〜 グランソルシエールの禁術書 〜 第十七話
◆偽りの真実 後編
アウラは、途切れる事のない明かりの灯る地下室で眼を覚ました。
少年が地下室を出てから、どれくらい経ったのだろうか、切れる事のない明かりの部屋で長時間過ごしたせいもあり、時間の感覚が麻痺している。
時間の感覚が麻痺していく中、少年の残した言葉が気に掛かり、不眠不休で禁術書を読み終えると急激な睡魔に襲われ眠りの世界へと落ちて行った事を思い出した。
アウラは、禁術書を読み終え、故郷を滅ぼしたグリンベルの悪魔を討てるかも知れない禁術書に記された内容と、これから知るであろう犯人が明らかになると言うのに弾んでもおかしくない心が少しも弾まない、代わりに嫌な予感を感じ胸の高鳴りが広がっていく。
グリンベルの悪魔の正体を教えると言った少年の言葉が、やたらに胸に引っ掛った。
少年は何時? どうやってグリンベルの悪魔の正体を知ったのだろう、と疑問を感じながらも、何時の間にか少年の言う事を信じている自分に気付く。
不意にアウラの脳裏に地下室を出て行った時の少年の姿が浮かんだ。
何時も微笑みを浮かべる少年の表情は見た事も無いくらい硬い表情を作り出し獲物を狙う獣のような眼光鋭く矢を射るような視線を向けられた時、どんな恐怖とも比べられない不安と戦慄を憶え、どんな出来事とも比べられないグリンベルの街を焼かれ家族と全てを失った時のような悲しみ、今まで味わった事のない切なさが入混じり、アウラの紫水晶の瞳から涙が零れ出た。
階段の方に向き直った少年の背中が、何処かに消えてしまいそうで悲しくて寂しくなった事を思い出す。
アウラは、グランソルシエールの禁術書を胸に抱えて地下の階段を早足で駆け上り、神殿の薄暗い礼拝堂に出ると、神殿の外は夜が明けようとする頃だった。
明かり取りの吹き抜けになった窓から差し込む僅かな朝陽がやたらに眩しい。
朝とはいえ不気味な程、静まり返っている辺りの様子が、更にアウラの胸に不安を加速させた。
確か少年は、軍隊がこの神殿に向かっていると言っていた。
少年の気配を感じ取る力は、風狼の件と天候を読み切った事で承知している。
アウラは、心の奥底であの少年が間違うはずがないのだと、信じている。
それ故に余計に胸に引っ掛かる、グリンベルの悪魔の正体を教えると言った少年の言葉が……。
正確な時間の感覚が麻痺しているとはいえ、食事が運ばれて来た回数から、どれくらい時間が流れたのか、アウラは過ぎ去った時間を追った。
神殿に着いたのは二日前の昼前の事、壁画の伝言を見付けたのは、その日の陽が沈むより前、神殿の地下に下りて暫くしの間をおいて夕食が運ばれて来た。
次の食事の朝食を山羊飼いの少年が運んで来てくれた。
昼食を運んで来たのが、少年ではなく少し残念な気持ちと胸の奥が何故来ないのかと、むかむかする感情を覚えた。
食事を終えて幾時か過ぎ、少年が水差しを差し出してくれた時、ソルシエールと出会った。
その日の夕食を運んで来たのも少年ではなかったが、食事を運んでくれた騎士に外の様子を聞いてみると特に変わった事はないと言っていた。
少年が感じた気配は、もしかするとソルシエールのものだったのかと、一瞬思ったもののすぐさま心の中で首を横に振った事を覚えている。
山羊飼いの少年は軍隊が動き出したと確かに言った、あの少年が違えるはずがないのだと……。
アウラはそう思った。
神殿の外も静かだった。野営の天幕をそのままに騎士たちの姿が見えなかった。
アウラは、一人置き去りにされてしまったのかと、不安に駆られた時、神殿の柱の陰に人影が揺らいだ。
白銀にブルーマールが映える髪を朝のやさしいい光が透かし淡いブルーが幻想的に揺れている。
決して見間違う事のない山羊飼いの少年の姿をアウラの瞳が捉えた。
アウラの胸中に、この上ない安堵感が広がる。
「ランディー様と騎士さんたちは何処に行かれたのですか?」
アウラは、唇を震わせ潤んだ紫水晶の瞳を少年に向けた。
「夜が明ける直前に狼煙が見えた後、早馬が到着し伝令をランディーに伝えた。伝令の内容は神殿に向かっていた援軍が敵部隊と鉢合わせ交戦中、名も無き赤の騎士団は臨機応変に備えよ。との事だった」
何時も弓のように反らしている少年の碧眼は、笑みを浮かべていない。
「それでランディー様と騎士さんたちがいないのですね?」
「敵は軍を裂いて幾手かに分かれ神殿を包囲したいようだから、ランディーは囲まれる前に討って出た。アウラが禁術書を解読中だったし、ここを戦場にするのは旨くない」
これまでアウラも戦や魔物に街が襲われたりした話を多々聞いていた事はある。その度に自分に起きた過去と重なり、心の中で怖いと思いはするものの、自分の知らない場所で起きている出来事を、今日まで何処か対岸の火事のように思っていた事に気付いた。
自分のいる場所が何時戦場になってもおかしくない状況下に置かれた今、もしかすると戦になるかも知れないと、覚悟していたとはいえ、いざ本当に自分のいる場所が戦場になる事を身近に感じると、その恐怖は尋常じゃないものだった。
自分たちだけが、神殿に残された不安とまじかに近付いている恐怖心が、アウラの華奢な身体を震えさせた。
「ここは大丈夫なのですか……」
「何とも言えないなぁ、ランディーは軍を裂かず、まず援軍と自分が率いている騎士隊とで敵を挟んで抜くつもりらしい。だから援軍の加勢に向かった。まぁ正解だと思う。その内援軍を引連れて来てアウラと禁術書の護衛に全力を上げるさ」
「ソルシエールさんは何所に行かれたのですか?」
「ソルシエールは、敵の部隊に魔術師が交じっていた事を知っていて気になる場所があるからと言って神殿を後にした」
「ほ、他の敵は、神殿に近付いてるの? ランディー様たちは間に合うの?」
アウラは、細い桃色の髪と紫水晶の瞳を不安そうに揺らした。
「敵はすぐ傍まで近付いて来ている。先に敵がここに到達するか、ランディーたちがそれまでに神殿に戻ってこれるかは、ランディーの手並み次第だからなぁ、俺たちは兎に角隠れて様子をみよう」
「……はい」
アウラは、震える細い肩を抱いて小さく頷いた。
崩れながらも、まだ外見を残している石壁や石造りの民家の間を迷路のように通路が敷かれている場所に入り石造りの民家に二人は身を潜めた。
部屋の中に入った二人は木の扉が片方傾いている納戸を見付け中に身を隠した。
傾いた扉の隙間からは窓が見える。
その窓から外の様子が窺がえた。
狭い納戸の中、アウラと少年の身体は自然に近くなる。
こんなにも近くに少年の息使いを感じたのは風浪の件以来の事だ。
その時とは違う緊張感がアウラの身体を強張らせ顔を赤らませた。
心臓が飛び出してしまうかと思えるくらい強く早い鼓動を打っている。
少年の眼光炯炯を外に向ける横顔が、隙間から差し込む光の中に見えた。
何時もは微笑みながら、間抜けな事をのんびりとした口調で話す少年とは、まるで別人に見える。
風が何かを揺らす音にも神経を尖らせて警戒する少年の姿に小さな胸が、どきっと跳ねた。
「何か臭う……」
少年が小さな声で呟いた。
アウラは、少年と密着していた身体から距離を置いた。
「に……臭いますか……」
アウラの赤らんだ顔が羞恥で更に赤くなった。
思えば宿を出てから数日、風呂に入ってない、水に浸した布で身体を拭いただけだった。
「あぁ、臭う、嫌な臭いがする」
アウラは、少年を突き放すように身体を離そうと少年を両手で押しのけたが、狭い納戸の壁に阻まれた。
「うん? どうしたんだ……痛い。狭いんだから、そんなに押すなよなぁ」
少年が張詰めた表情を解き、やわらかく微笑んだ。
「あ、あの……そんなに……その……に、臭いますか……私……」
「……」
少年が首を捻って暫く無言になっていたが何かに思い当ったように、はっとした表情をするとすぐさま微笑みを戻した。
「きゃぁ」
不意に引き寄せられたアウラは、少年の胸に顔を埋める格好になった。
「俺も臭う。気にする事はない」
「き、気にしますぅ……だって! わ、私は……お、女の子だもん……臭いは気になります……よ」
「そうじゃない。嫌な気配が近付いて来るって事だ。アウラが臭う訳じゃない。アウラからは何時もやわらかい良い匂いがする」
「……」
アウラは、火が吹き出しそうな程赤らめ俯いた。
「誰か近付いて来る! これは……残念だがランディーたちが戻る前に外堀を埋められた。数も多いなぁ、見付かるのも時間の問題だ」
「私たちどうなっちゃうんですか?」
「俺は殺されるだろうなぁ、アウラは辱めを受けるかも知れない」
「そんな……」
アウラの紫水晶の瞳は不安に震え、潤み出した。
「嫌だよなぁ、俺は嫌だ。殺されるのもアウラが辱めを受ける事も」
「嫌ですぅ……そんな、辱めなんて……そんなの嫌です、私まだ――」
「アウラ、封印を。循鱗の封印を解いてくれ。アウラに見せてやるグリンベルを焼き払った悪魔の力を」
「……えっ?」
少年の言葉にアウラは顔色を失い茫然とするしかなかった。
To Be Continued
最後までお読み下さいまして誠にありがとうございました。<(_ _)>
次回をお楽しみに!