計画
「一掃って……どういうこと?」
「言葉通りさ。この辺りはだいぶ減らしたけど、少し離れれば、奴らはまだうようよしてる。そいつらがこっちに流れてこないとは言えないだろう? だから、この街にいる奴らを集めて、一気に叩くんだ」
アキラは平然とそんなことを言い放った。
まるで、害虫駆除か何かをしようとしているかのように。
(なんでそんなあっさりと)
こんな状況だから、普通の感じ方ができなくなっているのか。
それとも、この少年が元々持っていた感覚なのか。
――前者だと、思いたい。思いたい、が。
(でも、妹のことはこんなに大事にしてるんだもん)
きっと根は優しい子なのだと自分を納得させる明日菜の横で、樹が口を開く。
「君は今までどうやって対処してきたんだ? 人一人殺すのはそう簡単なことではないだろう」
「そんなに難しいことでもなかったよ。あいつらって、犬並みの頭しかないじゃん? 高い柵を乗り越えたりはできないしさ、道にブービートラップ仕掛けといたり、家の中にいる奴にはガス使ったり。ああ、そうそう、この家の半径百メートルくらい、さっき通った道以外は色々やってあるからさ。通るときは気を付けてね」
アキラはへらりと笑ってそう言うけれど、普通、中学生かそこらの子どもがそんなことはできないのではないだろうか。
「罠とか、どうしてそんなの知ってるの? ガスって言ったって、人殺せるようなのって普通は店なんかで売ってないでしょう?」
眉をひそめてそう問うと、彼はヒラヒラと片手を振って答える。
「ネットだよ、ネット」
「?」
アキラの返事では理解及ばず、明日菜は首を傾げた。そんな彼女に彼は説明を加える。
「ほら、こいつ、ずっと家にいるだろう?」
そう言って、アキラはヒトミに目を向けた。
「うちの母親、酒呑むやつでさ。なんかの拍子にブチぎれるんだよ。こいつを一人で残しておくと何されるか判んないから、オレも家にいないといけなくてさ」
「それって、虐待……」
「そうとも言うけど、しゃあないだろ、母親なんだし。まあ、オレがいれば大丈夫だったしな」
アキラはシビアなことを軽く笑い飛ばして、続けた。
「そんな奴だったから、オレに噛み付こうとしてきたときもまた酔っ払ってんのかと思ったよ。寝てる時に殴ってきたりとかはしょっちゅうあったからさ。そうしたらガチで殺そうとしてくるじゃん? こっちもマジで反撃したら、ヤッちまって」
まあ、今思えばそれで正解だったんだよな、と笑うアキラには、罪悪感というものは欠片も見当たらない――少なくとも、表面的には。
明日菜はジリジリと腰を動かして、心持ち、隣の樹に身を寄せた。
そんな彼女に気付いているのかいないのか、アキラの口調は変わらない。
「でさ、まだこうなる前に、時間が空いたらネットで色々見てたんだ。検索すりゃ、何でも出てくるから。罠の仕掛け方もガスの作り方も、もっとヤバいものもね。見てた時は単なる興味本位で、まさか役に立つことはないと思ってたよ。で、この辺は農作業とか山で狩りするオッサンとかいるし、そこらの物置とか金物店とか漁れば材料はいくらでも手に入る」
そこで、アキラがはあ、と息をつく。
「そんな訳でこの辺うろつくのに気ぃ使わなくていい程度に片付けるのは、まあ何とかなったんだけどさ。スーパーはオレらが会ったあそこしかないからさ、色んな日用品とか食料とか、いつまでもつかな、って思い始めててさ。こいつ、偏食きつくてカロリーサポートってやつしか食べてくんないんだ」
「カロリーサポート?」
それは、ビスケットタイプの栄養補助食品だ。初めて樹と会ったとき、飢えた彼女に彼がくれたようなもの。
間違っても、日々の食材にしたいと思えるような代物ではない。
明日菜は、年長者たちが物騒な話をしている中で一人黙々と絵を描いている少女をまじまじと見つめてしまう。
「それしか、食べないの? 一日中?」
「そ。後は水な」
確かに、この少女は九歳と言うには小柄で痩せている。あんなものしか食べていないのなら、それも頷けた。
「スーパーの倉庫にはまだ結構あったけど、でも、限りはあるだろ? ちょっと遠出して探しに行きたいと思っても、ヒトミは連れてけないし、奴らがうろついてんのにこいつ独り残していくわけにもいかなくてさ。もっとガッツリ数を減らしておけば、完璧じゃないけど、まあ何とかなるかな、とか」
この、アキラという少年の子ども離れした考え方は何なのだろう。
実の母親からの暴力で、日々サバイバル状態に置かれていたからなのだろうか。
アキラにかける言葉が見つからない明日菜に代わって、樹が彼に尋ねる。
「で、具体的には? 俺達には、何を手伝って欲しいと?」
「ああ、それね。実はさ、この街に残ってる奴らをガアッと一か所に集めて、吹っ飛ばしちゃおうかと思ってさ」
「はあ?」
突拍子もないアキラの台詞は、さすがに実現不可能なことに聞こえる。
思いっきり疑わしさを浮かべた明日菜に、アキラが笑った。
「あいつらって、ヒト見たら追いかけてくるだろ? だから、街の中を一回りして、おびき寄せるわけ。集める場所は学校でさ、先に爆弾とか発火装置とか仕掛けておくわけよ。で、粗方引き寄せたらオレらは脱出して、あとはドカン」
「でも、爆弾なんてないでしょ!?」
思わず明日菜が大声になってしまうと、それまで静かだったヒトミがパッと両手で耳を塞いだ。
「明日菜」
樹にたしなめられて、彼女は両手で口を塞ぐ。
「あ、ゴメン……でも、そうでしょ? 日本で爆弾なんて、有り得ないって」
同意を求めて樹を見ると、向かいのアキラが肩を竦めた。
「さっきも言っただろ? ネットで色々調べたって。爆弾作るのも、意外と簡単だよ。材料だって割とそこらにあるもんでできるし。ただ、流石に一人じゃおびき寄せてタイミングよく起爆させてってのは無理でさ。もう一人、欲しかったんだ。でも、まともな人間なんて誰も残ってなかったし。ホント、何なんだろな、これ。ウイルスかなんかなわけ? そんなあっという間に広がるもんなのかな」
はあ、とため息をついたアキラに、明日菜はチラリと樹に目を遣った。
この少年にも、世界で起きていることを説明してやった方がいいのではないだろうか。
見返してきた樹の眼差しからは、彼がどう考えているのかを読み取ることはできない。
(どうせ、説明しても理解してもらえないとか、説明しても何が変わるわけではないとか、思ってるんだろうな)
内心小さなため息をついて、明日菜はひたすら絵を描くヒトミと彼女を優しい眼差しで見守っているアキラとに目を戻した。二人を眺めていて、ふと、彼女は微かな違和感を覚える。同じようなものを、少し前にも感じた気がするが。
それは、何だったか……
考えて、その理由に行き着いた。
(そう言えば、お母さんが襲い掛かってきたんだっけ?)
けれど、ミトコンドリアは母から子どもへと受け継がれるのだから、子どもが無事ということは、母親も無事だということではないのだろうか。
(連れ子とか養子とか里子とか、血が繋がってないっていう話……?)
父親の話も出ないし、何か訳ありの家庭であることには違いない。
そこらへんも、きっと、深い事情があるのだろう。だから、母親も酒に溺れたり子どもたちに暴力を振るっていたりしていたのに違いない。
(そういうの、あたしが首を突っ込むようなことじゃないしね)
そうやって、胸の中の小さな疑問を奥へと追いやった。と、アキラが声を掛けてくる。
「で、どう? 協力してくれる?」
「あ――」
明日菜が曖昧な答えを返そうとしたのを遮るように、樹がすっぱりと言う。
「断る」
これ以上はないというほど簡潔で明瞭で容赦のない一言に、明日菜は咎める眼差しを彼に向けた。
「樹さん、でも――」
「駄目だ」
反論は、ぴしゃりと封じられた。
あまりに有無を言わせないから、明日菜はカチンとくる。
「冷たいよ!」
「俺がすべきことは君を守ることだ」
拒むのは、彼自身の身の為ではなく、あくまでも明日菜の身を案じてのこと。
そう言われれば、彼女には反論のしようもない。
明日菜は樹から目を逸らし、絵に没頭している少女を見つめた。
一瞬たりとも視線を合わせてくれることはないその横顔はあどけなく、こんな世界になったというのに穏やかで安寧に満ちている。
この少女の中の平和な世界がいつまでもつか判らないけれども、叶うならば、それをできる限り伸ばしてやりたい。
「じゃあさ、この子たちを一緒に連れて行くっていうのは、どう?」
「それは――」
渋い顔をした樹の台詞を、今度はアキラが止めた。
「それは、無理。言っただろ? こいつ、この家から出られないって。新しい場所に行ったらパニックになるし、今じゃ玄関から出そうとするだけでもこの世の終わりって感じになるよ。旅暮らしなんて絶対無理だって」
では、本気で、ここを安全な場所にしてあげるしかないのではないか。
「樹さん……」
危ない橋を渡るのは彼なのだということは、重々承知している。
けれど、この二人を放置していったら、明日菜は死ぬまで後悔することになると思う。
アキラの作戦は一時しのぎのものでしかないかもしれないけれど、それでも、この兄妹の穏やかな日々を長引かせるものにはなるはずだ。
「お願い」
眼差しに思いの全てを込めて、明日菜は樹を見つめた。
彼は渋面でそれを受け止める。
しばし睨み合いが続いて。
「少し、違う部屋で話せるか?」
樹が言った――明日菜にではなく、アキラに向けて。