揺らぎ始めた道
春の終わりだった。
小さなアパートの窓から、夕方の薄い光が差し込んでいる。
部屋の中は静かだった。
机の上には開いたノートパソコン。
その横には、飲みかけのコーヒーと、いくつもの書きかけの企画書。
青年は椅子に座ったまま、画面を見つめていた。
数年前、彼は安定した道を選ばなかった。
周囲が勧める進路ではなく、自分がやりたいと思った夢を選んだ。
保証はなかった。
成功する確率も高くなかった。
それでも、自分で決めたかった。
あの時は、それでよかった。
不安はあったが、迷いより期待のほうが大きかった。
努力すれば届くと思っていた。
自分で選んだ道なら、どんな苦労にも耐えられると思っていた。
青年はパソコンの画面を閉じる。
今日も結果は出なかった。
送った企画は通らない。
応募した仕事も落ちた。
何度も作り直し、何度も挑戦した。
それでも届かなかった。
青年は椅子にもたれ、天井を見上げる。
部屋の白い天井は、妙に冷たく見えた。
スマートフォンが震える。
表示された名前を見て、青年は少し表情を曇らせた。
高校時代の友人からのメッセージだった。
昇進が決まったという知らせ。
今度また集まろうという短い言葉。
それだけなのに、胸の奥がざわついた。
友人たちは、それぞれの道で前に進んでいた。
安定した仕事に就き、収入を得て、将来を築いている。
青年は画面を見つめたまま、小さく息を吐いた。
自分はどうだろう。
まだ結果が出ない。
生活は苦しい。
将来も見えない。
夢を追っているはずなのに、毎日はただ不安だった。
青年はスマートフォンを伏せる。
見たくなかった。
誰かの成功を喜べない自分も嫌だった。
静かな部屋で、時計の音だけが響いている。
青年はふと、数年前のことを思い出した。
机の前で悩みながら、それでも夢を選んだ日のこと。
失敗しても、自分で決めたい。
そう思っていた。
あの時は、間違っていないと思った。
けれど今、その言葉が揺らぎ始めていた。
青年: ……本当にこれでよかったのか。
誰に向けたわけでもない独り言が、静かな部屋に落ちる。
答える者はいない。
ただ、自分の言葉だけが残る。
青年は机の上の書類を見る。
家賃。
支払い。
生活費。
現実は容赦がなかった。
夢だけでは生きられない。
努力すれば報われるとは限らない。
そんなことは分かっていた。
分かっていたはずなのに、どこかで信じていた。
自分で選んだ道なら、きっと大丈夫だと。
だが現実は違った。
自分で選んだ道でも苦しい。
むしろ、自分で選んだからこそ苦しかった。
誰のせいにもできない。
うまくいかない理由を、環境のせいにもできない。
選んだのは自分だった。
青年は拳を握る。
悔しかった。
情けなかった。
もしあの時、別の道を選んでいたら。
安定した道を選んでいたら。
今ごろ、もっと楽だったのではないか。
そんな考えが頭をよぎる。
そして、その考えに胸が痛んだ。
あれほど大事だったはずの選択を、自分で疑ってしまっている。
青年: ……間違えたのかな。
その言葉は、思った以上に重かった。
もし間違っていたのなら、この数年は何だったのだろう。
積み重ねた努力も、耐えてきた不安も、全部無駄だったのだろうか。
青年は顔を覆う。
部屋は静かだった。
何も変わらない。
それでも、心の中だけが崩れ始めていた。
夢を選んだことは、本当に正しかったのか。
自分で決めたことに、本当に意味はあったのか。
答えは出ない。
出ないまま、夜だけが深くなっていく。
窓の外には街の明かりが広がっていた。
その光は遠かった。
青年には、自分だけが取り残されたように思えた。
あの時、自分で決めた道。
誇らしかったはずの道。
その道が今は、どこへ続いているのか分からない。
青年は机の上のノートを閉じる。
今日はもう何もできなかった。
椅子から立ち上がる気力もない。
ただ、暗くなっていく部屋の中で、青年はじっと座っていた。
そして心の奥で、ひとつの問いが繰り返されていた。
自分で選んだことに、本当に意味はあったのか。




