落とし少年の碧眼から瞳を逸らせた。
落としていた視線を外に向けた時、紫水晶の瞳が窓の外の視線と交わった。
「誰かいるぞ! 先日、我々の邪魔をした女だ」
外を見回っていた鎧の男がアウラの桃色の髪を見つけ声を張り上げた。
壊れかけた納戸を蹴破って白銀にブルーマールの少年が飛び出した。
少年の伸ばした手にアウラは手を伸ばそうとして一瞬、戸惑い、躊躇してその手を引いた。
「早く! 俺はアウラ以外の奴に討たれてやるつもりはない。だからアウラも俺以外の誰かに討たれる事は許さない」
少年の研ぎ澄まされた刃物のような眼光がアウラの紫水晶の瞳を見据えていた。
アウラは少年の碧眼を見据え、伸ばしたまま差し出されている手を掴んだ。
アウラは、少年に手を引かれ裏口へと走った。
禁術書を胸に抱え、手に持っている節くれた杖に括りつけられた鐘が小気味良い音色を響かせている。
「逃げたぞ! 裏口に回れ、男も一緒だ」
少年が急停止し壊れた窓縁に足を掛けると半身を翻しアウラの手を取り身体を引き上げた。
外に出ると崩れた民家を縫うように、からんからん♪ 音を響かせながら、ひたすら逃げる。
「駄目だなぁ――。先回りの先を大声で言うなんて」
少年が先程とは別人のように微笑んで言った。
「何処に逃げれば……」
「そんなの分からない」
アウラが残す鐘の音は石の塀に反響し上手い具合に騎士たちを攪乱してくれる。
アウラの手を引いた少年は、まるで川を流れる木の葉のように騎士たちのいる場所を避け瓦礫の街中を走り抜けた。
「はぁはぁはぁ……やっぱり……駄目だぁ、攪乱して……も街の外に出る事が出来ない……敵の数が多すぎる。このままじゃランディーたちが戻るまで持ち堪えられない。封印を解いてくれアウラ」
「はぁはぁはぁ……いや……です。はぁはぁ、そんな事……出来ないです」
「封印を……解く方法が嫌なのか? キスするから」
「……それは……そのぉ――そうじゃなくて、もし、覗き魔さんが言った事が全部本当なら、私たちにはもっと複雑な事情が――」
二人は、外見の残る石積みの廃墟に逃げ込み呼吸を整えながら話していた。
逃げ込んだ部屋にある放置され埃の被る木の机が乱暴に弾き飛ばされ、石の壁に叩きつけられ大きな音を立てて砕け散る。
「いたぞ! 包囲して追い詰めろ! この民家跡だ」
咄嗟に部屋の窓から外に逃げ出し一心不乱に走って路地に逃げ込んだものの、次第に敵の騎士たちが続々と集まり、二人を包囲し出した。
「鼠を燻り出せ、鉄砲構えぇぇぇ。てぇぃ――」
指揮官の指示を受け騎士たちは素早く構え、火打ち式の銃口が火花を噴き出し、乾いた音を響かせた。
二人の隠れた石壁は着弾音と砕けた石が土埃を上げる。
「アウラ。こうなったら潔く、チュ――しよう」
「チュ――て……せ、せめて『封印を解け』とか『キスしよう』とか、少しは真顔になって言ってくだい……納戸の中にいた時にしていた顔で……」
こんな状況でも顔を赤らめてアウラは俯いた。
――石壁が着弾を立て土煙を上げ砕け散る。
「アウラ。封印を」
「わ、分かりました。は、始めますね?」
「じゃぁ、いただきます」
「ま、待ってください。その前に」
「ansuz・perth・nauthiz・othila・fehu・teiwaz・sowelu・uruz」
(秘め事を受け取りなさい。戒めを放ち所有者の下に導き完全なる力を)
禁術書に書かれていた短縮手法は慣れてないからと言いってアウラは古語の交じる呪文を唱え、節くれた杖を振った。
杖に括りつけられた鐘が小気味良く、からん♪ と音色を響かせる。
少年の左首筋に六芒の紋章が現われ七色の輝きを放ち始めた。
――間を置かず着弾が土埃を撒き上げる。
「覗き魔さん……く、くく、口づけを頂けますか」
そう言うと持っていた杖を肩口に掛けた。
アウラは、瞼で瑞々しく揺らいでいた紫水晶の瞳を覆い隠し、控え目に膨らむ胸の前で指を絡めるように手の平を組んだ。
形の良い薄桃色の唇を薄く開いて、その時を待っている。
少年に肩を掴まれたアウラは身体を強張らせた。
アウラは、重なっていた指をいっそう強く絡めた。
唇にやわらかな感触が重なり、やがて惜しむ様に離れていった。
互いの唇が離れ距離を開けていく。
アウラは、後追う様に少年の左の首筋に唇を近付けた。
六芒陣の封印に口付けを与えようとした時、少年の言葉にアウラは上げていた踵を地面に下ろした。
「いいかアウラ。グリンベルの悪魔と呼ばれる事になった母さんのブレスの威力がどれ程のものか、その眼にしっかりと焼き付けておくんだ」
――この少年が伝えようとしている事、それを感じ取りたい。
「はい」
アウラは、こくりと頷いた。
「えぇぇぇ――い。しぶとい鼠どもめ! 突撃し捕獲せよ。抵抗あるなら殺しても構わん」
業を煮やした指揮官が命令を下した声が届いた。
アウラの唇に残っていたやわらかく温かい感触が名残惜しげに薄れていく。
アウラは、絡めていた指を外し両腕を開くと少年の背中に腕を回して爪先立ちで背伸びし、まだ少年の温かさが残る唇を七色の輝きを放つ六芒の紋章へと近付け、六芒の紋章に口づけを与えた。
封印の魔法陣が輝きをいっそう強めだした。
――二人の隠れた場所に近付いた騎士たちが腰の剣を抜き、二人を囲み切っ先を近付けてくる。
解き放たれ封印の紋章の輝きは、大きさと光を増し七色に輝く光に呑み込まれるように、少年は光の闇へと姿を消した。
紋章から解き放た続ける溢れ出した光は騎士たちを弾き、アウラを抱き包み宙へと浮かび膨れ上がった。
アウラを抱き包んでいた七色の光体は、少年の体内に戻るかのように形を変えながら、輝く粒子が薄い宝石のような形に変化し折り重なる水晶の結晶のように紡ぎ合った巨大な翼と水晶石の塊のような鱗を全身に纏ったドラゴンが陽の光を浴びて虹色の輝きを放ち大空にその雄姿を現した。
アウラの身体程もある眼は、全てを焼き尽くす焔のように赤く、その真紅の眼中には爬虫類のように縦長の黒い瞳が開いていた。
アウラは、その瞳に見詰められた時、これまでの疲れが一度に吹き出したかのように身体が重くなっていくのを感じると同時に意識が遠のいて行く事を感じた。
意識が途切れる寸前にアウラが見たのは焔のように赤い瞳を厳つい瞼で薄くしたドラゴンだった。
薄くなったドラゴンの瞳は、やさしく微笑掛けているようにアウラの眼に映った。
To Be Continued
最後までお読み下さいまして誠にありがとうございました。<(_ _)>
次回をお楽しみに!