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壊れた世界、壊れた明日  作者: トウリン
第二章:朽ち果てた楽園で夢をみる
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彼の望み

 モニターの中の真苅まかりはふらりと立ち上がって、柵に寄り掛かる。ほんの少し重心を前にかけたらすぐさま『新生者』がひしめく地面へと落ちてしまいそうで、明日菜あすなは気が気ではない。


「ねえ、何でもいいからさ、取り敢えず、柵の中に戻ってよ」

 懇願すると彼はチラリとカメラに目をくれて、それからヒョイと柵を乗り越えた。


 ひとまず安全な場所に戻ってくれたことに息をつき、明日菜はまたトランシーバーに語り掛ける。

「どうして、残りたいんですか? 外に出るの怖いから?」


 彼女がそう問いかけた途端に真苅の肩が揺れたのは、笑ったからだろうか、すくめたからだろうか。


 少し置いて、トランシーバーが鳴った。


「怖くはないよ」

「じゃあ、なんで」

「単純に、行きたくないから」


 束の間、明日菜はトランシーバーを睨み付ける。


「でも、樹さんが言ってたこと、聞いたでしょう? ここにずっとはいられないんですよ? 何ヶ月も――もしかしたら何年も、ここに閉じこもったままでいいんですか?」

「まあ、それもイヤだね」

「じゃあ、一緒に行きましょうよ」

 勢い込んでそう言ったけれども、返事がない。じりじりしながら待っていると、トランシーバーが、唸った。


「僕はね、そもそも、助かりたいなんて思ったことがなかったんだよ」


 唐突に、淡々と告げられたその台詞に、明日菜は絶句する。

 どういう流れでそんな彼がそんなことを言ったのかさっぱり解からず、台詞そのものが彼女の脳みそを空滑りした。


「……え?」


 トランシーバーのスウィッチは押していなかったから、呆気に取られた明日菜のその声は、真苅の元には届かなかったはず。けれども、彼女が戸惑っていることは、容易に察せられたのだろう。

 真苅の声が、続く。


「僕はずっと死にたいと思っていたんだ。……そうだね、小学校に入った頃には、もうそんなふうに思ってたかな」

「小学校って――いじめとか?」

「いいや、別に。すごく順風満帆な子ども時代だったよ。両親は教育熱心だけど優しくて、それなりに裕福。兄と妹がいる。友達も、まあ、多い方かな」


 訳が解からない。


 まるでそれが真苅自身であるかのようにまじまじとトランシーバーを見つめて、明日菜は問う。


「じゃあ、なんで?」

「さあ? 僕もずっと考えてきたけど、答えは見つからなかったよ」

「でも、ほら、えっと……そう、生きてれば楽しいことだってあるじゃない」


 言ってから、明日菜は自分の台詞の虚しさに気付いた。確かにかつての世界であれば前途洋々だったかもしれないけれど、今は、どうだろう。


 口ごもった明日菜に、真苅が笑う。


「今まで、楽しいこともたくさんあったよ。だからって、こんな世界になったから絶望してもっと死にたくなったってわけでもないんだ。むしろ、この世界の終わりを見てからでもいいかな、と思ったくらいで」


 映像の中で真苅は柵に圧し掛かり、今にも前に転がり落ちそうになっている。群がる『新生者』たちをからかうように、彼は片手をひらひらと差し伸べた。


「この世界になって、正直、僕は嬉しかったんだ。何も、誰も残さず、残していかず、死ねるから。ブツッと、何もかもが一気に終わるから。ほら、みんなが同時に死んでしまえば、誰も悲しまないだろう?」


 言いながら、彼はパッと両腕を広げる。その拍子にふらりと上体が揺らめいて、明日菜は息を呑んだ。

 ハラハラ彼女が見守る中で真苅は脚を振って身体を起こし、柵の内側に立ち上がる。


「僕が二十年生きてきた理由は、両親や友人、そういう人たちとの『繋がり』だった。僕の生そのものには何の意味もない。僕という個体は、別に存在していてもしていなくても、どうでもいいんだよ。ただ、彼らが僕のことを好いてくれているということは判っていたからね、彼らが悲しむから、死ねなかった」


 真苅の声が途切れた瞬間、明日菜はすかさずトランシーバーのスウィッチを押した。

「あたしも、あたしも真苅さんが死んだら嫌です」

 だから一緒に行きましょう、と続けようとしたのに、間髪を入れずに遮られる。


「ごめんね、君じゃダメなんだ」


 きっぱりと断言されて、明日菜は少し、傷付いた。確かに出会ったばかりの自分なんて、彼にとってたいした価値はないのだろうけれども。


 ポンと背中に手を置かれ、明日菜は隣を振り仰いだ。ジッと見下ろしてくるいつきの目には温もりがあって、その眼差しに彼女はなんとなく慰められる。

 真苅に何かもっと声をかけようとしたけれど、そうされたくないのか、彼の側のスウィッチが押されっ放しになっていた。

 だから、一方的に真苅の話を聞くしかない。


「両親とも友達とも連絡が取れなくなって、戒厳令が敷かれてね。ちょっと、ホッとしたんだ。ああ、これで終わりにできるんだって。でも、そんなときに彼がやってきてね。僕を助けに来たってさ」

 真苅が、フフッと笑う。

「ホント、アクション映画の主人公みたいだったな。ベランダから入ってきたんだよ?」


 真苅の言う『彼』は、博士が派遣した護衛のことだろう。明日菜はチラリと樹を見やった。


(そうするっていうマニュアルでもあるの?)


 そんなふうに隣に立つ男に気を向けた明日菜を沈んだ声が引き戻す。


「彼に僕が必要だと、生きるべきだと言われて、苦しかった」

 それは、本当に暗い、心の底から苦しそうな、声だった。

「僕は、死にたかったんだ。ベランダから壊れていく世界を眺めながら、安心して、死ねると思ったんだ。だけど彼がムキになって僕を生かそうとするからね、死に損ねた」


 プツッと送信が途切れる音がしてモニターに目をやると、真苅がまた柵の外にひらりと立ったのが見て取れた。そして、また、トランシーバーから、声が。


「……だいぶ、集まってきたかな。僕がここに居たら、みんな寄ってくるだろ? その間に裏から出てよ」

 一転、朗らかな口調で真苅がそう言った。


 それはつまり、彼を囮にしろということで。

 

「そんなこと、できるわけないじゃない!」


 思わず、トランシーバーを握り締めて叫んだ。真苅にその声が届くことはないと判っていても、叫ばずにはいられなかった。


 そんな明日菜のことなどつゆ知らず、彼は続ける。


「僕の生には何の意味もなかったけれど、僕が餌になって君たちが助かるなら、その死には意味があると思わないかい?」


 真苅の台詞に、明日菜はゾッとする。彼が至極満足そうであることに、寒気がした。


「死ぬことに意味なんかないです」

「そう? 誰かの為に死ぬなら、意味のある死だよ。だから僕は今、初めて生きていて良かったと感じてる。僕の存在に、『意味』を感じてる」


 解からない。

 真苅の言葉の意味が、さっぱり、理解できない。

 同じ日本語をしゃべっているとは思えないほど意思疎通がままならない相手を説得しようとしても、明日菜には、何をどう言ったらいいのか判らなかった。


 必死に言葉を探して食い入るようにモニターを見つめる明日菜の前で、真苅は屋上の縁に両手を置いて下を覗き込むように身を乗り出している。


「だいぶ、集まってきてるからさ、早くした方が良くない?」

「でも、やっぱり真苅さんを置いてはいけないよ!」

 まだ諦めきれなくて言い募ると、ややして、真苅が立ち上がった。


「じゃあさ、五島さんに訊いてみてよ」

「何を?」

「この中を君と僕の二人を連れて逃げるのは、無理でしょってさ」


 言われて、パッと明日菜は樹に振り返った。彼は、渋い顔をしている。まるで、痛いところを突かれた、というように。


「あのさ、正直なところ、マンツーマンでも難しいと思うんだよね。五島さんだけでも逃げるの大変なのに、二人を護りながらっていうのは、ほとんど不可能だよ。この建物から出ると同時に食い殺されるのが関の山じゃない?」

「そんなことないよね。だって、樹さん、すっごく強いし。ね、そうでしょ? いけるでしょ?」


 隣に佇む大柄な男からの返事は、ない。


「どう? 五島さん、眉間にめちゃくちゃ深い溝、できてるんじゃない?」


 見事に的を射た、茶化すような言い方が、癇に障る。

 真苅は、それから、少し、真面目な声になって。


「五島さんの役割は、君を護ることだ。それを全うさせてあげないといけないよ。五島さんだって、明日菜ちゃんのわがままを聞いちゃいけない。あなたがするべきことをしないと。僕の命は、僕が生きる義務は、僕の護衛が戻らなかった時点で終わっていたんだ」


 真苅の目が、真っ直ぐにカメラに向けられている。

 まるで、カメラのこちら側の明日菜たちを見つめようとしているように。


 ほんの数呼吸分の沈黙ののち、樹が動いた。


「行くぞ」

 明日菜のバックパックを取り上げて彼女に押し付け、彼は自分のものを背負う。


「だけど、真苅さんを置いてけないよ! 誰かが死ぬのを黙って見過ごすなんて、目の前にいるのに放っていくなんて、絶対いや!」


 明日菜の腕を掴んで歩き出した樹に逆らって、床に足を踏ん張った。そんな彼女の抵抗なんてものともせずに歩き続けながら、彼は言う。


「それは君の願望であって、彼のものではない。彼の道は彼が選択する」

 その言葉は、容赦なく明日菜に突き刺さった。

「あたしの自己満足だって言うの?」

「違うか?」

 即座に返され、明日菜は、グッと奥歯を噛み締める。


 違う、とは言えなかった。

 確かに、死にたいと、死ねて嬉しいと言う人に対して何が何でも生きろと言うのは、明日菜の身勝手に過ぎないのかもしれない。

 ただでさえ厳しい状況なのに、更に重荷を背負い込むことを樹に強要するのは、無茶なことなのかもしれない。


 きっと、そうなのだろう。

 けれど。


「やっぱり、間違ってると思う」


 ほとんど樹に引きずられるようにして廊下を進みながら、明日菜はボソリと呟いた。


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