おっさん生き延びる
―――ドカン!
まるで、ダンプカーに車が衝突したかのような音が響く。
これで俺の人生も終わりか・・・等と考えていたが、いつまで経っても痛みも何もない。
あるいは、衝撃も感じる間もなく死んだのか。
身体がある感覚は感じているので、少なくとも死んだ訳ではなさそうなんだけど。
何にせよ、痛みも無いんだからとりあえず目を開くしかない。
おそるおそる目を開くと、そこにはありえない光景があった。
俺を襲っていたはずの大きなカマキリが少し離れた場所にひっくり返っていた。
しかも、俺に振り下ろされていた鎌は、砕けて根元から千切れている始末。
一体これはどうしたことか。何があったというのだろう?
周囲を見回しても、自分以外に誰か居る気配はない。
唯一の目撃者になるはずだった自分は目を瞑っていたので分からない。とんだ役立たずである。
件のカマキリは一切動く様子がない。
生きているのか、死んでいるのか。残念ながら自分には判断が付かない。
近寄って調べるのはお断りだ。もし生きていたら・・・さっきの幸運がもう一度起きるとは思えない。
しかし、あのカマキリが死んでいたとしても、この事態が良くなることはなさそうだ。
この森にあのカマキリが1匹だけとはありえない。複数居ると考えるのが自然だ。
もしかすると、もっと恐ろしいモノが居るかもしれない。
そんな中を歩く?武器も持たずに?・・・とんでもない自殺行為だ。
かといって、ここで一歩も動かずに居れば、いずれは衰弱して餓死する他ない。
無理ゲー、クソゲーである。
まぁ、どっちかと言えば餓死のほうがゴメンなので、一か八かこの森を抜けられる可能性に賭けて、動くしかないだろう。
「できれば、さっきの謎幸運がもう一度起こってくれればいいなぁ・・・」
そんなことを呟きながらいざ移動しようと1歩踏み出したところで、
「動くな・・・」
そんな言葉とともに、左腕を取られ首筋に何かを当てられる感触。
ついでに背中に当たる柔らかい感触。
「うぇっ・・・!?」
思わず変な声が出た。
「動くなと言った」
どうやら首筋に当てられているのは刃物らしい。
それが強く当てられる。これ以上動くと問答無用で斬られそうだ。
カマキリの次は殺人鬼か何かか・・・?
自分の運の無さに呆れるばかりである。
「だっ・・・誰ですか・・・?」
「それはこっちが聞きたい。・・・貴様どこから現れた?」
微妙に聞きにくい声。布か何かで口の周りを覆っているのか、マスクをした人の声に近い。
声は低め。だが、背中に当たる感触が後ろに居る人物の性別を教えてくれる。
すなわち、女性だ。しかも胸が大きい。
「どこからと言われましても・・・。日本から来ましたとしか・・・」
来たくて来た訳ではないのですが。
「ニホン・・・?聞いたことが無いな。・・・名前は?」
「名前ですか?・・・えっと、私の名前は・・・」
そこでふと気付く。名前が思い出せない。分からない。
地名は分かる、会社の名前も。
しかし、上司の名前、両親の名前、取引先の担当の名前、自分の名前、何もかもが白く塗りつぶされたように出てこない。
「え・・・?何で・・・分からない・・・名前が何も・・・」
唯一自由だった右手で頭を掻き毟る。
名前が一切思い出せないのでパニックになった。
その尋常でない様子に、自分を拘束していた相手も拘束を緩める。
「名前が分からないのか。・・・とにかく、この森に無断で入った者は捕まえるのが決まりだ。しかもヒューマンとなると、厳しい処罰も有り得る」
自分を拘束していた相手が、何か言っているようだが、名前が分からないショックで殆ど聞き流してしまった。
「あ~・・・ともかくコッチに来い。まずは我が街に連れて行く」
首筋の刃物はどかしてもらえるようだ。
左手は掴まれたままだが、これは逃走防止の為なのだろう。
そのまま、初めて自分を拘束していた相手と向き合う。
「貴様は名前がわからんようだから『ナナシ』としておこう。・・・私は、フォルカ。貴様を連行する者だ」
そう言ったフォルカには、普通の人間にはありえないものが付いていた。すなわち猫耳やら尻尾というモノが。
ホント、一体ここはどこなんだろうか。