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壊れた世界、壊れた明日  作者: トウリン
第五章:愚者が溺れる白昼夢
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北の大地へ

「さーむーいー」


 両腕で身体を抱き締め吹き付ける海風に足踏みをしながら、前方に広がる大海原に向かって明日菜あすなは吠えた。


「大声を出すな」

 すかさず入った叱責に、彼女はムッと唇を尖らせて声の主――いつきを振り返る。

「そんなこと言ったって、まだ十一月なのになんでこんなに寒いの? 十一月って、秋だよ? これって、ほとんど真冬じゃん」

「十度そこそこだろう。これからもっと寒くなる」

「そうだけど!」

 鼻息荒く答えて明日菜は彼を睨み付けた。

 樹の方が薄着にも拘らず、彼は平然としている。その隣に立つ鹿角かすみも同様だ。

「こたつが欲しい……」

 思わずつぶやく明日菜に、鹿角はまあまあと笑った。

「博士んとこ着いたらぬくぬくだからさ。もうちょっとの辛抱だって」

「それだって、まだまだ先なんでしょ?」

「うーん、歩きだったらあと半月くらい?」

「マジで冬じゃん。真冬の北海道……」

 先が思いやられて、明日菜ははぁとため息をついた。


 今、彼女が立っているその場所は、下北半島の最北端だ。マグロで有名な漁港の近くらしい。東北に入ってからかなり寂しい感じのところを選んで進んできたけれど、この辺りは意外に民家がある。ただ、あるのは建物ばかりで人の気配は全くない。

 その理由は、元々過疎化した街だからだと思いたいけれど、それだけではないのだろう。


(まあ、もう一ヶ月以上経つんだもんね)

 もう何十年も過ぎたような気がするけれど、まだ、一ヶ月だ。

 鹿角が合流してからは樹の負担も段違いのようで、ここまでの行程はこの上なくスムーズなものだった。彼の身体が心配でならなかった明日菜にしてみれば、鹿角さまさまだ。

 北海道は人口の密集地も少ないだろうから、もう『新生者』の大群に襲われるようなこともないだろう。


 そうやって、もうじきゴールに辿り着こうというところまできたけれど。


 樹も鹿角も、北海道にある服部という博士の研究所に行けば安全で快適な生活を過ごせるようになると言う。


(でも、どれくらいの人が残っていて、どれくらいの人がそこに辿り着けたんだろう)

 鹿角だって、護衛するはずだった人を護れなかった。というよりも、そもそも、会うことすらできなかったらしい。その反対に、この旅を始めた頃に出会った真苅は護衛を失って立ち往生だった。道中、他に生き残った『変異者』に出会えたこともない。


 もしも、数人しかいなかったら。


(あたしは、そこで何をするんだろう)


 ただ、生きていくだけなのだろうか。


 確かに、今は物音にビクつかずに眠れる夜が欲しいと思う。

 それに、ちゃんと料理した食事とか、たっぷり浸かれるお風呂とか。


(だけど)


 物思いにふけっていた明日菜のすぐ後ろに、温かな気配が寄った。振り返るといつの間に近寄っていたのかそこに樹がいて、彼女をそっと引っ張った。何だろうと思ったら、不意に風が和らぐ。


(ああ、風除け……)

 明日菜よりも樹の身体の方が遥かに大きいから、風上に立ってくれればほとんどピタリと風はやんだ。


「ありが――」

「俺は船を取ってくる」

 お礼を口にしかけた明日菜が言い終える前に、彼が告げた。


「船?」

「ああ。陸路で行くなら青函トンネルを使わなければいけないが、それではかなりの遠回りになる」

「トンネル……」

 その言葉を聞いて明日菜の頭をよぎったのは、これまで何回か目にしてきた光景だ。


 進めるのが前か後ろかしかない状況でうっかり『新生者』の大群に遭遇してしまったらどうしようもなくなるので樹は極力トンネルを避けた行程を選んでいたけれど、それでも、二、いや、三度、使わざるを得なかったことがある。


(あれは最悪だったな……)


 思い出すだけで頭がキリキリと痛む。

 トンネル内は狭いから、どうしても停車している車の間をすり抜けて通らなければならなくなるのだけれども。


 襲われることは、なかった。

 最近の自動車は、ある程度の速度になると自動でロックがかかるからだろう、どれも皆、ドアは閉まったままだった。

 つまり、『新生者』たちは車の中に閉じ込められたことになるわけで。


 近くに明日菜のような『変異者』がいると、『新生者』たちはそこに向かう。そして『変異者』がいなくなると彼らは仮死状態になり、それではカバーできないほどの飢餓状態に陥ると、身近な生きている人間――つまり、同じ『新生者』を襲い始めるのだ。


 服部博士の研究では、仮死状態で数ヶ月はもつとのことだったけれど、実際は、もっと短かったらしい。

 自動車という狭い空間の中で何が起きていたかは一目瞭然――だが、思い出したくない。


 中でも最悪なのは、バスだった。それも、小学校の遠足の。


 悪臭が充満するトンネル内を気が遠くなりそうになりながら足を運び、ふと見上げたバスの窓は、どす黒い何かでべったりと塗り潰されていたのだ。

 中でどんなことが起きていたのかは想像に難くない。

 元々明日菜はパニック系の映画や小説が好きだったし、どうしてもリアルに光景が浮かんできてしまって、その後三日三晩うなされた。


 それに、中には当然一人で乗っていた人たちもいて、そんな『新生者』はまだ生きていた。

 そうして明日菜たちが車の横を通り過ぎようとすると狂ったように――いや、実際に狂っているのか――窓を叩いて吠えたてた。

 まさにリアルお化け屋敷。

 あれは、ちょっとしたトラウマだ。

 よく正気のままで出られたものだと、今でも思う。


 そんなふうに遠い眼差しで嫌な記憶を振り返っていた明日菜を、低い声が呼んだ。


「明日菜」

 ハッと我に返った彼女は、樹を振り仰ぐ。

「あ、うん、船、ね。解った、行こう。あっちの方?」

 そう言って足を踏み出した明日菜の額を、大きな掌が覆った。予期せず進行を妨げられてよろけた彼女は、後ろにそびえる樹の胸に倒れ込む。


「何?」

 顎を上げて見上げた明日菜に、彼はかぶりを振った。

「君は鹿角とここで待っていろ」


「え」


 明日菜は、彼女を受け止めてくれた樹の中でクルリと向きを変えた。彼は明日菜の肩に両手を置いたまま、じっと彼女を見下ろしてまた告げる。

「漁港はこの辺りではそれなりに人が集まる場所だ。活動している『新生者』がいるかもしれない」

「でも」

「待っていろ」

 畳みかけるように言われれば、単なる足手まといにしかならない明日菜は反論できない。


「……判った」

 目の前にある彼のみぞおち辺りを睨み付けるようにして頷いた。納得はいかないけれど、仕方がない。

「行ってらっしゃい。気を付けてよね」

 若干、むくれた声になってしまうのは許して欲しい。

 と、頭上でフッと息が漏れるような音が聞こえた。パッと顔を上げても明日菜に見えるのはいつもと変わらぬ無表情な樹だ。


 彼は肩に置いていた右手を、明日菜の頭にのせた。そして、クシャリと髪を掻き混ぜる。

「すぐ、戻る」

「早くなくてもいいから、安全第一で」

「……ああ」

 答えて、樹はポンと彼女の頭を叩いた。束の間そこに手を留め、離れる。


「行ってくる。鹿角、頼んだ」

「もちろん。ばっちり護るから」

 顎を引くようにして樹は彼に頷くと、大きなストライドで走り出した。


 見る見るうちに遠ざかっていくその背中を見つめる彼女に、鹿角が歩み寄ってくる。

「じゃあ、どこかに隠れてようか」

「あ……はい」

 目は樹に向けたまま答えた明日菜に鹿角小さく笑い、彼女の頭を見て、面白そうな顔のまま片方の眉を持ち上げる。


「彼は、不器用だよね」

「え?」

 眉間にしわを寄せて鹿角に目を移した明日菜の頭に、彼が手を伸ばす。そうして、ササッと手櫛で彼女の髪を撫でつけた。

「女の子はもっと丁寧に扱ってやらないといけないのになぁ」

「樹さんですから」

「あはは。まあね」

 笑ってから、鹿角はその穏やかな眼差しのまま明日菜を見下ろしてくる。


「大丈夫、身軽な彼は無敵だよ。あっという間に帰ってくるさ」

「うん……」


 樹の腕は、みじんも疑ってはいない――鹿角の力も。それでも、こうやって樹と離れることにどうしても不安を覚えてしまう明日菜だった。

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