もう一人の守護者
ごつごつと大きな石が転がる川原に、明日菜は大きな身体で押し潰された。少し遅れて、かなり離れた場所に何か硬いものが落ちる音が耳に届く。
突然押し倒されはしたけれど、明日菜の頭と腰の後ろにはがっしりした手が回されていて、硬い石に叩き付けられるのは防いでくれていた。
ただ、その後は思い切り乗っかられている。
(これって)
男の人、だ。
樹と同じくらい大きくて、硬い。樹が同じくらい重いかどうかは知らないけれど、今上にいる男は、とても重い。
彼が身じろぎした瞬間、ゴリッと明日菜の背中に石が食い込む。
「い、た」
思わず彼女が呻くと、パッと上から重しが退いた。
「悪ぃ」
そう返しながら、男が身軽く立ち上がる。そうして、暗闇に目を向けて、言った。
「あっぶねぇな。この子に当たったらどうすんだよ」
明日菜以外の誰かに対しての言葉だとは思うけれど、何も見えない。彼女は少し離れたところに点いたまま転がる懐中電灯に手を伸ばし、取る。サッと辺りを照らすと――
「樹さん!」
光が通り過ぎた中に束の間現れた姿にライトを戻し、声を上げた。
樹は樹に寄り掛かるようにして立っている。そんな彼に慌てて駆け寄り、その顔を覗き込んだ。
「起きられたの? 大丈夫?」
心配してそう声を掛けたのに、返ってきたのは明らかに怒りの滲んだ押し殺した声だ。
「どうして離れた」
「だって、樹さんが……」
「決して俺から離れるなと言った」
樹の手が明日菜の腕を握る。そこに込められた力は、指先が痺れるほどだ。
「そんなこと言ったって――」
言い返そうとした明日菜だったけれども、自分の腕を掴んだその力に彼の中にある恐怖めいたものを感じ取り、一気に反抗心がしぼんでいく。
「ごめん」
うなだれ謝った明日菜を彼はまだしばらく睨み付け、そしてフッと力を緩める。ライトは地面に向けたままだったから、顔を上げても樹がどんな表情をしているのかを見て取ることはできなかった。それでも、明日菜は、彼が発散する怒りが和らいだのを感じる。
「ごめんね」
もう一度言うと、樹はため息だけを返してきた。と、不意に彼は首を巡らせ、闇の中で光る眼を明日菜の背後に向ける。一拍遅れて、じゃり、と足音が聞こえた。
「お前は誰だ?」
そう言えば、誰かいたのだったと思い出した明日菜は振り返り、樹の鋭い視線が注がれているのと同じ方へ、ライトと目を向ける。
光の中に現れたのは、何となく見慣れた姿。
(あれ?)
どこで見たのだろうと束の間首を傾げ、パッと樹を振り返る。
彼と同じだ。
同じような、ポケットがたくさんついた黒い服に、同じように、色々なところにポーチのような小物入れを付けている。
もう一度振り返って灯りをもう少し上に向けてみると、ヘラッと笑いが返ってきた。
「眩しいからもうチョイ下げてくれる?」
「あ、ごめんなさい」
相手の顔にまともに当てていた光と少し下げる。と、男は石を踏みしめながらこちらに近付いてきた。樹が明日菜の腕を握り、彼の後ろに引っ張り込む。
「そんな警戒しなくても。あんた、お仲間だろ?」
樹とは正反対の軽い口調は、『お仲間』とは思えないけれど。
「お前は誰だ? ここで何をしている?」
男の軽口には答えずに、樹は更に問いを重ねた。
「名前は鹿角彰斗だ。ほら、これあんたのだろ?」
樹の前までやってきた男――鹿角は、言いながら、無造作に何かを突き出した。それは闇の中でキラリと輝きを放つ。
(ナイフ?)
樹が、投げ付けたのだろうか。そう言えば、鹿角が明日菜にぶつかったらどうするとか何とか言っていた気がする。
(これ、当たったらちょっとしたけ怪我じゃ済まないよね、きっと)
鹿角の手の上にあるのは、刃渡り二十センチほどのナイフだ。映画なんかで、軍人が持っているような。
樹は何も言わずに、差し出されたそれをジッと見つめている。微動だにしない背中に、明日菜は首を傾げた。
「樹さん?」
呼びかけてみた。
と。
見上げるような背中が不意にぐらりと揺れて、そのまま地面に倒れ込む。
「ちょっと!?」
慌てて膝を突いて樹の顔を覗き込むと、その目は固く閉じられていた。
どうしたらいいのだろう。
「樹さん?」
揺さぶってみても、ついさっきまで普通に話していたとは思えないほど反応がない。
「そいつ、病気?」
「判んない。熱がすごくて」
「ふぅん」
鹿角は樹の手首に指を当ててしばし何か考え込んでいたかと思うと、明日菜に目を向ける。
「えらく脈が速い。熱もこんなに高くてよく動けたよな」
そう言って、樹の身体を肩に担ぎ上げた。
「荷物はあんの?」
「あ、うん、あっちの方に」
明日菜は身体を捻って野営していた方向を指さす。
「まあ、持ってく奴もいないだろうし、とりあえず休めるところは提供するから、ついておいで」
気楽な口調で誘われても、さすがに、明日菜はためらった。とは言え、樹が意識不明ではどこにも行けないし、彼が動けないのに野宿も不安だ。こんな山奥に『新生者』がぞろぞろ現れるとは思えないけれど、ないとはいえない。そうなった時、樹を守れる自信なんて、明日菜には微塵もなかった。
彼女はもう一度鹿角を見る。
樹と同じ装備。
(じゃあ、やっぱり同じ役目の人なんだよね、きっと)
若干の不安を残しつつも、明日菜は覚悟を決める。彼女の考えが定まったのを感じ取ったのか、鹿角はニヤリと笑って踵を返した。
(樹さんが目ぇ醒ましたら、怒るだろうなぁ)
その時のことを想像するとちょっと身が縮む思いがしたけれど、他に策もない。
はぁ、とため息をついてから、八十キロはあるのじゃないかと思われる樹の身体を担ぎながらももう闇の中に消えようとしている鹿角の背中を、明日菜は小走りで追いかけた。
横に並んで懐中電灯で地面を照らす彼女に、そう言えば、という風情で鹿角が目を向ける。
「あんたたち、名前は?」
「あ、すみません。あたしは江藤明日菜、その人は五島樹です」
彼女が答えると、ほんの一瞬、鹿角の脚が止まった。
「ごしま、いつき?」
「知ってます?」
「まぁね」
なんとなく、ただ知っている、というだけではない含みがその声にあるような気がしたのは、明日菜の気のせいだろうか。
もう少し何かあるのかと思って鹿角がまた口を開くのを待ったけれども、彼は何も言わずに歩き出しただけだった。
仕方なく鹿角に続いた明日菜は、横目でそっと彼を窺う。
黙々と歩くその顔は、やっぱり、何かを考えこんでいるように思えてならなかった。




