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第2話

第2話です


結局今日は、書類にサインをしたあと、宿屋やギルドなんかの説明やら案内やらをされて終わった。

「あー、疲れたなぁ……」

現在は街の大衆浴場で入浴中である。

この一日でこの世界について、いくつかのことがわかった。

まずこの世界の文明レベルは大体中世ヨーロッパくらいと言ったところか?ということ。

次にモンスターと呼ばれる危険な生物の危機に常に晒されていること。

この街はこの世界に無数に存在する中規模都市の一つであるということ。ちなみに名前はエスメラルダ。

ここまでまとめてみた感じでは、正しく物語の異世界転生、と言った風情だが、そうではない場合も多い。

例えば社会制度。

この世界は官僚制度なんかがかなりしっかりしている。それは俺達が話を聞いたギルドが何よりの証拠だろう。異世界転生者のためのプログラムを資料としてまとめているくらいだ。

また生活面で言えば、この世界は水資源が豊富にある代わりに、鉱山資源が乏しいらしい。そのため、街並みは中世ヨーロッパ風な建物だがその半分ほどが木製である。石造りの街並みが印象的なヨーロッパとの差ではある。まあこれは地理的な問題だから、社会制度の話とは、一緒くたには語れないが。因みにこの世界では感染症の流行を抑えるために、国をあげて入浴を推進しているらしく、公衆浴場は実質タダみたいな値段で入れた。風呂好きの民族としては嬉しい限りだ。

俺はそんな回想をしながら、天井を見上げ熱い息を吐く。

冒険者、かぁ。

オタクな男子なら誰もが一度は夢見るであろう存在である。

もちろん不安もあるが、やはりどうしてもそれ以上にワクワクしている自分がいる。

……上がるか。

俺は風呂から上がり、体を拭くとここに来るまでに着ていた制服に再び袖を通す。

「しかし、いつまでもこれじゃ締まらないよなぁ……」

動きにくいし、制服って地味に高いからなぁ。それにどう考えてもこれで布団に入るのは嫌だ。

俺はそんなことを考えながら脱衣所を出ると、宿に面した道に置かれたベンチに腰を掛ける。

それにしても、明日は忙しくなるな……。

まず武器防具の調達。これは補助金が出るらしい。そのため好きな武器を選んでいいらしいが、正直剣なんか学友とのチャンバラくらいしか覚えがない。俺に扱えるような親切武器があるのかが若干不安だが、やはりかっこいい武器が欲しい。すごく欲しい。

次にギルドからモンスターの説明を受ける。今日お姉さんから聞いた話によれば、初心者向けの雑魚を大量に狩る様なクエストを消化するのが、主な仕事だと言っていた。なので恐らくはスライムのような俺らでも狩ることの出来る雑魚モンスターの説明や、狩っていい害獣と狩ってはいけない益獣についての解説なんかだろう。

「あら、もう出ていたのね」

「……俺も大概長風呂だと思ってたが、認識が甘かったな」

俺は女湯から出てきた自殺女に手を挙げて答える。

「えぇ、お風呂には入れる時に入っとかないといけないもの」

彼女はそう言いながら、首に掛けたタオルで髪を拭いた。

「……まぁ、いいや。行くぞ」

風呂に毎日は入れることが保証されてない生活って?とか、そもそも自殺しようとしてた理由とか、気にならない訳では無いが、正直厄介事に巻き込まれたくないという思いの方が大きい。

俺はベンチを立つと向かいにある宿屋の扉を開いた。

「いらっしゃいませー!」

宿屋の一階は食堂兼酒場のようになっていて、そこで床にモップをかけていた、バーテンらしき女の子が元気に挨拶を飛ばしてくれた。

「えっと、冒険者二人で頼みたいんだけど」

まだ時間が早いからか、食堂には彼女以外誰もいなかった。

「あ!新しくこっちに来た方ですね!話は聞いてます!じゃあこちらに名前と、あと証明証の提示をお願いします!」

「あっ、はい」

俺は大腸に名前を書くと、慌ててポケットの中を探る。先程、役所のお姉さんに、『これを持っていれば街の施設で様々なサービスや控除、説明を受けることが出来るのでなくさないように。再発行は有料ですよ?』と言われて渡された冒険者証明証を、俺はポケットの中から取り出して店員の彼女に見せた。よかった、一瞬失くしたかと思った。

「えぇと、吉澤幸さんですね?確かに確認しました!ようこそ!悪酔い亭へ!」

店員さんは朗らかに笑うと、部屋の鍵を渡しながら、宿の説明をしてくれた。

「部屋は二階の奥です!お代は部屋代だけですからお食事は好きな所でお食べ下さい!まぁうちで食べてくれると、嬉しいかな?」

そう言って笑う店員さん。一瞬クラっと来たが、大丈夫、落ち着け。俺は彼女持ち。人生の勝者だ。だから落ち着け!俺の非リアな心!

「どうもありがとう。じゃあ早速……」

俺は店員さんにお礼を言うと、言われたように二階の奥に向かった。

「あ、お待ち下さい!」

そんな俺を、突如お姉さんが引き止めた。

「なんか、不備でもありました?」

なんだろう、台帳に書いた文字、汚過ぎて読めなかったか?というか、今更になって気づいたけど、ナチュラルに日本語で書いたけど大丈夫だったの?

いろんな疑問が出てきて不安になってきた俺。しかしそれは完全に杞憂だった。

「いえ、幸さんじゃなくて、そちらのお連れさんも台帳の方にお名前と証明証の提示を……」

俺はなんだ、そんなことかと安心した。ていうか、こいつナチュラルについてきてたのか。しかし、その安心はすぐに崩れ去った。

「その、私、字が書けないの……」

自殺女の衝撃のカミングアウトに固まる一同。

「えぇっと、とりあえずお前、さっき貰った証明証出せ」

「わ、わかったわ。これね?」

彼女は首から下げたパスケースを、白いワンピースの首元から取り出すと、店員さんに見せた。

「えぇっと、社会保障番号仮番一一二五六八番の……」

笛吹幸うすいさちよ」

「笛吹幸さん。はい、確かに確認しました!では、こちらがお部屋の鍵で……」

この時、俺は初めて彼女の名前を知った。思えばずっと自殺女って呼んでたからなぁ。そんな名前だったのか、となんかよくわかんない鑑賞に浸っていたら、彼女、笛吹幸がとんでもないことを口にした。

「??私、彼と同室よ?」

「「!!??」」

「何を驚いているの?」

「いや、聞いてないんだけど」

「え、えっと、お二人ってそういう関係……」

「い、いや、違いますから!多分店員さんの考えてるような関係じゃないですから!!」

突如湧いた俺の浮気問題を必死に否定しつつ、視線で笛吹に説明を求める。

「……そんな目で見ないでくれる?私たちお金ないのよ」

それに対し、笛吹は非常に不服そうにそう言うと、こちらにペンを押し付けてきた。どうやらサインしろってことらしい。

「わかったよ、書くよ。笛吹って、これであってるか?」

「え、えぇ、恐らくあってるわ」

「さちの方は?なんて字だ?」

「えぇと、幸せ、という文字?だそうよ」

はいはい、笛吹幸、っと。ていうか、文字が書けないってどうゆう事だよ。ほんとにこいつ一体今までどんな生活を送ってきたのか疑問だ。

「えぇと、笛吹幸だな。すいません、これ後ろに代筆って書きます?」

「あ、あぁ!はい!えぇ、代筆の文字の後にお名前をお願いします」

こうして一悶着あったものの、取り敢えずなんとかチェックインは済んだ。

「で?どうすんだよ」

「何が?」

「部屋だよ!部屋に決まってるじゃん!ほんとマジでどうすんだよ?」

「どうするもなにも、お金も無いし相部屋しかないわ」

「いや、でも、なぁ……」

一応、笛吹の言っていることの理屈は理解出来る。けど妙齢の女子的には、今日知り合ったばかりの男と同室ってそんなにインスタントな感じに選べる選択肢なのか?普通もっとこう、あるだろ?抵抗感的な感じが。

男ならこの降って湧いた幸運にもっと盛り上げれよ、と思う人もいるかもしれないが、こっちとしても得体の知れない女と同室ってのは正直きつい。しかも俺は紛いなりにも彼女持ち。現状の俺はこんなよくわからん女に関わるほど、女に飢えてなどいない。故に、ならやっほー!!と叫んだりもしない。なぜなら俺は彼女持ちだから!やっと手に入れたこの特権をフルに活用させてもらおう。

「ということでよろしくね、えぇと……」

「吉澤だ、吉澤幸。まぁこうなったら仕方ない。こっちもよろしく頼むよ」

名前を覚えてもらってなかったことに若干のショックを受けた俺は、色々と諦めると鍵を握り締めて、二階の自室に向かった。

「あ、あのー……」

そんな俺の背中に、再び店員さんが申し訳なさそうに声をかけた。

「……その、もしかして男女相部屋はアウトとかですか……」

ここに来て起死回生の一手たり得る希望が見えた気がした俺だったが、店員さんが言ったのは全く別のことだった。

「いや、その、相部屋はいいんですけど、その部屋、ベッドがひとつしかないですよ?」

「え……」

どうやら、新たなトラブル発生のようだった。

「あぁ、やっと落ち着いた……」

ようやく入れた自室にて。

俺は窓に面したソファーから日の暮れた街を眺めていた。

城壁に囲まれた街に沈む夕陽に、やはりここは異世界なのだなぁという事実を突きつけられる。

石材不足のせいで人の背丈より少し高いくらいの城壁の上では、兵士たちの姿がちらほら見えた。

最初は城壁が低過ぎないか?と思ったが、役所のお姉さんいわく、この周辺には壁を登るような三次元的な動きをするモンスターはいないので、問題は無いとのこと。ちなみに飛行モンスターは壁を相当高くしないと超えてくるため、諦めて無視しているとか。

そしてその手前にある街では、人々の賑やかしい生活が垣間見ることが出来た。

更に街の中心には、街のどこからでも見渡せる、結構立派な時計台があった。

「人間、異世界でもなんとかなるな」

俺は一人がけのソファを立つと、壁からかけられたハンモックに寝そべった。

結局、ベッドのひとつしかない部屋を二人で使うにあたり、店員さん(と思ったら若いのにここのオーナーだった。びっくり)がくれたのがこれだった。

「意外と、なんとか、なるな」

多少不安定なのが、不安だが寝れないほどじゃないし、これはこれで異世界感があっていい、気がする。俺はポケットに突っ込んだスマホで街の景色と部屋の内装の写真を撮り、画面で確認してみる。別に誰に見せる訳でもないが、自分が体験した今日が夢のような気がするせいで、なんとなく証拠を残したくなった。本当にすごいところに来たもんだ、俺。

「そろそろ食事よ。どうするつもり?寝ていたいのなら、私は先に行くけど?」

笛吹の声で俺の意識は感傷から現実へ戻される。

「いや、俺も行く」

「そう、なら鍵はお願い。先に出るわね」

「はいよ。よし、行くか……。何食うか決めたか?」

「いいえ、あいにくまだよ。そもそも、この世界、お米はあるのかしら?私、別に食事に頓着はないけれど、流石に毒を食べたら死ぬわよ?」

「いや、流石に毒物が出てくるってことはねーだろ。それこそ同郷の人だっているって聞いたし。まぁ、ゲテモノ料理とかは出てきそうでちょっと怖いけど」

俺たちはそんなことを喋りながら通路を折れ、階段を降りる。

「お、もう結構人いるかと思ったけど、そうでもない。ラッキー、一番乗りだ」

俺はそう言いながら、バーに名もなっているカウンターから椅子をひとつ引き寄せ、そこに腰掛けた。

「えぇ、そのようね。私も空いている方が落ち着いて食べれるから助かるわ……」

そんな俺に習うように、笛吹も俺の隣の椅子を引き寄せるとそこに座った。

「あぁ、どうも!晩御飯ですね?何になさいます?」

「何があります?おすすめとか」

「そうですねぇ、今の時期ですと……」

そうやって言い淀んだ、オーナーさんの次の台詞に注目する俺たち二人。なんだ、今の時期ですと何なんだ?

「……やはり、鹿のステーキ、ですかね?」

「「ならそれを」」

安心とともに即座にステーキを注文する俺たちに、オーナーさんは若干引きつつも、ちゃんと注文をとってくれた。よかった、今日は鹿肉入ってないとか言われなくて。

「よかったわね、なんとかなりそうな感じで」

「あぁ、全くだ」

食の安全の確保は本当に大事だからね。俺は心底安心していた。

「お二人さん、ライスとパン、どちらにします?」

「あ、パンで」

こちらは俺。

「私はライスを」

こちらは笛吹。

俺たちは注文を終え、なんとなく手持ち無沙汰にカウンターに腰掛けていた。しばらくしてぼーっとしてて、俺はあることに気がついた。

「オーナーさん、オーナーさん」

「??なんですか?」

「あの、ちょっと聞きづらい事なんですけど、いいですか?」

「え、えぇ、もちろん」

「……なんか、ここめちゃくちゃ空いてる気がするんですけど」

バーの窓から見た限り、この他にもある別の宿屋には幾人か入って行くのが見えたが、ここに入ってくる人はいなかった。

正直、正直不安である。なんで誰も来ないんだよ。なんか怖いんだけど。

「……あなたねぇ」

笛吹は若干呆れているが、これ大事なことだ。早急に白黒はっきりつけないとおちおち飯も食えないかもしれないしな。そんな俺の不躾な問に、オーナーさんはカタカタ震えつつも答えてくれた。

「そ、その、実はこの宿屋、まだオープンしたばかりで……」

「この梁、随分と立派ね。中々使い込まないと後はならないと思うのだけど?」

笛吹の容赦ないツッコミに再びうなだれてしまうオーナーさんに、俺は悪いとは思いつつも追い打ちをかける。

「で、本当のところは?」

「……昔は父がここを切り盛りしてたのですが、父が死んでからは商売も右肩下がりで……。今は役所からの援助でこうやって異世界の方を優先的に紹介してもらってなんとかやってるんです……」

「ちなみに、お料理の腕前はいかほどで?」

「そ、それはもちろん!仮にも宿屋の娘です!それくらいはあります!」

ふぅ、なら良かった。俺の想定していた最悪の事態は回避できたようだ。ひとまず落ち着いた俺は、随分と失礼なことを聞いてしまったことを詫びた。

「いや、その、変なこと聞いちゃってごめんなさい。俺の配慮が足りなかったです」

「い、いえ、いいんです。お客さんとしても、お店がガラガラだと不安になりますもんね」

「ま、まぁ初めてきた土地だと、ね?」

変なこと聞いた罪悪感が今更になって湧いた俺は、苦笑いしながら再び窓の外を眺める。外はもうすっかり日も暮れて、今は街灯が灯っている。町並みが中世なのに対して、明らかに進んだ行政制度や、普及が近代のガス灯が設置されていたりと、この世界は俺らの世界とは全く異なった進歩を遂げたということがわかる。しかしそんな中でも生きている人間は、俺の知るそれと同じように見えて少し安心する。

「はい、ステーキ二人前出来ました!パンの方は?」

「あぁ、僕です。ありがとうございます」

「では、サチさんはご飯ですね?」

「えぇ、その通りよ」

俺たちは運ばれてきた料理を見つめる。鉄板の上でジュージューと音を立てる鹿肉は、すきっ腹の俺からはめちゃくちゃ美味そうに見える。

「いただきます」

「いただくわ」

俺たちはそれぞれいただきますをすると、ナイフで肉を切る。程よく焼けた肉は、切れると内側から肉汁を零し、鉄板を濡らした。


「あー、美味かったなぁ、ステーキ。鹿肉食うのは初めてだけど、これはクセになるな」

「お肉は食べるのは久し振りだったわ。やっぱりお肉は美味しいわね」

ぶっちゃけ期待以上の味だった。

ステーキの味に満足した俺は、明日はライスで頼もうとか考えながら部屋に戻ってきた。

「あぁ、食った食った」

ソファーに身を沈め、フゥーとため息をつく。今日はもうやることもないし、着替えて寝るだけだ。幸い服はオーナーさんに相談して何着か貸してもらうことが出来た。

「……ちょっと、頼みがあるのだけど」

俺がそんなことを考えながらソファーでぐでーっとしていると、何やらもじもじしている笛吹が声を掛けてきた。なんだ?このあとなんかすることあったっけ?そんな感じのリアクションの俺に、彼女は申し訳なさそうに言った。

「その、着替えたいから、出て行ってもらえるかしら?」

……なるほど。これは俺の配慮不足だったとしかいいようがないな。年頃の女の子と同室なんだ、それぐらい気を利かせるべきだった。

「わかった、下のバーでなんか飲んでるから終わったら適当に呼んでくれ」

オーナーさんからは流石に酒は禁止されているが、ノンアルコールの飲み物もあるって言ってたし、バーの方は少しは人が来るようなので、客と適当にだべって情報収集でもしておくか。俺は役所から貸与された金の入った袋を掴み、意気揚々と部屋を出た。

「誰かいるといいなぁ……」

流石に誰もいないってことは……ないよな?若干不安になりつつ、階段に向かっていると、突然俺の部屋の方から、というかジャスト俺の部屋からきゃーという悲鳴が聴こえてきた。

「どうした!!」

慌てて部屋までダッシュし、思いっきり扉を開けると、ベットのそばで床に座り込んでいる笛吹と、そのそばに立つ人型の影が目に飛び込んできた。

「なにやってんだ、てめぇ!」

自室に侵入された怒りから、俺は咄嗟に黒い影に回し蹴りを喰らわせると、割とへちょい蹴りだったのに、影は窓に激突した。サブカルクソオタクの蹴りで、部屋の隅から隅まで飛んだことになる。つーか、こいつ、吹っ飛んだ割に全く手応え(蹴りだが)無かったぞ。

「大丈夫か!?」

俺は床にうずくまり、怯える笛吹に声を掛けた。なんだかわからんが、この影がやばそうな相手なら笛吹は逃がしたい。いくら俺がヘタレなオタクでも、怯える女の子を置いて逃げるとかは、流石に無理だ。それだったらいっそまだ見捨てられた方がマシだし、こいつも流石に助けくらいは呼んでくれると信じたい。

「ッー!!ッー!!」

声にならない何かが、部屋の中に木霊する。

「おい笛吹!動けるなら逃げろ!」

俺は一瞬笛吹に注意を向けた隙に、影を見失なった。

「ッー!!ッー!!」

嘘だろおい!俺は自分で言うのもなんだが、視力には自信がある。あんなのが部屋にいたら絶対に見つける自信がある。なのに、なんだ、この音は。今この部屋で、何が起きている?

「う、うわぁー!!」

俺が立ち竦んでいると、部屋とドアが勢いよく開き、鍋を頭に被り包丁を腰だめに構えたオーナーさんが突っ込んできた。

「うぉあ!?あっぶねぇ!!」

運良くドアの方に先程の影を探していた俺は、オーナーさんの特攻を寸での所で避ける。いやいや、包丁で刺されるとか洒落にならないから。

「な、何事ですか!?」

肩で息をしながら、あたりをキョロキョロ見回すオーナーさんは、床で震える笛吹を見た瞬間に、俺に向かって生ゴミかなにかでも見るかのような視線を向けてきた。

「いや!違いますって!襲撃です!襲撃!!人形の影が襲撃してきて!!」

俺は必死に誤解を解きつつ、オーナーさんの特攻のインパクトで忘れていた大事なことを思い出した。

「そうだ!やつはまだこの中に!!」

慌てて室内を見回す俺に、何故かオーナーさんは落ち着いた様子で腰だめに持っていた包丁を下に向けると壁にもたれ掛かった。

「な、なんだ。ドッペルゲンガーの襲撃ですか……」

な、なんだ?ドッペルゲンガー?

「な、なんです?それ」

一人で勝手に納得したオーナーさんに、現状何も理解出来ていない俺は、説明を求める。

「ドッペルゲンガーは人形のモンスターです。主に影のような見た目をしたモンスターで、接触した人間に擬態する特徴のあるモンスターなんです。けれど、1度にコピーできる人間が一人なので、基本的には複数の人間に絡まれると逃げようとする性質があるんです」

「な、なるほど。じゃあとりあえずもうここにはいないんですね?」

「えぇ、彼らの習性からその可能性は低いです。なのでもう大丈夫ですよ、サチさん」

オーナーさんは、そう言うと床で蹲る笛吹の背中を撫でた。

待てよ?ドッペルゲンガーがいなくなったってなら、この不気味な音は一体……?

そんな俺の悪い勘は、最悪の形で的中した。

「ッー!!ッー!!」

「サチさん!サチさん!!大変!!パニックで過呼吸を起こしてる!!」

「嘘だろおい!」

「コウさん!下に魔法使いの方がいるので呼んできてください!!あと!コウさんは部屋の外で待機です!!」

「わ、わかりました!!」

明らかにオロオロしていた俺に、オーナーさんはテキパキと指示を出すと、自分は笛吹の背中を擦りながら、大丈夫ですからね、などと言って励ましていた。

廊下を駆け抜け、階段を転げ落ちるように降りきり食堂に飛び込んだ俺は、即座にバーで酒を飲んでいた大学生くらい若い男に声を掛けた。

「あんた魔法使いか!?」

俺の唐突な問に、男はこちらに振り向くことなくグラスを傾け、その中身を一息に飲み干すと、口を開いた。

「いーや、俺じゃねぇ」

「なら、魔法使いを知らないか!?」

「まぁ落ち着け、あんちゃん。人の話を最後まで聞け、な?俺は魔法使いじゃねぇが、隣のこいつは魔法の腕に少し覚えがある。話はだいたい察してる。連れてきな。おい!マーシャ!」

長身の男の陰に隠れていたため、俺は男の隣に女性が座っていたことに、彼がその女性の名前を呼んだ後に気がついた。少し小柄なその女性は、何故か厳しいメイド服は、美しい所作でグラスの琥珀色の液体を消失させ、席を立った。

「では、参りましょう」

俺はなんだか得体の知れないメイド服のその女性を二階の部屋に連れていった。

「はー、はー」

空いたままの扉から部屋の中に飛び込むと、さっきよりは少し落ち着いたように見える笛吹の姿が目に入った。

「ちょっ!コウさん!?」

慌てて飛び込んだ俺を、オーナーさんは焦るように追い出そうとした。

「ちょっ!オーナーさん!?あいつは大丈夫なんですか!?つか、なんで追い出そうと……!」

その時、騒いでた声を聞いて、笛吹が部屋に入ってきていた俺と目が合った。

「きゃー!!」

鳴り響く悲鳴。思えば簡単だった。完全に失念していたが、笛吹は着替えの途中だったのだ。

うっかり笛吹の全裸を目撃したことにようやく気づいた俺は、マジギレのオーナーさんに蹴り出された。

「コウさんは出ていってください!!あと、下の人にはここで何があったかは言わないこと!!」

そう怒鳴られた俺は、廊下でしゅんとしていた。

「あー、なんかまた騒がしかったけど、どうした?あんちゃん。もしかしてマーシャのやつがなんかしたか?」

そのまますごすごとバーに戻った俺は、先程と変わらない姿勢のまま飲み続けていた男に声を掛けられた。

「あー、いや、あんたの連れは何もしてない。俺がちょっとやらかしただけだよ……」

ここいいか?と言いながら、その男の隣の椅子に腰掛ける。

「へー、そりゃ災難だったな。で?何があった?」

男はバーカウンターに積んであるグラスをひとつ手に取り、こちらに渡してきた。

「相部屋の女の着替えを不可抗力で覗いた」

あ、悪いけど俺はまだ飲める年じゃないからいい、と言いながらそのグラスに琥珀色の液体を注ごうとする男に詫びを入れる。

「そりゃ、また難儀なことで」

じゃあ俺は頂くぜ、と言いながら俺に注ぎかけたボトルの酒を自分のグラスに注ぎ、ストレートのまま一気に飲み干す。これが俺の知ってるウイスキーと同じ濃度ならこいつはかなりの酒豪だな。

「で?本当のところは何があった?」

その問に、俺がきょとんとしていると、男はさらにまくし立ててきた。

「おいおい!まさかほんとにそれだけじゃねーんだろ?何せチェキータがミーシャを呼ぶくらいだ。何かが出たんじゃねぇのか?」

俺はやけに食い気味で聞いてくる男に、なんとも言い知れぬ不安を感じた。チェキータことオーナーさんからも口止めされているし、ここは黙りか?

「おいおい!チェキータのやつに口止めされてんのか?硬いこと言うなよ!で?何が出た?夢兎か?夢魔か?大穴でレプラコーンとかか?まさかリトルスコーピオンってことはねーだろうな?」

酔いも回っているのか、大声で問い詰めてくる男に気圧されて、彼から視線を外した俺は、からのグラスを見つめる。

「悪いが口止めされてるんだ。オチが知りたかったら、お友達の魔法使いに聞いてくれ」

少しぶっきらぼうな気もしたが、正直これ以上何かやらかしてオーナーさんに怒鳴られるのは嫌なので、ここは黙っておく。

「ちっ!そんなにあの女がこえーのかよ……。つまんねぇの。って、おい、あんちゃん、その腕」

一瞬飽きたように俺から離れた男だったが、俺の腕を見た拍子に、その表情が変わった。

「あ?腕?別になんてこと……!?」

そう言いながら、自分の腕を見た俺は、次の瞬間信じられないものを目にした。俺の腕は、真っ黒な影に纏わりつかれていた。

「おいおい、あんちゃん!あんた何とやりあった!そんな面白いもんなかなか見れねぇぞ!」

なぜか再びワクワクしだした男に対し、俺はただただ驚いていた。

「な、何って、あの黒い影を、俺は……あ」

それが良くなかった。ついつい気が緩み、うっかり敵の特徴を口にした。

「ちっ!ドッペルゲンガーか!そいつは厄介だ!あんちゃん!俺は上に行く!部屋は!?」

「い、いや、奥の部屋だけど……」

「わかった!」

「お、おい!」

男は俺の静止など容易く振り切ると、階段を目にも止まらぬスピードで走っていった。

「なんなんだ、あいつ」

そう呟いたあと、腕に纒わりついた影を払ってみたりしていると、頬にもみじを刻んだ先程の男が降りてきた。

「その、なんだ。すまん、あの女は俺も怖い。お前を腰抜け呼ばわりしたことは訂正しよう」

「あー、いや、別にいいよ。気にしてないし。で、何が……?」

「部屋に入ろうとしたら、ちょうどチェキータ出てきたから、中に入れてもらおうとしたら喧嘩になってな。それで食い下がったらこれだ」

そう言って男はほっぺたを指差した。

「そ、そりゃ災難だったな」

「あぁ、全くだ」

そう言うと、男はクラスに酒を注ぎ、一気に煽った。

「ところでお前さん、あれをどうやって撃退した?」

「……回し蹴りで一発。窓まで吹っ飛んだと思ったら、気づいた時にはもう」

「はっはっ!回し蹴りとはよくやるぜ、あんちゃん。けどそれじゃ奴さんまだくたばっちゃいねぇな……」

男はめんどくさそうに頭を掻きながら、何事かを思案していた。

「ひとつ、聞いていいか?」

「ん?どうした?」

「あの、ドッペルゲンガーってのはモンスターだよな?あれって普通に街に出現するようなヤバいやつなのか?」

「いやいや、まさか。ドッペルゲンガーは普通は街中に出現するようなモンスターじゃねぇ。稀に迷い込んでくるから、今回も大方その口だろう。奴らは人の多い所じゃ本領を発揮できないモンスターだからな」

「どういうことだ?」

「いいか?ドッペルゲンガーってのはな、人に擬態する系のモンスターなんだ。つっても、ただの擬態じゃねぇぞ?奴らは対象の存在そのものをコピーするんだ」

「存在そのものを、コピー?」

「あぁ、そうだ、コピーだ。奴らは対象の身体能力、人格、能力、記憶までコピーする。だから、本物より良くできた偽物ドッペルゲンガー

「でも、俺が見た時はただの影だったぞ?」

「それはまだやつがコピーを完成させる前だっただけだ。お前さんの連れはついてたよ」

男はそこで一息つくと、グラスを傾けた。

「ってことは、俺が遅かったら……? 」

「ん。まぁ間違いなく殺られてたろうな」

あー、やだやだ、と言いながら男はグラスに酒をついだ。

「おいおい、勘弁してくれよ……。つーか、あんた飲み過ぎじゃないのか?」

「あ?これくらい、このサンジェルマン=フランキスカ様にとっちゃなんてこたぁねぇよ」

「へいへい、そりゃ結構なことで」

「それこそお前は飲まねぇのか?えぇと……」

「吉澤幸だ。コウとでも呼んでくれ」

「……よし、コウ!ちょっとツラ貸せよ」

サンジェルマンはいきなり席を立つとそう言った。

「ツラ貸せって、どこに?」

「役所だ。こんなことになったからな。本当は明日貰いに行くところなんだろうが、もうそもう言ってらんねぇからな。チェキータも文句は言わねぇだろ」

「貰いに行くって何をだよ。てか、もう夜もだいぶ更けたぞ?役所なんて空いてんのか?」

「空いてる空いてる。奴らは勤勉だからな」

サンジェルマンはそう言って宿のドアに手をかけると、振り向くいてこう言った。

「武器だ。お前には、戦うための武器がいる」

違うか?彼女は大切な人じゃねーか?と付け足すと、サンジェルマンはドアを開けた。部屋には春の夜の寒さが流れ込む。寒さは俺に決意と覚悟を求めていた。お前に、武器を手に戦う決意はあるのか?お前に、彼女を護る覚悟があるのか?

「そうだ。確かにそうだ。武器がいる。俺には強い、強い武器がいる」

覚悟はない。決意もない。あるのは怒りだ。俺の目の前で好き勝手しやがって。やつは生かしてはおけない。不愉快だ。故に対決しよう。

「勝負だ、ドッペルゲンガー」

サンジェルマンに焚き付けられた俺は、椅子を蹴り席を立った。そうして一言、彼に向かって言い放った。

「別に、あいつのためじゃないからな!!」



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