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壊れた世界、壊れた明日  作者: トウリン
第四章:偽りの安寧は微睡の淵で
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村人たち

 できる限り早く出発しようと言ったいつきに待ったをかけたのは、鹿角かすみだった。


「あのさ、一日だけ時間が欲しいんだけど」

 彼らしくなく若干遠慮がちにそう切り出した鹿角に、樹が荷物をまとめる手を止める。

「何故だ。俺の体調はもう問題ないが?」

 ほんの三十分前まではあんなに気持ちを露わにしていたというのに、観念したら吹っ切れたのか、そう訊ねた樹はもうすっかりいつも通りで感情の片鱗すらちらつかせていない。あんなに言い争ったのがウソのようで、明日菜は納得がいかないような腑に落ちないような、何かモヤモヤしたものを胸に抱く。

 けれど、そんなふうに根に持っているのは彼女だけのようで、男二人の遣り取りは平常運転だ。


 樹の問いに、何故か鹿角はチラリと明日菜あすなに目を走らせた。

「えぇっと、その、な」

 彼は歯切れ悪く言い淀み、部屋の中のあちらこちらへと目を遣っていたけれど、じきにハァッと息をつく。


「さっきの『新生者』の襲撃なんだけどな、あれ、この村の住人だったんだよ」


 ものすごくためらっているからどんな秘密を打ち明けられるのかと思っていたらそんな内容で、明日菜は肩を撫で下ろす。

「それは、何となく気付きましたよ」

「え、あ、そうなの?」

 拍子抜けしたような鹿角に、明日菜は頷いた。

「はい。だって、見た限り、お年寄りしかいなかったし……でも、今までどうしてたんですか? 家の中に閉じ込めておけたんですか? あたしたちが着いた時は、全然声とかしなかったけど……」

 彼女が当然の疑問を口にすると、鹿角はまた気まずそうな顔になった。

「あぁ、そのな、彼らが変化したのはついさっきなんだよな」

「え」

「昨日までは、概ね普通に暮らせてた」

「じゃあ、なんで――」


 さっきまで、小さな窓からパッと見ただけでも五、六人はウロウロしていたようだった。この村にいるのは十数人だというから、住人のほとんどが変化したということになるのではないだろうか。

 眉をひそめた明日菜に、困ったような顔をしている鹿角に代わって樹が答える。

「俺のせいだろう」

「樹さん? どうして?」

「俺が出す『新生者』のシグナルが、彼らを刺激したのだと思う」

 そう言うと、樹は「そうだろう?」というように鹿角を見遣った。それを受けて彼は肩を竦める。

「まあ、うん、多分。ほら、『新生者』のミトコンドリアが出すシグナルで変化が促進されるってのは、聞いたんだろう?」

 問われて、明日菜は頷いた。


『新生者』と『変異者』。

 それぞれのミトコンドリアは違うシグナルを出していて、変化した『新生者』が出すシグナルは他の『新生者』の変化を促進する。そして、『変異者』が出すシグナルを変化した『新生者』は察知し、それを屠りにやってくる。

 ――樹からは、そう、聞かされた。


「ここの人たち、皆、七十路ななそじ越えでな、年を食うとミトコンドリアも年を食って出すシグナルも弱くなるのか、お互いあんまり刺激せずに済んでたみたいなんだよ。オレがここへ来て、ひと月近くになるけど、変化したのは五人かな。パラパラとね」

「パラパラ……」

「そ。ポツッと変化する者が出たらその都度対処してきたんだけどな、続けざまに変化するってことはなかったんだよ」


 対処。

 つまり、殺す、ということだろうか。


(それしか、ないよね)


 どこかに閉じ込めておけばいいというわけじゃない。近くにいたら、それが呼び水になって新たな変化を招いてしまうのだから。


 明日菜は鹿角を見た。と、何? というように見返してくる。

 今も緊張感なくヘラヘラと笑っているけれど、何も感じていないはずがない。

 きっと、変化する『新生者』が出るたび、我が身を切り裂くように辛かったに違いない。そんなふうに鹿角の心中を思いやっていたところに、彼が続けた台詞が入る。

「だいたい、数日に一回ってとこだったんだけど、それが昨日一斉になっちまってさ。まだ、その、――皆野晒しだから」

 それはつまり、これまでになく強い『新生者』のシグナルが作用したということで。

 そのシグナルの主は、樹しかいなくて。

 樹のせい――樹を連れてきた明日菜のせいで、一気に進行してしまったということで。


「やっぱり、あたしのせいでもあるんだ……」

 明日菜たちがここに来なければ、まだ、住人は『人間』のままでいられたかもしれなかったのに。

 俯いた明日菜の顎に硬い指がかかり、ヒョイと顔を持ち上げられる。

「時間の問題だったんだよ」

「鹿角さん、でも――」

「ある意味、他の奴が変化するたび、自分は今日か明日かって思いながら過ごすよりも、一気に皆一緒に逝けて良かったのかもよ? 下手に残される方が、つらいだろうからさ」

 鹿角の手が離れていく。

「皆気のいい爺さん婆さんでさ、護衛対象がここに居ないって聞かされてショック受けてたオレに、色々振舞ってくれたよ。総出で思い付く伝手に当たってくれたりな」

 彼は笑い、そしてそれを消して、続ける。


「オレ、言ったんだよ。あんたらは、ある日突然隣人を喰い殺すようになるんだってな。だから、そうなる前に、終わらしてやろうかってさ」

「なんでそんなこと……」

「さっきあんただって言っただろう? こんな世界嫌だってさ」

「それは! ……そうだけど……」

「普通そう思うだろ。それにオレも、あんな爺さん婆さんが殺し合うとか、見たくなかったし。で、オレなら楽に死なせてやれるからさ。やってやろうか、ってさ」

 ハハッと笑って、彼は言う。

「どうせ老い先短い連中ばっかだし、すぐ頷くと思ってたんだよな。どうせ生きたって五年かそこらだろってな」

「違うの?」

「ああ。連中、そのまま同じように暮らしていきたいってさ。一人変化したら、皆そいつに喰い殺されちまうよって言ったら、その時はその時だって、笑いやがんの。で、マジで、何もなかったように普通にしててさ。元々電気なんかなくても生活できてたし、水は井戸があるし。畑で野菜採って、山で鹿獲ってきたりさぁ」

 年寄りのくせに逞しいんだわ、これが、と鹿角は笑ったけれども、明日菜にはそんな状況がさっぱりピンとこない。明日菜なら、いつ隣人が襲ってくるか、いつ自分がおかしくなるか、と、不安で不安でたまらないに違いない。


 眉間にしわを寄せながら、彼女は首を傾げる。

「鹿角さんは、どうしてここに残っていたの?」

 住人が変化したら真っ先に狙われるのは唯一の『変異者』である鹿角だ。彼がいなければ未変化の住人にも向かうかもしれないけれど、鹿角がいれば、まず、彼のもとに来るだろう。

 そんな危険な状況に、どうしてひと月も身を置いていたのか。


「ん? まあ、対象捜しに行く前にことが始まっちまったし、やることなくなっちまったしな。じゃあ、しばらく連中に付き合ってやろうかなって」

 軽い口調だったけれども、つまり彼は、変化した者が出たらそれを殺す為に残ったというわけで。

 鹿角を見つめる明日菜の眼差しの中にあるものに気付いて、彼は手を伸ばして彼女の髪をくしゃくしゃと掻き混ぜた。

「別に、大したことじゃなかったよ。オレは今まで『それ』を仕事にしてきたんだぜ?」

「でも、同じじゃないでしょ?」

 敵だと認識した相手と、ついさっきまで一緒にご飯を食べて言葉を交わした相手を、同じように思えるはずがない。

 さぞかし苦しい思いをしたに違いない、と明日菜は鹿角を見つめた。彼は束の間彼女を見て、フッと顔を綻ばせた


「ありがとよ。でも、爺さん婆さん同士で殺し合わせるよりゃ、遥かにマシってもんだからな」

 そうして、チラリと樹に目を走らせた。

「近辺見回って、たまたま迷い込んでくるような『新生者』は近付けないようにしてな、できるだけ変化を遅らせようとしてたんだけどな」

「あたしたちが……」

 肩を落とした明日菜の額を鹿角が小突く。

「まあ、潮時だったんだって。皆だって一人二人で生き残るより、良かったんだろうさ」


 そうかもしれない。

 そうなのかもしれないが、やっぱり、もやもやする。

 もしかしたら、残った人たちは、明日菜たちがここに来さえしなければ、そのまま変化せずに済んだかもしれなかったのだから。もしかしたら、寿命をまっとうするまで、普通に暮らせていたかもしれないのだから。


 気にするなと言われてもやっぱり気にしてしまう明日菜に、鹿角は気持ちを切り替えさせようとするようにパンッと両手を打ち鳴らした。

「まあ、とにかく。連中の墓は造ってやりたいからさ。一日だけオレにくれよ」

「あ、じゃあ、あたしも手伝う――」

 死体、は、あまり見たくはないけれど、墓穴を掘るくらいは手伝える。

 けれど鹿角はかぶりを振った。

「いいんだよ。これはオレの役目だから。五島も病み上がりなんだし、ゆっくり休んどいて。あ、飯だけ作っておいてくれると嬉しい」

 そう残して二カッと笑うと、鹿角は出て行った。


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