〜 グランソルシエールの禁術書 〜 第十四話
◆偉大な魔女の禁術書
祭壇が退いた後に現れた壁は陽の光に触れておらず白く、埃や手垢の汚れもない。
壁の状態から、これまで誰の眼にも触れられた事のない様子が見て取れた。
山羊飼いの少年とアウラ、ランディーをはじめ、彼の側近の騎士数名を選抜し扉を潜った。
神殿の地下へ繋がると思われる螺旋階段が視線の先に見える。
螺旋階段へと続く通路は思いの外明るかった。
所々に鏡か何かが取り付けられているのか地上の光を運んでくる。
通気口を有効に使用し光の屈折を利用して明りを得ているようだ。
もしかすると偉大な魔女が魔術で作り出している光りなのかも知れない。
しかし、実際にグランソルシエールが残した魔術による明かりだと考えれば、何百年も昔から継続的に魔術が作用している事になる。
これだけ長い年月を継続させるには、それ相応の労と時間を費やさなければならない。
並みの魔術師には、困難な事でも天才魔術師と今日まで言い伝えられる程のグランソルシエールなら呼吸をするに等しい作業だったのかも知れない。
そう思ってしまう程、地下に通路の螺旋階段は明るかった。
「何か、簡単に見つかってしまってるような気がするんだけど……、グランソルシエールって案外、間抜けだったのかなぁ」
少年が碧眼の瞳を弓のように反らせた。
「いや、そうでもない。巨大な絵画に残された伝言を今日まで見付けた者はおらず、あの高さに残された文字を見つけ出し、あまつさえ小さな文字を読み取るなど普通の人間には到底出来まい。まず一つ目、探せ、されば見つかる」
金髪を揺らし難しい顔をしたランディーが壁画に残されたメッセージを反芻した。
「覗き魔さんが見つけた古語……戻してみて気付いた事ですが、像が見詰めていた先に残された壁画に隠された古語のメッセージ……ですね。二つ目は、秘められた財産とは……おそらく古語を翻訳する為の資料や知識です。私は、この神殿の何処かに隠されているに違いと考えます」
アウラは紫水晶の瞳を少年に向けた。
少年は何時ものように微笑みを浮かべている。
――なによ! 覗き魔さんの見解が聞きたいのに!
少年の微笑みからは、アウラの思いなど微塵も気付いていないように見える。
何だか、無性に腹立たしく思う。
アウラは、胸の奥に切ない痛みを感じた。
アウラの気持ちを余所にランディーが少年に向けられた問いに答えた。
「アウラが翻訳した古語で書かれたメッセージだね。古語を資料を用いず翻訳するのも至難の業だ。まったく私は運がいい」
「そして、三つ目……苦難を乗り越えよ……いったいどんな試練が待っているんでしょう……」
「分からんね。何れにせよ仕掛けたのは、あのグランソルシエールなのだからな」
アウラの紫水晶の瞳が少し湿り始めた。
小ぶりで薄い唇も小刻みに震えている。
「怖いのか? 大丈夫、アウラに危険が及んだら俺が何とかするから」
アウラは、少年の微笑み掛ける視線から眼を逸らした。
これから得ようとしている力は、グリンベルの仇かも知れない。この少年の中に宿るドラゴンの循鱗を滅する為に自分自身が手に入れたいと願ったグランソルシエールの禁術書なのだから……。
そんな自分が屈託のない微笑みを浮かべ『守る』と言ってくれた少年を見れるはずがない。
この少年は、一方的に自らが言い出した約束を律儀に守ろうとしている。
少年の望みはアウラと同様。長く過酷だっただろう、往く先々で冷遇され続けた山羊を連れての長旅に終止符を打ち安住の地を求め、長閑な日々を迎えようと選んで住み始めたに違いない街と母を襲った魔物たちを創り出した魔術師を討つ事。
アウラは思う。
それでもこの山羊飼いの少年は、禁術書を手に入れようとしている自分に危険が迫れば、自分の命も顧みる事無く、きっと守ってくれようとするだろう、自らが交わした約束を果たす為に……。
数奇な出会い方をした、この少年を心の何処かで自分は信用している。
この少年が体内に宿すドラゴンがグリンベルの悪魔ではないと、はっきり分かるまで胸の奥に閉じ込めたままにするであろう、少年に対して生まれた灯火のように淡く揺れる自分の気持ちが、何にであるかという事にもう気付いている。
この少年は何時も飄々とし間が抜けていて、いい加減な事を言っているように思える。
しかし、彼が言う事は的を得ていて実際にそれらは当り、少年が言ったように現実のものとなってきた。
それらの経緯から彼が言う事、全てが真実でもあるかのようにも思え、それは信用に値し頼もしい魅力のある少年の姿だった。
風狼が現れた時、捨て身で自分を守ってくれた……ちょっとかっこ良かったぞ。
などと思っていると無意識の内に階段を並んで降りている少年の手を知らず知らずの間に握っていた事に気付きアウラは、顔を赤らめた。
程なくして地下に降りていた階段が視線の先で終わっている。
広いダンスホールのようにも見える床一面には、一つの魔法陣が、薄ら積った埃の下に描かれ一見しただけで、その複雑な模様が見て取れた。
グランソルシエール自らが禁術書を残し隠したと伝えられていた噂は、やっぱり伊達じゃない。
アウラの仕事はこれから始まる。
この難解な魔法陣を解けば、グリンベルの悪魔を討てるだけの力が綴られているだろう、グランソルシエールの禁術書を手中に出来るのだ。
アウラは、胸の鼓動が早まり弾んでいる事に気付くと同時に、弾めば弾む程に息苦しさと、きりきり痛み出す切ない気持ちを感じた。
「あっ!」
少年が不意に声を上げた。
「どうしてんだね? 急に」
ランディーが少年に問い掛けた。
「言い忘れてたけど……、街跡の外に嫌な気配を感じたんだった……忘れてた」
「それは先客かね? それとも……魔物かね? 」
「そこまでは遠過ぎて分からない。魔物だとしたら循鱗が疼き出すんだけど……いつもは」
「循鱗? 何かね、それは」
「ドラゴンの循鱗だ……詳しく説明をする気もないし説明しなくてもその内分かる。たぶん」
そう言って少年は壁に近付き耳を当てた。
「動き出した……大地を蹴る音……恐らく軍隊だ金属が細かくぶつかる音がする……が、まだ遠い。奴らは援軍を待って禁術書が無事に運び出されるまで潜んでいるのかも知れないなぁ」
「戻った方がいいのかな? 我々は」
「その方がいいと思うけど? どう思う? アウラ」
「わ、私に聞かれても……」
アウラは突然、少年の問い掛けに驚いたが、この魔法陣を解く事が出来る可能を持っているのはこの場では自分だけだと思い答えた。
「ランディー様……行ってください」
「分かった。そうしよう」
ランディーが身を翻すと他の騎士たちが、その後に着いて神殿の外に向かう階段を上っていった。
「ランディー頑張るんだぞぉ。死ぬなよ絶対に! 俺の目覚めが悪くなるから」
「……覗き魔さんも行って下さい」
「……分かった。そうする」
少年が寂しそうな背中をアウラに見せ、元来た階段を上り始めた。
少年が神殿の外に出ると神殿内の明かりとは違う眩い陽の光に眼がくらむ。
先に戻っていたランディーと側近たちの指示を受けた騎士たちが戦拵えをしていた。
敵の姿はまだ見えてない。
こちらの動きに異変を感じた敵の斥候が状況を本陣に伝えたのだろう。
一筋の煙が天に延びた。
敵側もまだ戦拵えを整え始めたばかりなのか、今すぐ攻めて来られるといった気配は感じられない。
地下室に入る前に感じ取った気配は、敵の援軍が先遣部隊に合流しようと近付く気配だったのか、進軍を始めた動きなのかまでは分からない。
「こちらの援軍が神殿に到着出来るのは、早くて二日後それまで我々だけで持ち堪えなかればならない……さて、どうするか」
ランディーが少年に金色の視線を向けた。
「俺に聞かれてもなぁ」
「我々は神殿に到るまでの道中、予備の装備を捨てて来ている。祭壇裏の扉を発見して直ぐ、正確な神殿までの道順を記した伝文と地図を持たせ早馬を出したが、あの泥濘では早い段階での援軍到着を期待し過ぎるのは愚かな事だ」
「敵の条件も似たようなもんだと思うけどなぁ、既に敵の先遣隊が援軍と合流してもランディーたちに向こうの先遣隊も援軍を待っていた事を気取られたくなかっただろうし、監視の兵を残して相当な距離を取らなければならないはずだ……それに悪路の条件も同じだと思うけどなぁ」
「それはそうなんだがね」
「天運に任せるさ、俺は……。後はアウラがどれだけ早く魔法陣を解いてくれるかだ。早く解いてくれれば、敵が攻めてくる前に逃げる事もできるからなぁ」
「私は騎士なんでね。天運などに任せる訳にはいかないんだがね。それに逃げる訳にもいかない」
「いざと言う時は、何とかするさ、ランディーがだけどなぁ」
ランディーは、やれやれと言ったように手の平を開いて肩を竦めた。
夜が明け幾時か経った頃、一人の見張りが人影に気付いた。
「何者か」
一人の騎士が声を張り上げた。
桜色の髪の毛を、そよ吹く風に遊ばせた人物が立っていた。
騎士たちは素早く武器を構え、その人物を囲んでいる。
その人物は、無人の野を歩くかのように歩みを進め、騎士たちの間を割って神殿に向かって行く。
ランディーが剣の柄に手を掛けたが、少年の様子は何時ものように、ぽかんとした間抜け面でその人物を見たいた。
「やれやれ……、旦那が留守だと言うのに昨日といい、今日といい大勢で人の住み家に土足で入ってくれる」
「……何者かな?」
「随分な事を聞いてくれるねぇ――、無粋な事を聞くもんじゃない、ここの住人だよ。私は」
「ここの住人?」
「そう、私の名はソルシエール・エクル。あんたたちが云う、偉大な魔女さね」
古の魔術師の名を耳にしたランディーは、険しい表情を浮かべ眉間を寄せた。
To Be Continued
最後までお読み下さいまして誠にありがとうございました。<(_ _)>
お楽しみに!