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壊れた世界、壊れた明日  作者: トウリン
最終章:広がる世界、途切れぬ明日
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最初のつながり

 パチパチと何かが弾ける音が、微動だにしなくなったロボットから洩れている。

 床に倒れている男たちは、指先一本動かすことなく伏している。


「怪我は?」

 そう訊ねてきたいつきの表情はしばらくぶりに目にする穏やかなもので、明日菜あすなは嬉しくなる。


「大丈夫」

 自然とほころびてしまった明日菜の頬に目を留め、一転、樹は眉間にしわを寄せた。


「だが、今後、ああいうことはもう二度としないでくれ。危険過ぎる」

 彼の叱責の台詞に、明日菜は一、二度、目を瞬かせる。


「それって、これから一緒にいてくれるっていうこと?」


 自分が裏を読み過ぎているだけだろうかと半信半疑でそう訊ねれば、樹はしばしムッと眉をひそめ、そして諦めたようなため息の後、頷いた。


「……ああ」


 思わず浮かべた満面の笑みに、何故か樹は怯んだようにわずかに顎を引く。


「どうかした?」

 首をかしげて彼を見上げると、眉間のしわが深まった。

(怒った? なんで?)

 樹の考えが読めずに当惑する明日菜に、横から茶々が入る。


「照れてるんだよ、明日菜ちゃんが笑うから」

 そう言ってにんまりと笑う鹿角かすみに、明日菜の困惑は余計に深まった。


「は?」

(樹さんが? 照れる?)

「何で?」


「そりゃ、かわ――イテッ」

 途中でぶつ切りになったのは、樹が鹿角の頭を拳で殴ったからだ。石で壁を殴ったのかと思うような音を立てるほどに。


「無駄話をしている暇はないだろう」

 至極冷静な声とその声と同じくらい冷やかな一瞥を鹿角に投げ付けた後、樹は目を廊下の奥へと向けた。その先――エレベーターの扉のすぐ前に立っているのは、服部はっとり博士だ。


「博士」

 樹の呼びかけに、いらえはない。無言で見返す服部博士の目の奥にあるものは、やっぱり読めない。それは距離があるからというだけではないだろう。きっと、鼻先が触れるほどに間近からその目を覗き込んだとしても、決して解かることはできないのではないかと、明日菜は思う。


 明日菜たち三人の視線を受けた博士は、ハァ、と大仰なため息をついた。そうして、芝居がかった仕草で肩をすくめる。


「まったく、そんなにここの暮らしが気に入らないかい?」


「……あたしには、合いません」

「どうして。安全で快適で楽しいこともたくさんだ。現時点では楽園と言ってもいいくらいのはずだよ。おまけに、ここに居れば君はかけがえのない存在になれるわけだし? 外に行けば、君は蟻並みの価値しかないんだよ?」


 揶揄する博士の眼差しと嘲りめいた声を、明日菜は真っ直ぐに背筋を伸ばして受け止めた。


「その『価値』っていうのは、博士にとって、というものですよね。人類の文明を守りたいというあなたの考えも、そのやり方も、否定はしません。確かに、大事なことだと思う。でも、あたしは拒否します」


 きっぱりと意志を表明した明日菜を、博士は無言で見つめている。


 彼は、なかなか口を開こうとはしなかった。

 明日菜の方にはもう言いたいことはないから、それ以上言葉を重ねることなく博士の答えを待つ。


 短い、とは言えない時間が経った頃。


「仕方ないなぁ」

 ため息混じりの一言。

 服部博士は、明らかに不満そうな様子だ。


「……樹さんと一緒にここを出て行ってもいいんですか?」

「そこまで嫌がられちゃったらねぇ。まあ、君を完全に鎮静して卵子の提供者になってもらうっていう手もあるけど――」


 軽い口調での博士の台詞に、樹がズイと一歩を踏み出した。見上げた明日菜は、そこに鬼の形相を見る。が、怒り心頭に発する、という慣用句そのもの彼にも、博士はケロリと続けた。


「そんなことしたら五島君が大暴れしそうだしね。ここを滅茶苦茶にされても困るし」

 からかっているのだろうかという彼のその台詞に明日菜は目を瞬かせる。


「樹さんはそんな乱暴なことしませんよ」

 ねぇ? と彼に目を向けると、視線を逸らされた。と、そこに鹿角の揶揄が入る。

「明日菜ちゃんは意外に五島のこと解かってないよな。てか、過剰評価気味?」

「そんなことないです」

 ムッと唇を尖らせて鹿角を睨んでも、彼は明日菜の頭越しに樹を見遣って肩をすくめた。


「ご当人はどう思ってるんだよ? あんま持ち上げられると困るだろ、正直」

「なんで樹さんが困るんですか」

 鹿角には憤慨の声を返したけれども、少々不安になって明日菜は樹に目を移した。


「……困りませんよね?」

 若干気弱にそう訊ねてみたら、否定の言葉は返ってこなかった。けれど困り顔でまた目を逸らされて、明日菜は愕然とする。


(え? 困るの? なんで?)

 気まずげにしている樹と彼に負けず劣らず困惑する明日菜に、鹿角がニヤニヤ笑いで言う。


「神さま扱いされてちゃ、うかつなこと、できないもんなぁ」

「……鹿角」

 低く唸るような声で呼んだ樹に、鹿角は二ッとチェシャ猫のような笑いを返した。ヒトをからかうことをやめようとしない彼に、樹は諦めたようなため息をこぼす。


 明日菜の疑問は解けないままだったけれども、会話が途切れた隙に、服部博士が割って入る。

「そろそろ、こっちに話題を戻してもらっていいかい?」

 半ば以上彼の存在を忘れかけていた三人は、揃って視線をそちらに向けた。


「すみません」

 一同を代表して明日菜が謝罪すると、博士は「別にいいけどね」などとブツブツ言ってから、続ける。

「まあ、君をここに引き留めるのはひとまず諦めるとして、五島君を治療するまでは出発を延ばして欲しいね」


 サラッと言われた台詞は、いったん明日菜の耳を素通りした。


「え?」


「もう一度君の骨髄を移植すれば、理論上は完全治癒に持ってけるはずなんだよね」

 博士は噛み砕いて説明してくれたつもりなのかもしれないけれど、やっぱり、明日菜には理解できなかった。


「えっと、骨髄って……もう一度って……?」

「あれ? 聞いてないの?」

 返ってきたのは、意外そうな声だ。

「五島君が実は『新生者』だってのは知ってるんだよね? 一度変化したことがあることも?」

「それは……、ええ、はい。博士が、治療してくれたって……」

「あの時、君の骨髄を彼に移植したんだよ。ラットの実験では成功してたんだけど、ヒトでは彼が初の成功例だ。手間暇かかるし、そもそもHLAが合うペアを探し出すのが面倒だし、もうする予定はないから唯一の成功例でもあるんだけどね。いや、君たちは凄いんだよ? これ以上はないというほどピッタリ合ったんだ」

 言葉を連ねるごとに興奮も高まっていったのか、一気にまくしたてた服部博士は、明日菜たちの引き気味の視線に気付いてハタと我に返った。


「ああ、失礼。とにかく、凄い確率だったんだ」

「でも、あたしの骨髄って、いつ採ったんですか?」

 どんな処置なのかは知らないけれど、ほとんど医者にかかったことすらない明日菜には心当たりが全くなかった。


 眉根を寄せて考える彼女に、服部博士が答えをくれる。唖然とする答えを。


「一度、不明熱で入院したことがあるでしょ? あの時にもらったんだ」

「熱……?」


 確かに、一泊二日で入院したことはある。ただの風邪だと思っていたのに何故か入院になって、当時、どうしてだろうと首を傾げたものだ。結局、ぐっすり眠った翌朝には熱も下がって退院になったけれど、数日間、やけに腰が痛かったのは覚えている。


(慣れないベッドで痛くなっただけかと思ってたけど、もしかして、あれって何か関係あったの?)


 健康優良児そのものの明日菜だったから、数年ぶりに出した高熱で結構身体はつらかったのは確かだ。だから入院と言われても、あの時は疑問に思わなかったけれど……


 そう、数年ぶりの、発熱。


「もしかして、あの熱自体、博士が何かしたとか……?」

 まさかそんなことがあるわけないよ、という返事を期待しての質問だったのに、博士から返ってきたのは屈託の欠片もない肯定だった。


「ああ、うん。ちょっとね」


 確実に、彼は悪いと思っていない。きっと、微塵も、思っていない。


「うわぁ、さすが服部博士」

 頭の上で、鹿角がつぶやいた。


(その結果、樹さんが助かったわけだし。いいんだよ? いいんだけどね?)


 何だか、釈然としない。


「まあ、些末なことは置いておいて、とにかく、今、五島君の身体には江藤君の血が巡ってるわけだけどね、普段は、その中のミトコンドリアが五島君が元々持っているミトコンドリアを制してるんだよ。でも、色々調べてみたら、その効果が充分ではないみたいなんだよね。だから、五島君の本来のミトコンドリアが勝ってしまう場合が出てくるんだ。計算上は、もう一回移植したら完全に置き換えられるはずなんだけど」


「それをしたら、もう変化しなくなるんですか!?」

「理屈上はね」

 念を押すように言った服部博士は、肩をすくめる。

「君も、しばらく外で過ごしたら、やっぱりここがイイやってなるかもしれないでしょ? でも、死んでしまったら戻ってこられないからね。五島君の状態を万全にできるならそうしておいた方がいいと思うんだ」


「それは、そうですけど……半年ここで過ごすうちにあたしの気が変わるとか、思ってませんか?」

 明日菜が疑いの眼差しを博士に向けると、彼はしれっと頷きを返す。

「まあ、それもある」


「博士!?」

「いやいや、僕からはもう何もしないよ。治療のことは本当だし。それに、ラットの実験では『変異者』がいなくなってからも『新生者』はずいぶん長く生きていたけど、ヒトではそれがかなり短縮されるみたいだからね。半年後にはそういう意味でも安全度が増すはずだ。僕が半年間君を引き留める理由の大部分は、この二つだよ」


 彼には悪びれる様子は皆無だった。

 呆気に取られる明日菜の肩に、ポンと大きな手がのせられた。そちらを見上げれば樹と目が合って、彼は無言で首を振る。


 そう、服部博士は、こういう人なのだ。

 やっていることに悪意はない。嘘も言わない。

 とにかく、自分の欲求に素直なだけなのだろう。


「どうする、樹さん?」

 首を捻って問いかけると、彼はしばし黙考し、そして口を開いた。


「俺は、少しでも俺が君を害する可能性を減らせるなら、そうしたい」

 そう告げた樹の静かな眼差しが、明日菜に注がれる。


 彼のその目の中に、彼女は怯えと不安を読み取った。

 これほど強い人が何より恐れることは、その手で明日菜を傷付けることなのだろうか。

 それほど恐れながらも、自分と一緒にいることを選んでくれたのだろうか。


 明日菜は肩に置かれた手を取った。

 大きくて、武骨で、強くて、そして誰より優しい手。


(これから先どんなことになっても、どんなことが起きても、きっと、あたしはこの手を離さない)


 明日菜は彼のその手を自分の両手で包み込み、想いを込めてギュッと握り締めた。


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