爆破
吠え声と共に、ドンッ、バンッ、と鉄扉の向こうで続けざまに衝撃音。その激しさから想像するに、手で叩いているのではなく、体当たりをしてきているのだろう。
それも、そこに障壁など存在しないかのように、思いっきり。
ひっきりなしだったその音は、ピークを越えると今度は急速に減っていく。
明日菜はドアから数歩離れて立つ樹の横に立って、『新生者』がひしめく校内とこの屋上とを隔てている扉を見つめた。
「なんか、静かになってきた……?」
確かめるように呟きながら樹を見上げても、彼は鋭い眼差しでドアを睨み付けたままだ。
眉をひそめて明日菜もドアに目を戻す。もう、それを叩く音はしていなかった。代わりに、何やらミシミシと蝶番が軋みを立てている。
どうやら向こう側には、ドアを叩くこともままならないほどみっしりと、『新生者』が充満しているらしい。
(そっちの方がヤバいよね、絶対)
数人の体当たりではビクともしなくても、数十人――あるいは数百人の力で押し続けられたら、そう長いこと持たないのではないだろうか。
「下がっていろ」
「うん……」
頷き、明日菜は小走りで退路の近くへと向かった。そこにはアキラがうずくまっていて、最後の仕掛けを操作している。
彼は駆け寄った明日菜にチラリと目を走らせただけで、すぐに作業に戻った。手際よくいくつかの針金のようなものを抉り合わせて、立ち上がる。
「いよいよ大詰めだな。兄さん、そろそろこっちに――」
アキラが樹に呼びかけた、その時。
みしりと音がして扉の蝶番が歪んだ。
ピンと飛んだネジに、明日菜は息を呑む。
一度緩めば後はあっという間だった。
まず、上の蝶番が外れる。
「がぁあ!」
開いた隙間から幾本もの腕が突き出され、空気を掻いている。明瞭になった雄叫びは、その扉の向こうにいる『新生者』が数十人どころではないことを否が応でも教えてくれた。
「うぅわ、大盛況。思ってたよりも多いかもな」
「そんな、呑気な――ッ!」
下の蝶番も、外れた。
鍵のデッドボルトの部分は残っているから、大きく開け放たれることはない。加えてドアの前に置いた重いベンチも邪魔をしていて、一気に雪崩れ込んでくるという事態にはならずに済んでいるけれど。
かろうじて開いた隙間から身体を捻じ込むようにしてこちらに出てきた一体を、すかさず樹が手にしたマチェットで斬り伏せる。
一体、また、一体。
出てくるものを順々に樹が斃していくけれど、そのたびに、扉の開き具合は大きくなった。
「兄さん、もういいかな?」
アキラの呼びかけに、今また男の『新生者』を屠った樹が肩越しに小さな頷きを返す。そうしている間にも、また次の『新生者』がこぼれ出た――今度は二人、同時に。
樹が彼らに対峙するのをしり目に、アキラはサッと足元の爆弾に手を伸ばして導線に火を点けた。
「じゃ、先行くよ」
その一言で、アキラは救助袋の中にひらりと身を躍らせる。
「え、あ、アキラくん、ちょっと――」
明日菜は救助袋の開口部に目を遣り、次いでまた導線に目を戻した。
導線はじりじりと燃え進み、もう半分ほどは灰になっている。
(これ、三分くらいで爆発しちゃんじゃないの?)
いや、この速さで燃えるなら、三分持たない気がする。
「樹さん、早く!」
焦った明日菜が彼に呼びかけた時、扉が一気に押し開かれた。戸口からドッと溢れ出した『新生者』の群れに背を向け、樹がこちらに駆けてくる。
「目と耳を塞げ!」
明日菜に向かってくる彼はそう言いながら、ポケットから何かを取り出した。
「目、耳……?」
明日菜がもたついている間に、樹はその何かを『新生者』たちに向けて放り投げた。
刹那。
「ッ!?」
視界を埋め尽くした閃光と耳をつんざく爆音に、彼女はすくみ上る。
(何、何なの?)
何も見えず何も聞こえない明日菜を、がっしりとした腕がすくようにして抱き上げた。一瞬身体を硬くしたけれど、すぐにそれが樹のものだと判ってホッと力を抜く。
明日菜を抱えた樹は、そのまま救助袋に身を躍らせたようだ。
滑り台に乗っているような、感じ。
まだ目と耳は何も受け付けてくれないから、判るのは重力の変化だけだ。
半分ほどは滑り降りた頃だろうか。
その時、明日菜は、遠雷のようなものが聞こえたような気がした。聴覚が麻痺した彼女にも聞こえたくらいだから、実際は、ずいぶんと大きな音だったに違いない。
何だろう、と思った瞬間、明日菜はふわりと身体が宙に投げ出されたような感覚に襲われる。多分、さっきの雷のような音は爆発によるもので、屋上の爆破で救助袋の取付部が壊れたのだ。
となれば、もちろんその後は――
(落ちる!)
そう思った瞬間、明日菜は悲鳴を上げそうになった口を閉じて歯を食いしばった。
彼女の身体を包み込む樹の腕に、グッと力がこもる。
直後の、衝撃。
樹の身体をクッションにしたにも関わらず、全身を襲ったそれに、束の間彼女の息が止まった。
「明日菜、大丈夫か?」
まだボウッと遠い耳に、妙に切羽詰まった声が届く。
無意識のうちに固く閉じていた目蓋を上げると、声と同じくらい焦りの色を含んだ眼差しがあった。こんな樹を見ることはそうそうないだろうなとぼんやりと思った明日菜は、すぐに我に返って状況を思い出す。
「樹さんこそ、大丈夫!? 潰れてない!? もろに下敷きにしちゃった……」
「俺はいい。君に怪我はないのか? どこか痛むところは?」
言いながら、樹は彼の脚の間にへたり込んでいる明日菜の全身を大きな手で隈なく探る。
「痛いところはないけど、まだちょっと耳が変。ボーッとしてる。目もチカチカするよ。さっきの何?」
『さっきの』とは、救助袋に飛び込む前にあったことだ。
驚き具合は、落ちたことよりもその前に屋上で食らった何かの方が、よっぽど大きい。
瞬きを繰り返す明日菜に、強張っていた樹の顔が和らいだ。
「あれはスタングレネードだ。音と光だけで実害はない」
「音と光だけ? ホントに? 爆弾が爆発しちゃったのかと思った」
「よほど間近で作動すれば別だが、それでも火傷がせいぜいだ。だが、『新生者』の方が感覚が敏感になっているから、彼らには効果が高い」
救助袋に包まれたまま樹がそう教えてくれている間に、少し離れたところに刃が刺し込まれた。そのまま、ビーッと音を立てて切り裂かれる。破れた帆布の間から、アキラが顔を覗かせた。
「悪かったな。計算よりも起爆するのが早かった。それ以外は、いい感じで爆破できたんだけどな」
あっけらかんとした彼の声は、言葉の内容の半分ほども悪びれた様子がない。
彼がしゃべっている間にも、ドゥン、ドゥンと、断続的に轟音が響いていた。
そう言えば、やけに熱い。
明日菜が校舎に目を向けると、アキラはいったい何をしたのか、これでもかというほどに炎が燃え盛っていた。今彼らがいる着地点に近い教室だけは火を噴いていないけれど、そこ以外はまさに火の海だ。これでは、中にいる者はひとたまりもないだろう。
その燃えっぷりに目を丸くしている明日菜をよそに、アキラは続ける。
「まあ、落ちたのはせいぜい二階の高さくらいだから、おっきな怪我はないだろ? それよか、まだチョロチョロうろついてる奴がいるんだけどさ。オレらに気付いたみたいだからさっさと出てきてよ」
「え、うそ。早く言ってよ」
まだ半ば被さっていた布地をどけて、明日菜は急いで立ち上がる。ぐるりと辺りを見回すと、確かに、数人の『新生者』がふらふらとさ迷っていた。そのうちの一人が、ゆらりとこちらを見る。
「あ、見つかった」
緊迫感の欠片もないアキラの声。そこにすっかりいつもの落ち着きを取り戻した樹の声が続く。
「明日菜、離れるなよ」
いつの間に抜き放ったのか、両手にマチェットを携えた樹は明日菜にそう告げて、猛然とこちらに突進してくる『新生者』に身体を向けた。