プロローグ①
ぼくの大学生活も8年目を迎えようとしていた。
いつものようにPCの前に座り電源を入れた。たばこの火をつけ、飲みかけの冷めたコーヒーをすすった。煙の先を目の端でぼんやりと追いながら、PCが起動するのを待った。
そこは7年前にぼくたちが立ち上げた大学のサークルの部室だった。8畳ほどの部屋の中央には、会議用の机が2台並べてあり、そのまわりに6台の椅子とPCが設置してある。6人のメンバーが四六時中居座りにぎやかにしていたのはもうだいぶ前のことで、当時は狭く暑苦しく感じたこの空間も、いまはむしろ広すぎるくらいで、ときどき肌寒く感じることすらある。いまここには、ただひとり、ぼくしかいなかった。
「ニライカナイ」というのがこのサークルの名前である。ニライカナイとは琉球列島に伝わる民間信仰で、海の彼方の理想郷のことを指す。サークル設立が、高校の卒業旅行で行った沖縄旅行での出来事がキッカケだったため(設立メンバーはみな高校時代からの友人だった)、沖縄の言葉から、語感と雰囲気でこの名前を選んだのだった。
すべてがなんとなくで決まったことだったから、当然、活動内容もなにも決めてはいなかった。ある日「起業して正真正銘の理想郷にしよう」と誰かが言いだして、それから知らないうちに、その目標が公式のものとなっていた。
当時の日本はITバブルの真っ只中だった。それはこの国でリアリティを失って久しい、「理想」や「夢」といった言葉がまた生気を取り戻し、素晴らしい未来がやってくる予兆に思われた。アメリカでは、911が起こり、泥沼の戦争が始まろうとしていた。既存の価値観が崩れはじめていた。世界に不安が広がっていた。そのような中にあったから、ひとびとはなおさら、理想や夢を求めていた。
だから、情報系の学科を専攻していたぼくたちは、あたりまえのように夢をみた。あっというまに覚まされる夢だとは、むろんそのときは誰もわかるはずはなかった。
覚めない夢はない。たしかにそれは正しい。でも、見ることを憧れて、ようやく見れた夢。そのようなとくべつな夢からは、覚めることはできたとしても、その夢の記憶から逃れることは容易ではない。なぜなら本来それは、覚めて欲しくない夢なのだから。それが理想的な夢であればあるほどに、その夢の亡霊は強く纏わりつき、時間がたつほどに追い払い難くなる。
2000年代が終わり、新たな10年が始まろうとしていたが、ぼくの時間は、7年前の夏、このサークルの誕生と共に停止したままだった。
ぼくはまだ、夢の亡霊と戯れつづけていた。