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壊れた世界、壊れた明日  作者: トウリン
第三章:眠れる時限爆弾
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いつの日か

「じゃあ、今回は助かったよ。ありがとな。予想以上に片付けられた」

 学校を爆破した翌朝、この町で新たに調達したSUVに乗って旅立つ明日菜あすないつきを見送に出たアキラは、朗らかな笑顔と共にそう言った。その顔には陰は欠片も見えなくて、だから一層、彼女の胸の中がモヤッとする。


「ねえ、アキラくん」

 運転席の樹に何やら色々手渡しているアキラに、明日菜は呼びかけた。

「何? 忘れ物? あ、トイレ?」

 能天気な問いかけ。

「違うよ。そうじゃなくて。あのさ、やっぱり一緒に来ない?」

 何度か繰り返した台詞をまた口にする明日菜に、アキラはやれやれというように肩を竦める。

「言っただろ、それは無理なんだって」

「ヒトミちゃんが不安になるっていうのは、判ってるよ。でも、何か手があるんじゃないの? あたしたちがこれから行くところは、完璧に安全なんだって。そこに行けば、もう襲われることないって。ここに居たら、まだまだ、闘わなくちゃいけないでしょ? まだまだ、……」


 ――彼らを、殺さないといけない。


 最後まで言えずに口をつぐんだ明日菜に、アキラがぐるりと車の前を回って助手席側にやってくる。

「ありがとな。オレらのこと気にかけてくれたの、すごく嬉しい」

「だったら――」

「けど、行かない。ここに残る」

 きっぱりと断言されて、明日菜は二の句を継げなくなった。

 アキラは頑なな表情を少し和らげて続ける。


「オレも、できたらもう殺したくないよ。でも、これは優先順位の問題なんだ。オレにとったらヒトミの安全が最優先だから。『あいつらを殺す』んじゃなくて、『ヒトミのことを守る』んだ。だからオレはためらわないし、それを苦痛とも思わない」

 そんなふうに割り切れるものなのだろうかと明日菜はアキラの目を覗き込んだけれども、彼の眼差しはピクリとも揺らがなかった。

 きっと、その眼差しと同じくらい、決意も確固たるものなのだろう。


「……あたし、あなたたちを置いていくの、いやだな」

「はは、諦めてよ」

 未練がましく言った明日菜に返ってくるのは、軽い笑いだ。

「さ、ぐずぐずしてても仕方がないだろ。先は長いんじゃないの? さっさと行けよ」

 あっさりとしたアキラの台詞で、樹が車のエンジンをかける。

「あんたたちに会えて、良かったよ。助けてもらったってこと以外にね。……ヒトミのことを受け入れてくれて、嬉しかった」

「ヒトミちゃん、スゴイよ。絶対、スゴイ画家になってたと思う。アキラくんだって、いいお兄さんだよ! ヒトミちゃん、アキラくんがいてスゴイ幸せだと思う!」

 走り出した車の窓から身を乗り出して断言した明日菜に、アキラの顔が半分泣いているような笑顔になった。

「だったら、いいな」

「絶対、そうだから!」

 最後にそう言い切って、明日菜はいよいよスピードを上げた車の中に身体を戻す。


 シートに背中を預けて、彼女は小さくため息をこぼした。

「本当に、いいのかな。ヒトミちゃんのこと眠らせてでも、一緒に連れて行った方がいいんじゃないのかな」

 ブツブツと呟くような明日菜の台詞に、隣からの返事はない。

「ねえ、やっぱり戻って引っ張ってでも連れてこうよ」

 背中を起こし、樹に向き直って訴えても、やっぱり何も答えようとしない。

「樹さんてば!」

「彼らは連れていけない」

 運転中の腕に手を掛けんばかりの勢いで迫った明日菜に返ってきたのは、短いその言葉だった。

 その一言を寄越して、樹はアクセルを踏んでスピードを上げる。


 連れて『いけない』。

 まるで、他に選択肢がないような、言い方。

 ふと、明日菜は真苅まかりを置いてきたときのことを思い出した。


「また、護る相手が増えると困るから? そういう理由? でも、アキラくん、強いじゃない。ヒトミちゃんと自分の身くらい護れるよ、きっと。樹さん一人っきりより、アキラくんがいた方が楽かもしれないよ?」

 樹は黙りこくったままだ。

 そうしている間にも、車は、もうさして広いわけではない町を抜けてしまった。

「ねえ、戻ろうよ。アキラくんのこと、説得してみよ?」

 明日菜はそっと樹の腕に手を置いて、彼の注意を引く。


 と、不意に、樹が車を停めた。


 戻るのだろうか。

 明日菜の中に湧いたその期待は、彼女の方に向き直った樹から発せられた短い台詞で吹き飛んだ。


「あの二人も、『新生者』だ」


「……え?」

 ポカンと、樹の真っ黒な目を見つめてしまった。

 そんな明日菜の顔を見つめながら、彼は淡々と続ける。


「あの兄妹も、『新生者』のミトコンドリアを持っている。アキラ自身にも、そう告げた。彼は今何が起きているのか、これからどうなるのか、理解した」

 明日菜はしばしばと何度か瞬きをして、それから、乾いた笑いを浮かべた。

「まさかぁ。だって、二人とも、全然、普通だったじゃない」

「彼らは、確かに母親の実の子どもだった。血のつながりがある。もしかすると兄の方はそうではない可能性もあるが、少なくとも、妹が母親から生まれたことはアキラ本人がしっかりと覚えていた」

 多分、作戦決行の前日、アキラと樹で二人きりになったときに確認したのだろう。

「でも、じゃあ、なんで――普通、なの?」


 戸惑う明日菜に、樹がむっつりと黙り込む。その顔が意味するところを、彼女は薄々感じ取ることができるようになっていた。

「あたしに、何か隠してるでしょ。何? 何なの?」

 明日菜が詰め寄っても、樹の口は渋い。

「教えてよ! 教えてくれないなら、車降りて町に戻るから!」

 その台詞で、樹の眉間のしわが一気に深くなった。


 しばしの沈黙。

 そして、彼がため息をつく。


「――『新生者』のミトコンドリアを持っていても、子どものうちは変化しない。ネズミの実験では、変わるのは完全に成長が止まった個体だけだった」

「大人、だけ……?」

 言われて、明日菜はぼんやりと抱いていた違和感を思い出す。


 ――襲ってくる『新生者』の中に、子どもの姿はない。

 皆、成人、それもせいぜい五十代かそこらまでの。


(じゃあ、変化してない子どもは、どこにいるの?)

 明日菜は樹に目を向ける。彼はふいと視線を逸らした。まるで、彼女の心の中の疑問が聞こえたかのように。


 その答えは、知りたくない。

 知りたくはないけれど。


「子どもは、どこにいるの? どこに、行ったの?」


 アキラは、母親に襲われたと言っていた。

 それならば、明日菜の友人たちは。

 近所に住んでいた、子どもたちは。


 樹が答えたくないと思っているのが、その渋面と引き結ばれた唇からひしひしと伝わってくる。それはつまり、最悪の答えしかないということで。


「……じゃあ、アキラくんが『オトナ』になったら、ヒトミちゃんはどうなるの?」

 あんなに大事に想っているのに、いつか、アキラはヒトミを手にかけてしまうのだろうか。それを防ぐことは、できないのだろうか。


 そんなのは、嫌だ。嫌過ぎる。


 ガタガタと震える身体を、明日菜は両手で抱き締めた。でも、止まらない。

 不意に樹の手が伸びてきて、明日菜のシートベルトを外した。そうして、彼女を持ち上げて自分の膝に乗せ、彼女のものよりも遥かに力強い腕できつく抱き締める。

 がっしりとした肩に頭を預け、大きな胸からその温かさを分けてもらううち、次第に明日菜の震えは治まってきた。ギュッと押し付けられた身体からは、彼のゆったりした鼓動が伝わってくる。


 樹の身体にもたれたまま、ほ、と彼女は息をつく。

 と、明日菜の気持ちが落ち着いたのを感じ取ったのか、微かに強張っていた樹の肩からも力が抜けた。


 明日菜を腕の中に入れたまま、樹が口を開く。

「何年も経た後に彼らが変化するのかは、正直判らない。もしかすると、変化は今の時期だけのもので、これを凌げばまた単なる保因者に戻るのかもしれない」


 ――『かもしれない』。

 樹が不確かなことを口にすることは、滅多にない。多分、推論を述べることをよしとしないのだろう。本来の信条を押しやってでも明日菜が望むことを、明日菜が安心できるようなことを、言ってくれているのだ。

 武骨な彼のその気遣いが、嬉しい。


 明日菜はそれからもう少しだけ彼の腕の中にとどまり、そして身体を起こす。軽く首をかしげて、樹を見た。


「あたし、十年経ったらここに戻ってくる」

「明日菜?」

 眉をひそめた樹に、明日菜は笑った。

「十年後に、二人に会いに来るんだ。アキラくんはヒトミちゃんをちゃんと守ってるに違いないし、アキラくんがヒトミちゃんを殺しちゃうなんて、絶対、有り得ないんだから」

 樹はきっぱりと断言した明日菜を見つめ、そして、微かに――これほど間近でよくよく見ていなければ気付かないほどほんとうに微かに、笑みを浮かべた。


「……そうだな。また、来よう」

 樹は思いがけない彼の微笑みに何故か鼓動が速まった明日菜に低い声でそう返し、彼女を助手席に戻す。


 身体を離してからも、明日菜の動悸はなかなか治まらなかった。


(なんで、こんなにドキドキするのよ)


 たかが笑顔、だ。

 確かに珍しいけれど、それだけではないか。


 樹に対してそんなふうになったことが居心地悪くて、明日菜は半ば自分をごまかすように走り出した車内で口を開く。


「ねえ、あたしに隠してることとか、他にはもうない?」

 沈黙。

「……あるんだ?」

 沈黙。

「……それって、樹さんがあたしに話さない方がいいと思ってること? それとも、話したくないと思ってること?」

 沈黙――いや、返事があった。

「話したくないと、思っている」


 明日菜は、『彼が明日菜に話さない方がいいと思っていること』なら、何が何でも聞き出そうと思っていた。聞くべきか聞かざるべきか、それを決めるのは自分でありたかったから。


 彼女は樹を横目で窺った。

 その表情は、硬い。

 多分、樹にはごまんと『秘密』があって、その全てを教えろと明日菜がせがめば彼は答えるだろう。


 けれど。


(樹さんが『話してもいい』と思えるようになるまで、待とう)

 彼のことを知りたいと思うけれど、それ以上に、彼の信頼に足る者になりたいと思う。


(どうすれば、そうなれるんだろう)


 明日菜は真っ直ぐに伸びる道の向こうに目を向けながら、自分自身に問いかけた。


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