切実な問題
明日菜は困窮していた。
非常に、切実な問題に直面して。
(うう、どうしよう)
悩んだところでどうしようもない、どうやっても避けようのない、問題。確実に爆発するのははっきりしているのだけれども、それがいつなのかは判らない、時間表示のない時限爆弾のようなものだ。
(それにしたって、毎月のことなのに)
どうして、『これ』を忘れていたのだろう。
でも、正直、この非現実的な状況でこの現実的な問題のことはすっかり頭から消え去っていたのだ。
記念すべき十日目の野宿でたき火を挟んで向かいに座る樹をチラリと見やって、明日菜は温められたスープをすする。
(ああ、もう!)
明日菜は胸の中で罵り、小さなため息をついた。
と、すかさず。
「どうした?」
基本、しゃべらない彼から唐突に声をかけられて、明日菜はビクッと肩を跳ねさせた。
「え、何が?」
思わず問いに問いで返してしまった明日菜に、樹が眉をひそめる。
「何か言いたいことがあるんじゃないのか?」
「どうして、そう思うの?」
せっかく水を向けてくれたのだから素直に乗ればいいのだろうけれども、内容が内容だから、スムーズには切り出せない。明日菜は手の中のアルミのカップを睨み、ぼそりと言った。
不愛想な彼女の反応も全く気にした様子がなく、樹は続ける。
「昨日から君は落ち着きがない。ため息と、俺に目を向ける頻度が二倍にはなっている」
絶えず周囲を警戒しているというのに、明日菜の些細な変化にも気付くのか。
(この人、目が三つあるんじゃないの?)
明日菜はまた、ため息をこぼした。
そこに再び、樹の追及が。
「で、何なんだ?」
仕方がない。何日も先延ばしにすることもできないし、背に腹は代えられない。
(どうせ、この人は何にも思わないだろうし)
この期に及んでまだ踏ん切りのつかない自分を鼓舞して、明日菜は切り出した。
「アレが近いの」
「……アレ?」
樹が繰り返し、細めた目を周囲に巡らせる。
「――『新生者』の気配はない」
「違うって」
遠回しでは伝わらないのか。
「女の子の日」
これで、伝わるはずだ。
――伝わるはずだった、けれど。
「?」
樹は、いぶかし気な顔をしている。
(うそでしょ、なんで判らないの!?)
いつも、あんなに察しがいいのに。
明日菜はグッと奥歯を噛み締め、息を止めた。
そして、一気にぶちまける。
「生理よ、生理が来るの! 多分、あと二、三日で! もう、言わせないでよ!」
割ときっちり予定通りに来る方だし、身体がなんとなくそんな感じなのだ。毎月付き合っているものだから、判る。
しかし、父親にすらこんなことを話題にしたことがないのに、赤の他人の若い男に言う羽目になろうとは。
恥ずかしさでギリギリと睨み付ける明日菜の前で、樹は固まっている。彼のことだからさっくり流すかと思ったのに、予想外の反応だった。
出会って以来初めて目にする姿だし、こんな彼は多分もう二度と見ることがないだろうけれども、彼女は自分の問題で手いっぱいで、それを面白がる余裕はなかった。
「とにかく、要るものがあるのよ。樹さんが準備してなかった物……判るでしょ?」
さすがに、今度は明日菜が言葉に出さなかったことも読めたらしい。
「……ああ」
歯切れ悪く頷いた樹から目を逸らして、明日菜は続ける。
「だから、どこかに寄れないかと思って。ドラッグストアとか、スーパーとか」
彼女の頼みに、樹はしばし考え込むそぶりを見せた。
「……何とかしよう。君をどこか安全な場所に残して――」
彼のその提案は、即座に却下する。
「無理、絶対、無理。一人でなんかいられない」
言い張る明日菜に、樹は渋い顔になった。
「だが、町は危険だ」
「一人でいるのも危険でしょ? 一緒に行く」
足手まといなのは判っているけれども、樹と離れるのは、不安だった。
怖いのは、彼がいない時に襲われることではない。
彼が戻ってこないことだ。
自分が知らないところで彼が闘い――命を落としたら、と思うと、居ても立ってもいられなくなる。
「絶対、一緒に行くからね」
これだけは、絶対に、譲歩できない。
睨み付けるようにして言う明日菜の前で、樹が深々と息をついた。