明日へ
高台から一望する街の姿は、惨憺たるものだった。
道路にはそこかしこに衝突した車が停まり、あちらこちらの建物から黒煙が上がっている。
双眼鏡を覗けば徘徊する人影をちらほら見つけることができるけれども、きっとあれはヒトではないのだろう。
今、明日菜と樹は街を抜け出て、ちょっとした高みになっている展望台に立っている。両親と一緒に夜のドライブに出て、夜景を眺めたこともある場所だ。他には誰もおらず、明日菜と樹だけ。
正直、どうやってここまで辿り着けたのか、判らない。
樹の卓越した運転技術があってこそだったろう。自動車でそんなところを走ることができるのか、と明日菜が思った場面がいくつもあった。
明日菜は双眼鏡を下ろして、また肉眼で街を視界に収める。
もう、ここには何もない。
けれど、全てを置き去りにして立ち去れるのかと問われれば、すぐには頷けない。
もう何もないけれど、明日菜の十六年がここにはあったのだから。
彼女は、チラリと横に目を走らせた。
そこには、大柄な男がそびえ立っている。
今さら行きたくないと言ったら、彼は何と言うだろう。
――きっと、何も言わない。きっと、泰然とした眼差しを明日菜に注ぐだけ。
明日菜は大きく息を吸い、そして肺から空気を絞り出した。
身体の中の全てを入れ替えるような気持ちで。
この壊れた世界を生きていく自信はない。
さりとて、今すぐこの生を終わりにする度胸も、ない。
いっそ、八つ当たり気味で樹に「死んだ方がマシ」と言ったとき、その勢いで死んでしまった方が遥かに楽だったかもしれない。
(でも)
明日菜は自分の両手を見下ろした。
グーに握ってパーに開く。
それは、明日菜の意のままに動いた。
彼女の命がある証に。
彼女の意志がある証に。
(あたしは、死なない)
もう一度街に目をやり、明日菜は胸の中で断じた。
今、生きているから。
生き延びて、しまったから。
自ら死ぬという選択肢は、もうなかった。
今さらそれを選ぶには、明日菜の両親の育て方は健全過ぎた。
(とりあえず、生きている間は、生きるんだ)
微かに残っていた迷いを振り切って、自分自身に命じ、両手をグッと握り締める。
掌に爪が食い込むほどに。
そうして、隣を振り仰ぐ。
見下ろしてくる守護者の眼差しに向けて。
「行こう」
確かな声で、告げた。
ひとまず第一章、序章的なところが終わり。
読んでくださってありがとうございました。