いかにして生きるのか
テレビのスピーカーから悲壮な断末魔の叫びが響く。
「ちょっと、明日菜!」
不満げな声で名前を呼ばれて、彼女はハタと我に返った。瞬きをして見上げた画面には、夥しい流血に塗れて地面に伏している兵士が一人と、その両隣で銃を構える兵士が二人、映し出されている。
「もう、またやられちゃったの?」
美香が唇を尖らせてメニューボタンを押し、画面を停止させた。
「ごめん。ちょっとぼんやりしてた」
「もう……全然集中してないんだから。さっきのは敵丸見えだったよ?」
ブツブツ言っている美香に、明日菜はもう一度ごめんと謝った。
明日菜がいるのは娯楽室で、彼女は美香と浩史に誘われて、ファイナルファイトをプレイ中だった。
「どうする? リセットしよっか?」
美香はそう言ってくれても、明日菜がゲームオーバーになったのはこれで三回目だ。そのたびにリセットしてくれていたけれど、さすがにもう申し訳ない。それに、きっと、また同じことになる違いなかった。
「え……あ、いいや。あたしはもう見てるだけにするよ」
明日菜はそう答えてコントローラーを置く。
「そう? じゃあ、やりたくなったら言ってよ」
「うん、ありがと」
明日菜が笑うと、美香と浩史はまたゲームに戻った。
再び動き出した画面の中で、彼らが操るキャラクターが物陰に身を潜めながら慎重に索敵していく。背景もキャラクターもこの上なくリアルで、迫力満点だ。足手まといの明日菜が抜けたからだろう、ゲームはサクサクと進行した。
時折悲鳴と歓声を上げながら嬉々としてプレイを続ける二人を、明日菜は何か薄い膜を通しているような距離感を抱きつつ眺める。
ゲームは、楽しいはずだった。
映画も、漫画も、本も。
けれど、明日菜にとってはどれも精彩を欠いていて、少しも入り込むことができない。
『安全で幸せな生活』
明日菜がそれを送ることが望みなのだと、ようやく再会できた樹は言っていた。
だから明日菜は、それを叶えようと思った。
断りがちだった美香たちの誘いを受けて、彼女たちと積極的に遊ぶ時間を設けるようにした。そうやって彼女たちがするようにゲームや映画で時間を潰すようにして、ここの生活に馴染もうと努力した。
けれど。
(全然、楽しくないよ)
何かしていても、なんで自分はこんなことをしているのだろうという疑問が浮かんできてしまう。このまま、この日々を続けていってもいいのだろうかと思ってしまう。
何をしても、何を見ても、モヤモヤと不全感が募った。
それでも、樹に言われてから、一週間は頑張ってみたのだ。
その一週間は安全で平和な日々だったけれど、毎日、前の日と何一つ変わらない。まるでコピーしたかのように、朝起きて夜寝るまで、綺麗に前日を辿っていた。
かつての生活も、確かに、変化に富んだ毎日という訳ではなかった。
だけど、それでも、あの頃はほんの少しずつでも前に進んでいたと思う。
単調に、先生や両親に尻を叩かれながらこなしていた嫌々ながらの勉強も、それは未来への一歩になっていた――ぼんやりとしたものではあったけれども、その自覚があった。たとえありきたりで大志の欠片もないような将来だとしても、毎日の行為は先を目指しているからこそしていること、その為のものであったはずだ。
(今は、そうじゃないんだよね)
図書館のパソコンを使って高校で習うはずだったことを勉強していても、それは今のこの世界を知ることにはならないし、この世界で生きるということにもつながっていない気がする。
それに、こんなふうに研究所の中で安全に暮らしていけたとして、その先には何があるというのだろう。自分は、何のために命をつないでいるのだろうか。
(あたしは、どうしたらいい……どうしたいんだろう)
二度目の面会の時、服部博士はここにいれば明日菜は価値ある存在になれると言った。逆を言えば、人間の営みが全て崩れたこの世界では、この研究所以外に明日菜の価値を見出してくれる場所はないのだろう。
(でも……)
明日菜はゲームの画面を、無邪気にそれを楽しむ美香と浩史を、この娯楽室にいる他の者をぐるりと見渡した。
美香たちと同じようにテレビゲームをする者。
映画を楽しむ者。
防音のブースではカラオケだってできるし、運動が好きな人はバーチャルでサッカーだってバスケだってできる。
食事は和洋中好きなものが好きな時間に食べられる。
外の惨状を身をもって知ったわけではないからか、彼らは皆、憂いなく笑い声をあげている。
誰も彼らに何かを強制しない。
好きなことを好きなだけできる。
望むがままに面白おかしく過ごせるのだから、天国のような暮らしのはずだ。
それなのに。
(あたしは、皆と同じようには楽しめない)
彼らが屈託なく楽しげにすればするほど、明日菜は一層壁を感じた。
(樹さんは、あたしが幸せであることを望んでくれた)
では、今、自分は幸せだろうか?
その自問に、明日菜は頷けなかった。
もしかしたら、一年間ここで暮らせば、いずれは慣れてこの生活に満足できるようになるのかもしれない。
ならば、自分はそうなることを望んでいるのか?
この問いにも、明日菜はかぶりを振る。
苦がないことが幸せであるということにはならない。
それに、自分の命に価値があるということと、自分が生きていると実感することとは別のものだ。
(ここでだけあたしの命に価値を見いだせるのだとしても、あたしはここでは幸せにはなれない)
この閉ざされた空間の中で日々を過ごせば過ごすほど明日菜はそう確信し、それにつれて彼女の中ではある考えがはっきりとした形を持つようになってきていた。
その考えは、とても実現できるとは思えないようなことだ。
それを、明日菜はまだ誰にも話していない。
服部博士は言うに及ばず、鹿角にも――樹にも。
この一週間、彼女は毎日樹の下を訪れている。けれど、教えてもらった暗証番号でドアのロックを解除しても、内側からノブに椅子でもかましているのか、中に入ることはできていなかった。だから、樹にすら、伝えていない。
(樹さんが反対したら――きっと、するよね)
明日菜は小さくため息を漏らした。
彼が賛成するわけがない。
だけど、明日菜のその考えは、パッと思いついたものではない。ここに来て以来、ずっと積もり積もった末に生じ、膨らんできたものなのだ。
(樹さんが反対したって、独りでだって……)
いよいよ形を取りつつある決意を胸に、明日菜は両の拳を固く握り締めた。