第5話
そして、こちらが笑顔になると、周囲の態度も徐々に変わってくるもので、宿の旦那さんやおかみさん、そして、お客さんたちとも、にこやかにコミュニケーションが取れるようになり、仕事がスムーズにいくようになった。
笑顔で人と接することで、行動範囲も増え、嬉しいことに何人か友達もできた。今まで、友達らしい友達なんて一人もいなかった私にとって、それはとても新鮮で、楽しいことだった。
これまでの苦しい日々が、まるで悪い夢だったかのように、すべてが順調だった。……人間って、自分一人ではなかなか変わることができないけど、たった一度、誰かと話をするだけで、生き方を改めることができるものなのね。
そして、生き方を改めることで、運命も好転する――
あの日、少々強引に飲みに誘ってくれたアンディに、私は心から感謝した。
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それからしばらく経った、ある日のこと。
朝の仕事を終え、休憩時間に入った私は、自室で一人、本を読んでいた。
コンコン。
やや強めの、ノックの音。
これは、アンディのノックだ。
ノックの音にも、人によって個性があるから、すぐにわかる。
私は本にしおりを挟んで、閉じ、言う。
「どうぞ、アンディ。入ってちょうだい」
アンディはすぐに扉を開け、中に入ってくると、少し興奮気味に、私のそばに駆けよって来た。
「ラスティーナ、これ、見てくれよ」
アンディの言う『これ』とは、新聞のことだった。小さな地方紙ではあるが、近隣国の情報も詳しく掲載されている、なかなかの優れものである。
ちなみに、私とアンディは、今では呼び捨てで名前を言い合う仲だ。ほとんど同い年で、気安い彼とは、かしこまって『さん』づけするより、こっちの方がしっくりくる。……それに、『さん』づけしないほうが、よりアンディと親密になれたような気がして、ちょっとだけ嬉しかった。
さて、話を戻そう。
『これ、見てくれよ』と言われた通り、アンディが机に広げた新聞を、私は見る。
……今日も我が国は平和だ。
『ミロット村の牧場で、三つ子のヤギが誕生』
『イチゴ農家のベンサムさんが100歳の誕生日を迎えた』
『落とし物を届けた心優しい少年に、市長から感謝状授与』
いかにも地方紙らしい、のんびりとしたニュースばかりである。私は小さくあくびをかき、新聞の記事をトントンと指でつつきながら、アンディに言う。
「このニュースが、どうかしたの?」
「違う違う、そっちじゃない。見てほしいのは、こっちの記事だよ」
言われて、アンディの指さした記事を見る。
思わず、「あっ」と声が出た。
記事の見出しに、こう書かれていたからだ。
『バグマルス王国、魔獣の暴走で、壊滅状態』
「魔獣の暴走……どうしてそんなことに……」
「暴走の理由については詳細が分かってないのか、まったく書かれてないけど、とにかくバグマルス王国は酷い有様みたいだ。写真とかは載ってないが、文章を読むだけで、事態の悲惨さが伝わってくるよ」
私は一度、アンディと顔を見合わせ、それから記事を熟読する。
内容は、次のようなものだった。
……今から三日前のこと、ウルナイトが召喚し、国のあちこちで守備につかせていた魔獣たちが、突然暴走し、人々を襲い始めたらしい。
魔獣の戦闘能力は、かつてウルナイト自身が自慢げに語った通り、とてつもないものであり、あっという間にバグマルス王国は地獄と化した。町は火の海となり、王宮は崩れ、もはや、かつての栄華は見る影もない……とのことだ。
私のすぐ背後で記事を見ていたアンディが、小さくため息を吐いて言う。
「やっぱりね。いつだったかの新聞に、『バグマルス王国に、史上初の魔獣の軍隊が完成した』って記事が載ってたけどさ。いつか、こんなことになるんじゃないかって思ってたよ。……だって、魔獣って魔物よりも強いんだろ? そんな危険な連中を、いつまでも自由に操ることなんて、できるはずがないじゃないか」
「そうね……」
私はもう一度、記事を見る。
そして、いつか見た魔獣の姿を、思い出していた。
狼によく似た、どこか神々しさすら感じる、巨大な銀色の獣――
召喚主であるウルナイトの命令には素直に従っていたが、ひとたびコントロールを失い、あの巨体で大暴れされては、人間の兵隊などいくらいても、太刀打ちすることはできないだろう。
魔獣の牙で蹂躙される故郷の人々のことを思うと、自然とため息が漏れた。
……不思議ね。
バグマルス王国の連中には恨みしかないのに。
過去――特に、苦しい時に、『あんな奴ら、全員地獄に落ちればいい』と何度も思ったが、今こうして、実際に彼らが地獄の苦しみを味わっていると思うと、なんとなく複雑な気分だ。きっと、私自身の人生が今は順調であり、幸せだから、あんまり『それ見たことか、ざまあみろ』というような気持ちにはならないのね。
……おや?
記事の最後に、通知欄がある。
通知欄とは、新聞社にお金を払って、広告や人探しの文章を載せる欄だ。
そこには、太文字でこう書かれていた。
『バグマルス王家は、半年以上前に国を飛び出してしまった聖女を探している。彼女なら、強力な結界を張り、魔獣を追い出すことができる。聖女の所在を知る者がいたら、すぐに連絡してほしい。もしも、聖女自身がこの通知を読んでいた場合、ただちに帰国すること。すぐに戻れば、行方をくらましていたことについては、不問とする』
私は、思わず口を半開きにして、固まってしまった。
呆れかえっているのだ。
バグマルス王家の物言いに。




