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第2章2

 老夫婦と過ごす日々は、とても穏やかで幸せだった。

 二人は、いつまで経っても両親が迎えに来ないと悟ると、星火(シンフォ)を自分たちの子どもとして育てることを決意したようだった。

 本当のわが子のように、二人は星火を可愛がってくれた。

 二人の優しい心が、星火には何よりも嬉しかった。

 だが、それと共に、星火は1つだけ心にひっかかることがあった。それは、二人の笑顔の裏に、深い悲しみを感じるような気がしていたことだった。

 なぜなのかはわからない。

 ただ、以前は感じなかったものを二人から感じてしまったのだ。

 星火は思い出す。

 老夫婦と出会ったのは、今からちょうど4年前の秋の日のことだった。

 その日、星火は森の仲間たちと一緒に、この里の近くまで遊びにきていた。

「ひとのいるところに近づいてはだめ」

 そういわれていたのに、どうしても好奇心に勝てず、遠くからでもいいから「ひと」をひと目でいいから見てみたいと、同じように思っていたこぎつねたちとこっそりきたのだ。

 自分たちが住まう森からはだいぶ離れていた、だが、このあたりの「ひと」は、ひとの中でもさほど怖くはなく、おとなしい類だと大人のきつねたちが話しているのを耳にしていた。

 だから、星火たちも何の警戒心も持たず、軽い気持ちで里の近くまで足を運んだ。

 初めて目にするひとの住まいは、とても不思議な形をしていた。

 木でつくった家に住んでいると母から聞いていたから、大きな木をくりぬいてそのなかに住んでいるものとばかり思っていた。だが、実際に目にした家は、木を器用な形に切ったものを組み合わせ、土で外壁を塗り固めているようだった。

 もっと、もっと近くで見てみたい……。

 こぎつねたちは、そんな誘惑に勝てず、少しずつ里に近づいていく。

 あそこに住んでいるひとはいったいどんな姿をしていて、どんなことをしているのだろう。

 自分たちと違って後ろの二本足で経っているというけれど、不安定ではないのかしら。早く見てみたい。

 こぎつねたちは口々に騒ぎながら里に近づいていった。

 不意に、一歩踏み出した星火の足元がぐらり、と揺れた。

(な…に……?)

 そのままずるりと地面に吸い込まれていく。

「いやだああああ」

 一瞬にして視界が真っ暗になる。

 大きな衝撃。

 おしりを強く打ったが、それよりも星火の頭は驚きのほうが強く、あまり痛みは感じなかった。

 しばらく唖然としていたが、少しずつ全身が痛み出し、その痛みのために、星火はようやく自分がどうなったのかを理解した。

 周りは土。

 そして、上を見上げれば、先ほどまで頭上に広々と広がっていた青空が、丸い形に切り抜かれて見える。

 どうやら、大地に深く掘られた穴に落ちてしまったようだ。

 星火には、何のためにこのようなものが存在しているのか、まったく理解できなかったが、とにもかくにも一刻も早く、ここから出なくてはいけないような気がした。

 どう考えても自然にできたものとは思えない。

(ひょっとしたら……)

 母の言葉を思い出す。

 人間たちの中には、自分たち動物を狩るものもいると。

 彼らはときおり森の中にまでやってきて、自分たちを捕まえていくのだと。

 この穴もひとが自分たちを捕まえるために作ったものだとしたら……。

 星火は真っ青になった。

 一緒にいたはずの仲間たちは、一目散に散っていってしまったようで、名を呼んでも応えてくれるものはいなかった。

「助けてえ!」

 声を大にして星火は助けを求めた。

 だが、いくら待っても、仲間たちは戻ってきてはくれなかった。

(そん……な……)

 だれか、助けて!

 このままでは、自分はひとに捕まってしまう。

 捕まってしまえば……自分の行く末は明らかだ。

 二度と生きたまま母に会うこともできないだろう。

 何てことをしてしまったのだろう。

 自分は愚かだ。

 母があんなにも注意してくれていたのに。

 それなのに……。

(母さま、ごめんなさい)

 わんわん泣いていると、ふと何かの気配が頭上でした。

「おやまあ」

 薄暗い穴の中からでは、はっきりとはわからなかったが、年老いた女の顔が少しだけ見えた。

 老女は星火を見て、驚いたようにひとことそう言い残すと、すぐに顔を引っ込めてしまった。

 初めて近くで見た人間は、少し想像とは違っていた。だが、これで自分の命運もついに尽きたと思った。

 きっと女は仲間を呼びにいったに違いない。

 やはり自分はこのまま命を宇ばれるのだろう。

 しかし、しばらくしても女は戻ってこず、星火は独りぽつんと穴の中に残される。

 恐ろしさのあまり、ほろほろと涙をこぼした。

(泣いちゃだめだ)

 強い子は泣いたらだめって、母さまは言った。だから、泣いちゃだめ……だ。

 いくらそう言い聞かせても、涙は言うことを聞いてはくれなかった。しまいにはおいおいと声まであげて泣いていると、

「あれまあ」

 先ほどの老女が再び顔を覗かせた。

「ずいぶんと啼いておるなあ」

 老婆は一度、穴から顔を引っ込めると

「ほらなあ」

と、もう一つ、顔を伴って現れた。

「きつねだなあ」

 新しく現れた顔は、老婆と同じくらいしわくちゃの顔をした男のものだった。

「じいさん、届くかのう」

「届くだろう」

 言葉と同時に星火の前には細い1本の棒が差し出される。

 星火はぴたりと泣き止んで二人の顔を見上げた。

 老人は棒を星火の顔の前で小さく振って見せた。

「ほら、これにつかまれば出られるぞう」

 星火は二人の顔と棒を交互に見比べた。

 ここから出るためには、差し出された棒につかまるしかない。

 だが、その後、自分の身にはどんなことが待ってるのか知れない。

 少なくとも目の前にいるのはひとだ。星火たち動物の命を奪うことさえあるというひとだ。

 もし、この人間もその類のひとであったら……。

 そのことを考えると、自分はこのまま穴の中にいるほうがましだろうという気がする。

 ひとの手にかかって命を落とすくらいなら、このままここで朽ち果てたほうが――……。

「ほうら、何をしておる。このままここにいると殺されちまうぞう」

 老人は再度、棒を星火の鼻先で振った。

(だまされないぞ…!)

 星火は一歩じりりとさがる。

「だめだあ、ばあさん。怖がって出ようとせん」

 ひょいと老人は棒を引っ込めようとした。

 瞬間、星火の身体は勝手に反応し、気付くと棒にかじりついていた。

「じいさん、じいさん!」

 老婆の声に、慌てて老人がえいと棒を引く。そのまま、星火の身体もぐいと吊り上げられた。

 暗い空間から一転して、やわかな光があふれる世界へ出る。

 星火はまぶしさのあまり、思わず閉じた瞳を、ゆっくりと開き、それと同時にくわえていた口を開いた。

「ほうら、出られた。よかったなあ」

 目の前にはしわくちゃな顔を、さらにしわくちゃにさせて喜んでいる老婆がいた。

「けがはしてないか?」

 老人は星火の身体を持ち上げてあちこちと触る。

 ぴくんと星火は身体を強張らせた。

「じいさん、怯えとる」

「おう、そうか」

 老人は星火を大地に下ろした。

「大丈夫なようだの。ほれ、見つからんうちにはよう、帰れ」

「もう二度と里に近づくんじゃねえぞう」

 老夫婦の言葉を背に、星火は森に向かって走り出した。

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